※本稿は、宮内義彦・井上智洋『2050年「人新世」の未来論争』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
財政再建主義に陥ってしまった日本
【宮内】ご専門の先生を前にして恥ずかしいのですが、私はほんの数年前まで、「赤字財政というのは非常に問題だ。ここまで借金していいのだろうか。現実的に見て、もう返済できないのではないか」と深刻に考えていました。
当時は講演などで、「これだけの財政赤字をつくると、選択肢は二つしかない。一つは踏み倒すか、もう一つは国民に負担をお願いして返済するか。国が踏み倒すわけにはいかないので、返済するしかない。しかし、これほど赤字が巨額になると、本当に返済できるかどうかわからない。数十年にわたる財政再建計画をつくり、申し訳ないが次の世代にも営々と返済してもらう。それにプラスして年数%程度のインフレを恒常的につくり出して、多少でも負担を減らす。それぐらいのことしかできないだろう」という話をしていたものでした。
日本では今や国が何をするにも財政の制約があり、「日本という国を自身で防衛しないといけない」という国家としての基本的なところでも、「防衛予算はGDPの1%しか出すべきではない。それ以上支出すると財政がおかしくなる。あとはアメリカにお願いするしかない」という話で、「仕方がない」と諦めていたわけです。
しかしよく考えてみると、これは本末転倒です。まず「日本という国がある」ことが先であって、国民の生活が守れなかったら財政も何もない。お金がいくらかかったとしても、国防だけに留まらず、国民生活を守らなければならないのです。
今は一事が万事、逆の発想になってしまっています。たとえば、日本政府の教育支出はGDP比で先進国の中で最低レベルと言われています。日本人の教育は後れを取っているのです。日本がこれから世界で競争していくためには、もっともっと教育に力を入れなければいけない。ところが大学の予算など毎年、「どうやって削ろうか」と議論しています。
防衛や教育だけでなく、いろいろなことが「財政再建」というひと言のために予算を取れずに後回しになったり止まっている。日本は「財政再建至上主義」とでもいうべき国になってしまっています。それが現実です。
政府が累積赤字を返済しなくてよい理由
【宮内】そこへMMTという新しい学説が出てきて、私もその話を知る機会がありました。MMTでは、「政府は自身で通貨を発行できるのだから、過度なインフレにならないかぎり、国家予算の制約は気にしなくていい。むしろ景気が悪くなれば、躊躇なく財政出動すればよい」と説きます。
これはまさに、積年の悩みを解決してくれる考え方です。私は「これだ!」と目から鱗が落ちました。実際に詳しくその理論を聞き、二、三冊書物を読んでみても、今のところ「この考え方は正しいのではないか」と私は思っています。日本の財政再建至上主義を廃し、「国民生活向上」を目的とした経済政策に転換することが、すでに30年にもわたる停滞から脱する道だと思い至っています。
どうしても「借金」を返した形にしたいなら永久債を発行すればいい
【井上】経済学では、政府と中央銀行を合わせて「統合政府」と言います。国債も通貨も統合政府の負債という意味では同じようなものです。ただし、国債は金利がついて通貨は金利がつきません。国債というのは言わば、金利付きの通貨みたいなもので、「借金」の証書と見なすのはおかしいとMMTでは論じられています。
また、自国通貨を持つ国の政府はそもそも通貨製造機を持っているので、「借金」をする必要がないと主張しています。国債発行の役割は金利の調整にあり、国債を廃止して金利を固定しようという提案もMMTにはあるくらいです。そういうわけで、自国通貨を持つ日本やアメリカのような国では、財政赤字それ自体は1200兆円あろうが2000兆円あろうが、過度なインフレにならない限りは何の問題でもないのです。
