責任者として会議に参加しているのに通訳だと間違われる
わたしはこれまで日本でセルフマネジメントを教えてきて、フラストレーションの中で生きる女性リーダーの悩みをたくさん聞いてきました。
たとえば、ある投資会社の管理職を務める女性の話では、取引先との重要なミーティングで幾度となく同時通訳者と間違われたそうです。責任者としてその場にいるのにもかかわらず、女性だからという理由だけでスルーされてしまう理不尽さ──。こんなことが日々繰り返され、怒りが蓄積していったといいます。
このような社会の理不尽さは、容易に変えられるものではありません。人間関係の理不尽さに対抗して、その会社を辞めるという選択肢はあります。あるいは、長期休暇を申請して体と心を休ませたり、事情を知っている人に相談したり、協力してもらうのも手です。
けれども、根本的に理不尽さを変えられないのであれば、またいつどこで同じような目に遭うかわかりません。では、理不尽さにさらされるたびに湧き上がってくる怒りをうまく対処できる方法はないものでしょうか?
感情コントロールとは
怒り・イライラ・失望・諦めなどの負の感情とうまく付き合う方法はあります。それには時間と練習が必要です。
自発的に湧き上がってくる感情をどうコントロールするのかについては前回の記事(「職場の一番苦手な人から電話着信…『気の重い仕事』が苦ではなくなるドラッカー・スクールのすごいメソッド」)でも少しお話ししましたが、感情そのものを意図的に止めることはできません。ただし、スキルを磨いて巧みに扱うことはできます。
一般的に、負の感情に対して最もよく取られる行動は、自分の中に押しとどめるか、あるいは爆発させることです。または、会社ではガマンして、家に帰ってから家族にぶちまけてしまうというパターンもありますね。
わたしの経験から言うと、日本人の多くは前者──すなわち、感情を自分の中に押しとどめる傾向にあります。
しかし、負の感情を自分の中に押しとどめているのは、とてもつらいことです。そのつらさから逃れるために毎晩お酒を飲まずにはいられない、と話してくれた女性弁護士がいたぐらいです。また別の女性は、ワイングラスを掲げながら「これが私のマインドフルネスです」と冗談めかして言ったことさえありました。
感情を抑制することの残念すぎる代償
負の感情を抑制してしまうのは、とても不健康なことです。なぜなら、感情を押し殺してなんでもないようなフリをすることに慣れてしまうと、やがて自分の感情そのものを感じられなくなってしまうからです。
感情がまひして、自分が何を感じているのかわからなくなると、そのうち生きているという感覚さえ失われてしまいかねません。一種のゾンビのようになってしまうかもしれないのです。
このゾンビ化が社会に与える影響は小さくありません。もし、あなたの会社に感情がまひしたゾンビがたくさんはびこっていたら、あなたの会社自体がゾンビのようになり、停滞してしまうことも考えられます。ですから、瞬間的に湧き上がる感情をあなたがどう対応するかは、社会全体にも影響を及ぼしかねないのです。
感情を爆発させないためのエクササイズ
他方で、感情を爆発させてしまうことも健康的とは言い難いですね。
わたしのクライアントで、金融サービス会社のマネージングパートナーを務めている方がいます。彼の悩みは、部下が彼に話をしたがらないことでした。そして長年そのような状況が続いた後、彼はようやく部下たちが彼のことを恐れているあまり、話したがらないのだと気付いたそうです。
なぜでしょう? それは、彼がいつも怒りをまき散らしていたからです。
部下たちは彼の感情の激しさを恐れていました。そのために、彼の周りにはいつの間にか恐怖の態勢が敷かれていました。
彼はとても負けず嫌いで、闘争心に溢れています。そこで、わたしは彼に「あなたがもし負けたら、あなたの内面では何が起こりますか?」と質問しました。とたんに彼は居心地悪そうにモゾモゾし始め、「そんなの無理です。負けられません、絶対に負けられません」と答えました。
そこで、わたしたちはあるエクササイズに挑戦してみました。彼がもし負けてしまったとしたら、彼の内面に何が起こるのか、どう感じるのかをあえて疑似体験してみたのです。
すると、彼はまず、腹のあたりに針金でできたボールが埋め込まれているような強烈な違和感に気付いたそうです。そして、その感覚があまりにもつらいので、何が何でも避けたいと思っていることもわかりました。さらに、その感覚を避けたいからこそ、いつも周囲に怒りをぶつけているということまでわかりました。
強烈な競争意識をもった人が初めて感じた平穏
今までの彼は、自分の負けを受け入れられないがために、無意識のうちに荒々しい感情を表出させ、周りの人たちに当たり散らしていました。ここまで気付いたところで次にわたしたちが行ったのは、その怒りの感情に寄り添い、じっくりと感じてみて、彼の内面の変化を観察することでした。
やがて、彼の腹に収まっていた針金のボールは消滅しました。そして、平穏が訪れました。「なんて不思議なんだろう。気分がとても落ち着いている」と言いながら、彼は笑顔になりました。以前は、怒ってばかりで絶対に笑わない人だったけれど、本当はとても優しい人だったのです。
そして彼はこう続けました。「私は今まで考えることで自分を守ろうとしていました。負けが見えてしまったら、どうやったら復讐するかをすぐさま考え始めていたんです。自分を守るために自動的にやっていたことなんですが、それに気付いて、それをやめたら、とても穏やかな気持ちになれました。オープンにもなれました。すべてをコントロールしなくてもいいと思えたからこそ、可能性が開けて、今なら何でもできるような気がします」
強烈な競争意識と共に生きてきた彼が、はじめて体験した穏やかさでした。
企業戦略の観点からは、競争することのメリットもあります。しかし、あまりに激しい競争意識の下では、部下たちとのコミュニケーションは育ちません。負けたらダメだと圧をかけられたら、誰だって萎縮してしまいますね。結果的にビジネスも停滞してしまいます。
部下の立場からしたら、怒ってばかりいる上司と、穏やかな上司と、どちらに親しみを感じるでしょうか。答えは明白ですね。
お酒はもういらない
このように、あなたの感情はあなたの周りにいる人たちにも影響を与えます。知らず知らずのうちに怒りや恐怖を伝搬していることも多いのです。
負の感情と向き合うためには、自分の感情にじっくりと寄り添いながら、消化してみてください。負の感情に寄り添うのは、はっきり言ってあまり居心地の良いものではありません。それでも、自分の感情から逃げないでください。
自分がどのように感じているかを観察することで、感情を吐き出すでもなく、ため込むでもなく、流せるようになります。そうすることで、自分へのプレッシャーを軽減することも、ストレスを減らすこともできるようになります。
かつて「ワインがマインドフルネス」だと言っていた先述の50代女性クライアントは、今では表情が柔らかくなり、周囲の人々も見違えるようだと証言しています。怒りをアルコールで分解するのではなく、自分の気付きに基づいて消化するすべを、彼女も体得したからなのでしょう。
これが、マインドフルネスです。時間と練習が必要ですが、誰でもできるようになる、人生をより快適にするためのスキルです。