8月24日発売の週刊新潮が、俳優の香川照之さんの性加害を報じ、出演する番組からの降板や、コマーシャルの打ち切りが広がっている。コラムニストの河崎環さんは「こうした性加害は、相手の自尊心を踏みにじる行為。『一寸の虫にも五分の魂』を実感しているはずの香川氏こそ、すべきではない行為ではなかったのか」という――。
映画「クリーピー 偽りの隣人」で毎日映画コンクールの男優助演賞を受賞しブロンズ像を手にする俳優の香川照之さん(神奈川・ミューザ川崎シンフォニーホール)=2017年02月15日
写真=スポーツニッポン新聞社/時事通信フォト
映画「クリーピー 偽りの隣人」で毎日映画コンクールの男優助演賞を受賞しブロンズ像を手にする俳優の香川照之さん=2017年2月15日、神奈川・ミューザ川崎シンフォニーホール

「演技がうるさい」と評されていた

銀座の高級クラブでしたたかに酔い、ホステスに過剰なスキンシップやハラスメントというレベルを通り越した、性加害。脱がせたブラジャーを男性客で回して匂いを嗅ぎ、何もつけていない胸をまさぐったとまで報じられたら、それはCMスポンサーも朝の報道番組もEテレも、「あるまじき行為」とアウトを言い渡すだろう。

だがそんなストレスの解消の仕方をしていたと聞いて、わぁびっくり驚いた意外だ、という人の方が少ないのではないか。かつて映画監督の奥山和由に「演技がうるさい」と評されたという、俳優・香川照之。あの「半沢直樹」(TBS系)における大和田常務の土下座シーンは、彼の実力と芸風を一瞬で語り切る、ドラマ史に残る強烈な演技ではあった。「大和田常務」が演技ではなく本人の実像に近いのなら、イメージ通りである。

数々の映画、ドラマ、バラエティ番組でのハイカロリーな動きと盛り上げっぷり、そして昆虫好きが高じた「カマキリ先生」としての大活躍などに見られた好奇心やこだわりの強さを考えると、確かにそれはつまるところ過集中と過発散、「入力も出力もデカい」ということだったのだなと納得する。

歌舞伎俳優の父と女優の母

二代目市川猿翁(当時は三代目市川猿之助)と、女優の浜木綿子の間に生まれた。それは俳優や舞台人としてのキャリアが致し方なく期待される生まれだ。だが父親は、香川が物心もつかぬうちに家庭を去り、香川は大女優の母親のもとで育つ。昆虫に夢中になり、虫捕りに没頭する少年期を送った。

そもそもとにかく頭が良かった。東京の「お坊ちゃん学校」を代表する男子校、暁星から東大文学部へ、そして母の反対を押し切って俳優業へ。

筆者はいまだに、香川が俳優デビューまもなく週刊誌の対談連載に出ていた時の誌面を覚えている。決して線の細い瓜実顔の美男子とはいかなかったが(個人の見解です)、いい意味でアクの強さが印象深い笑顔と、どんなに笑っても迫力を誤魔化せない目は、やはり歌舞伎役者の血なのだと感じていた。

バラエティ番組などで、暁星卒業生ならではのフランス語を操ってみせる場面もあった。幼い頃からの行きつけは名店揃い。どう公平に見たって「生まれ育ちに恵まれたお坊ちゃん」である自分をどうアウトプットして見せれば場を盛り上げられるか、面白い人間と思わせ、相手に自分を好きにならせることができるか、心得ているさまを隠そうともしないところがむしろ嫌味でなく、これまで一視聴者としては「いやはや参りました」と極めてポジティブな感想を持っていた。

彼は、役者だ。

「不快」の言葉を繰り返した謝罪

香川は、人たらしたる自らの如才なさにも相当な自負があっただろう。過信していた、と言ってもいいのかもしれない。2011年に市川中車を襲名して46歳で歌舞伎デビューという前代未聞の行動に出、その後のドラマや映画界でのブレイクぶりには、精神と身体の疲労を抱えながら本人なりに必死にバランスを取っていたのだろうと十分に想像できる。

姿を現すだけで空気が変わる。場を牛耳る。誰もが彼の愉快な話に夢中になる。間違いなく、魅力的な人物。もしかしたら、時代の顔。だが週刊新潮で報道された香川の夜の行状は、本人が直接訴えられたものではなかった(元ホステスの女性がママの管理不足を訴えたものだった)にせよ、男女問わず「いくらなんでもそれはあかんやろ」と思うものだったのだから、行ったとされる内容が事実ならば言い訳無用だ。