【宮内】どうしても政府が「借金」を返した形にしたいのだったら、永久債を発行して、日銀に保有していてもらえばいいわけですよね。日本政府の累積債務問題は、それで解決です。法律ひとつ変えたらできるレベルの話で、MMTを知った私としては「何を悩んでいるのか」と思うようになりました。
そういうことで私は井上学派の信奉者になりました(笑)。ここまでの説明、間違っていますでしょうか。
これまでに発行された国債は「なかったこと」に
【井上】いいえ、おっしゃるとおりです。井上学派になっていただいて、大変光栄です(笑)。
永久債というのは永遠に償還しなくていい、つまりお金に変えなくていい債券のことです。これまで政府が発行した国債を日銀が市中から買い上げた上で、それと同額の永久債を政府が新たに発行し、それを日銀が保有する国債と交換する。それにより日本政府は、日銀が買い上げた分の国債を償還する必要が永遠になくなります。これは英金融サービス機構(FSA)長官だったアデア・ターナーが2015年に提案した、累積財政赤字の解消方法です。
永久債にも交換する国債と同率の利子をつけるとすると、その利子は日銀の収入になり、日銀の収入は政府に上納されますので、実質的には政府は利子を払う必要がないことになります。つまり永久債は、存在しないのと同じ。これまでに発行された国債は「なかったこと」になるわけです。そんなことを行う必要もないのですが、おっしゃるように「政府が借金を返した形にしたい」のであれば、ターナーの提案通りに行えばいい。
経済成長に合わせて通貨を増やす
【井上】せっかくですから、ここで私の主張を述べさせていただきますね。
「経済が成長するのに合わせて通貨の供給量を増やさなければいけない」という考え方を「成長通貨」と言います。経済の規模が大きくなれば、そこで必要とされる通貨の量も増えるので、それに合わせて発行量を増やす必要があるという、ごく常識的な考え方です。経済学の教科書にも時々出てくる言葉ですが、長いこと誰も注目していませんでした。
一方でマクロ経済学には「貨幣の長期的中立性」という基本命題があります。これは「貨幣を増やしても増やさなくても、長い目で見ると実体経済には影響を与えない」という考え方で、どのマクロ経済学の本にも出てきますが、私は嘘っぱちだと思っています(笑)。
貨幣の中立性は、貨幣残高(世の中に出回っているお金の量)の増減が実質産出量(GDP)や失業率などに影響を与えているかどうかでチェックされ、影響がなければ「中立的である」とされます。貨幣残高の増減が実質産出量の水準に対して長期的な影響を及ぼさないとき、「貨幣の長期中立性が成り立つ」とされるのです。
日銀などは「明治期以降のデータでみるかぎり、わが国の貨幣残高と実質GNPの間では長期中立性が成り立っている」という立場です(『わが国における貨幣の長期中立性について』2004年(※注1))。
誰も議論してこなかった問題
【井上】私は、この貨幣の長期的中立性の命題は成長通貨の考え方と矛盾すると考えています。しかし、これまでほとんど誰もこの問題について議論していませんでした。
2011年に受理された私の博士論文「経済成長と有効需要不足」は「成長通貨は必要である」「貨幣は長期的にも非中立的である」といったことがテーマでした。経済の規模に対して通貨の発行量が少ないと、経済に悪影響を及ぼしてしまう。つまり「貨幣の量は長期的にも経済に影響を与える」という主張です。
お金は経済の血液であって、不足すると貧血になってしまう。子どもが成長して大きくなっているのに血液の量が増えていかなかったら、血が足りなくなりますよ、という話です。自分では当たり前のことを言っているつもりなんですが、今のところ日本で貨幣の長期的な非中立性に踏まえて、成長通貨の必要性を強く訴えている経済学者はたぶん私1人だけです。ですから、井上学派といっていいかもしれません。
通貨を増やせば景気はよくなる
【宮内】1人だけ、私という信奉者がいる学派ですね(笑)。
経済が大きくなれば、それだけ多くのお金が必要になる。経済の大きさに応じたお金が供給されないと、経済はうまく回らない。どうなるかというと、貨幣価値が上がる。つまり「お金が足りないとデフレになる」という話ですね。それが原因で、ここ数十年続くデフレから脱却できていないのかもしれない。
デフレになると経済が縮小してしまうので、それを防ぐためにも通貨は増発しなくてはいけない。貨幣の量を少し先行して膨らませると、実体経済はそれに引きずられて供給不足を補おうとして活性化し、経済全体は膨らんでいく。そう考えると、できれば通貨の量をもっと増やして膨らませてやれば、経済も成長していけるのではないでしょうか。
【井上】それが私の考えです。ただ、MMT派の人たちはそんな考えに否定的です。MMTを信奉する人たちを「MMTer」(エムエムター)と呼ぶのですが、その意味で私はMMTerではありません。むしろ「お前はMMTerじゃない」とか「MMTをつまみ食いするな」とMMT派の人たちから叩かれています。
経済学の世界では、かつての日銀が典型ですが、「お金の価値を守らなければいけない」として、通貨の発行量をできるだけ制限すべきだという考えが強いんです。未だに「金本位制こそ、通貨のあるべき姿だ」という人もいます。それに対し私は、完全雇用になり、インフレ率が一定程度上がるまで通貨量を増やすべきだと主張しています。MMTはそうは考えていない。
通貨は必要なだけ出すべき
【井上】一方で、政府が財政赤字を続けることは、これまでのマクロ経済学では「よくないこと」とされてきた政策ですが、財政赤字は問題ではなく、必要ならば政府支出を積極的に行うべきだとMMTでは考えます。その点においては、私はMMTに近い立場です。
【宮内】私も井上先生のおっしゃるとおりだと思いますよ。日本でもこれまで経済の発達に応じて、たとえば江戸時代の小判改鋳や、高橋是清(※注2)の金輸出再禁止(金本位制離脱)による管理通貨制度移行など、財政赤字補填や通貨流通量の増加政策をその時々で行ってきたわけです。
通貨を増やすと何が起きるか。インフレになるかもしれませんが、多少のインフレは問題にはなりません。江戸時代の小判の改鋳でもインフレが起きましたが、景気は良くなり、元禄文化が花開いたのでした。
【井上】そうなんです。「改鋳によってデフレギャップが解消され、経済の拡大にプラスの効果をもたらした」と考えられていて、これは20年も前の日銀レポートでも指摘されています。(「江戸時代における改鋳の歴史とその評価」1999年(※注3))
【宮内】結局、通貨というものは、必要なだけ出すべきだということですね。経済を活性化するためには極端なインフレにならない程度に通貨量を増やすことで需要を喚起する。これが供給力を刺激して、投資を誘発し好循環を作り出す。こうした流れを生むことが必要なのです。今の日本のような長年のデフレ状態を変えて経済を伸ばそうと思ったら、金利を下げるだけでなく通貨量を増やしてインフレにしてやることが効果的で、財政支出を増やせば通貨量も増えてインフレになるわけですね。
【井上】そうです。そして財政赤字の拡大を認めれば、できる政策がたくさんありますから、それによって日本をよりよい国にしていけるはずです。
※注1)日本銀行金融研究所(2004)「わが国における貨幣の長期中立性について」
※注2)高橋是清……たかはし これきよ(1854~1936)。明治~昭和初期の政治家、財政家。数々の要職を歴任し、内閣総理大臣や日銀総裁までも務めた。中でも、大蔵大臣としての評価が高く、1930年代初頭には、昭和恐慌からの脱却と満州事変の戦費捻出を目的に、金輸出禁止からの管理通貨制度への移行、時局匡救事業のための赤字国債の発行、および、国債の日銀引き受けなどを実施する積極政策「高橋財政」を展開し、大幅な景気の回復を成し遂げた。
※注3)日本銀行金融研究所(1999)「江戸時代における改鋳の歴史とその評価」