TBS系列の朝の番組「THE TIME,」金曜司会の降板が発表され、香川はその日に収録されたとされる動画で、「不快」という言葉を繰り返した。

報道されております件で、大変なる騒ぎを起こし、多大なるご迷惑をおかけしておりますことを重ね重ねお詫び申し上げます。本当に申し訳ございません。今回の件の報道にあります当事者の方々はもちろん、私の今までの人生、すべてに関わってこられた方々の中で、不快な思いをさせてしまった方々に対して、その方々すべてにお詫び申し上げます。申し訳ございません。

俳優というのは、自分の言葉ではなく与えられたセリフ、人の書いた言葉を言う職業です。自分の言葉ではありません。しかし、情報番組の司会はあくまでも自分の言葉、限りなく生に近い言葉を通して、情報を皆さまに伝えていく仕事であります。今の私の生の声は、その意味では説得性がありません。さまざまな不信感や不快感を視聴者の皆さんに与えてしまうと思います。

したがって、私がこの愛する『THE TIME,』を司会として出演することは相応しくないと判断いたしました。今後、出演をしないという決意をいたしました。

いままで毎週金曜、私も楽しみに朝早起きして番組に臨んでおりました。そしてこの番組を支えてくださって、ご覧になられた視聴者の皆さま、本当に今までありがとうございます。心より感謝申し上げます。

最後になりますが、改めて今回の件で、不快な思い、嫌な思いを皆さまにさせてしまい、騒ぎを起こしてしまっておりますことを心よりお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。

被害者が受けたいじめ、辱め

繰り返された「皆さまに不快な思いを」に対し、そんな性犯罪めいたことをして「不快」じゃ済まないだろう、無責任だ、という声がある。

香川は「あんなことをしてごめんなさい」と行為について謝罪したのではなく、あくまでも「そんな報道があったこと」「皆さんのお気持ちを悪くさせたこと」について謝罪したのだ。このことは今後、香川サイドが事実関係をきちんと法的に整理する余地を残したことを匂わせる。

だけど、この「不快」というぼんやりした言葉ほど、確かに今の世間の気分を言い当てる言葉はないんじゃないかと感じている。

報道がどこまで事実かは今後精査されていくべき問題ではあるが、ブラを剥がしてみんなで嗅ぎ回して、何もつけていない胸を触られるという場面を想像すると、「香川照之とはそういうことをする人間だったのか」と人間性に疑問が湧き、がっかりと失望し、そういう俳優の演技やバラエティ出演を喜んで見ていた自分たちの「人を見る目のなさ」が悔やまれ、実に不快だ。自分がブラを剥がされたのではないけれど、ワイドショーや記事で何度も繰り返されるこの件を見て喚起される感情は、たしかに傲慢な行いへの「不快」なのである。

しかし性被害を受けた者にとっては「不快」などという言葉では済まされない傷になる。それはハラスメントなんてフワッとした横文字の「嫌がらせ」じゃなくて、相手の尊厳を踏みにじり嘲笑あざわらう「いじめ」「はずかしめ」だからだ。自分よりも力のあるものに、性的にいじめられる。それはPTSDを負ってしかるべき、自尊心を傷つけられるということだ。

しかも相手はその行為に快を感じ興奮しているから、相手の中ではその記憶は醜悪でもなんでもない、むしろ逆の認識であることすらある。「え、なんでそんなにキレてんの?」「ノリじゃん」などと加害者は覚えていなくても、被害者は時に人生賭けて復讐しようと思うほどの怒りに打ち震える。

暗い寝室に座っている落ち込んだ女性
写真=iStock.com/kitzcorner
※写真はイメージです

自尊心を踏みにじる行為

以前、女性アナウンサーの先駆けたる方にインタビューしたことがあった。後悔していること、キャリアで学んだことをうかがったら、若き日のご自身の苦闘を振り返って「誰もが心の真ん中に自尊心を飼っている。その自尊心を傷つけたら、何倍にもなって返ってくるんです」と、その人は美しい声で言った。

人間は、自分のことに精一杯になるあまり傲慢になることがある。他者をあなどり、尊厳を踏みにじり、覚えていないことすらある。生きる上で、自分自身のあり方には気をつけなければならないという話だった。

昨今、さまざまな業界で報道されるパワハラやセクハラの本質は、「力の差を利用したいじめ」、誤魔化ごまかすことなくそういうことなのだと思う。一寸の虫にも五分の魂、を強く実感しているだろう香川こそ、本当は踏みにじってはいけない他人の自尊心だったのではないのか。

それは倍返しどころか、10倍にも100倍にもなって返ってくる。