為替相場が大きく動き、FXの取引額が上昇している。経済コラムニストの大江英樹さんは「株式より為替のほうが身近に感じる、という理由でFXを始めてしまう投資初心者が一定数います。これは行動経済学でいう『利用可能性ヒューリスティック』のわなに陥っているのです」という――。
株式市場のチェックをやめられないスマホを持つ女性の手元
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FX取引金額、6月に最高を更新

このところ、やや一服したとは言うものの年初から為替相場は円安に振れ、1年前から比べると20%以上下落しています。それにともなって、外国為替証拠金取引、いわゆるFXの取引額が上昇し、金融先物取引業協会の調査によると「2022年6月の店頭FXにおける取引金額は前月比25.9%増の1230兆円で、2008年11月に統計を取り始めて以来、最高を記録」しました。中にはこの流れの中でFXを始めた人もおり、書店でも投資のコーナーにはそれらの本がたくさん並んでいます。

私はFX自体が悪いとは思っていません。FXの本質が投機であることをきちんと理解した上でそれを利用し、それにかかるリスクを承知の上で収益を狙うというのであれば良いと思います。ただ、どうもよくわからないままに取引を始めようとする人が少なからずいるようです。

「手始めにFXから…」

以前、ある会合で初めて会った40代後半と思しき方と話をしていたら、その人は「老後のことをそろそろ考えないといけない年齢になってきたので、少しは投資の勉強をしようと思っているのです」と言うのです。私も「なるほど、それは大切なことですね」と答えました。ここまでは良かったのですが、次の言葉にはちょっと驚きました。「それでまずは手始めにFXからやってみようかと思うんですよね」。

FXというのは通常レバレッジを掛けて行う取引で、言わば自分の持っている資金の何倍もの金額を賭けるわけですから、投機的な取引であることは言うまでもありません。全くの投資初心者がこれから投資を始めるという時に最初にやってみる方法としてそんな投機的な取引が適切であるとはどうしても思えないのです。そこで、その人に「どうして最初にFXからやってみようと思うのですか?」と聞いたところ、実に興味深い理由が返ってきました。

「利用可能性ヒューリスティック」のわな

「だって株ってよくわからないですよね。でもドルやユーロなら海外旅行に行く時にいつも使っているのでとてもなじみがあるから」というのが答えでした。私はこの話を聞いて、これは行動経済学で言うヒューリスティック、それも典型的な“利用可能性ヒューリスティック”ではないかと感じたのです。

利用可能性ヒューリスティックというのは頭に思い浮かびやすい、目立ちやすい特徴や手がかりだけで判断しがちな心理のことを言います。例えば「銀座でおいしいイタリアンのお店はどこ?」と聞かれたら、あなたはどう答えますか? もしきちんと調べようと思えば、自分の知っている店だけではなくガイドブックを見たり、口コミサイトの評価を読んだり、又は知り合いに聞いたりして総合的に判断するのが正しいやり方ですよね。ところが多くの人は自分が行ったことのある店が頭に浮かぶためにその店を勧めがちになります。

でもこれはごく自然なことなのです。世の中で何か判断したり意見を言ったりする場合、全てにおいて論理的に考えて正しい答えを出すことなど不可能だからです。実際に大半のことは経験値や感覚で答えても実際の生活には何ら影響はありません。ところが、投資などのように金融商品を活用する資産運用においては、ヒューリスティックは禁物です。

株式投資よりFXの方がはるかに難しい

私が話を聞いた投資初心者のように、海外旅行で外貨を使うからということで外貨を身近なものと感じ、外為投資についてのリスクを正しく認識せずに安易に判断して手を出してしまいがちになる、というのはまさに「利用可能性ヒューリスティック」なのです。

空港を移動する人たち
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確かに海外に行くことでドルやユーロはなじみがあるし、“知っている”ことは事実ですが、その価格変動のメカニズムやそれに投資をすることでどれくらいの損益が生じるのかを“理解している”こととは全く別問題です。そういう基本的な知識を持たないまま、FXをやるのはとても危険な行為と言って良いでしょう。それにそもそも株式投資よりもFXの方がはるかに難しいのです。その理由をお話します。

誰かが儲かれば、その裏側では必ず誰かが損をする

株式はそれを発行している企業自体に出資するという性格のものです。その企業が成長を続けていけば配当も増えるし、値上がりによる利益を取ることもできます。もしその企業の株主の誰もがその株を長期的に保有していれば、みんな同じように利益を得ることができる、すなわちプラスサムゲームなのです。

ところがFXに代表される為替取引というものは長期に保有していれば、誰でも利益が出るという性格のものではありません。誰かが儲かれば、その裏側では必ず誰かが損をする、すなわちゼロサムゲームとしての側面が強い取引なのです。したがって、運用はどうしても短期的かつ投機的になりがちです。プロの為替ディーラーも個人のFX投資家もその多くは一日の内、何度も頻繁に売買を繰り返して利ざやを稼ごうとしているのです。もちろん前述したようにこういう取引が悪いとは思いませんが、少なくとも「株式投資よりも簡単」ということではありません。

為替レートを読む難しさ

株式にしても為替レートにしても、変動する直接の理由は「需給」です。需要が多い、すなわち買いたいと思う人が多いと上がるし逆に売りたい人が多ければ下がるわけです。ところがその需給を決める要因は何かというと、株式の場合最も大きいのはその企業の業績が良くなるか、あるいは悪くなるかどうかです。したがって、個別の企業の財務内容を分析したり、決算短信や有価証券報告書といった開示資料を丹念に調べたりすれば、今後その企業の利益が成長するか、すなわちその企業が新たな価値を生み出していくかどうかの予測はある程度可能です(あくまでもある程度ではありますが)

ところがこれに対して為替レートというのは単に異なる通貨を両替する時の比率のことですから、通貨自体が何か新たな価値を生み出すものではありません。したがって、レートの変動はあくまでも通貨交換に参加している人たちの心理がどうなのかで大きく左右されます。つまり取引に参加している人たちの心理を読まなければならないことになりますから、これはかなり難しい話です。

「ドルやユーロは海外旅行でなじみがあるから」という程度の理由で始めるのではリスクが大き過ぎます。ましてや老後資金をこしらえるために資産形成をするのであれば、運用自体は長期になりますので、こうした短期的かつ投機的な運用というのは、全く向いていないと考えていいでしょう。

外貨そのものを持つことに意味はない

以前にもこのコラムで書いた記憶がありますが、外国資産を持つことはある程度必要だと思います。それは時代によって成長する国や地域が異なるからです。ただ、国際分散投資を行い、外国資産を持つことは有用だと思いますが、外貨そのものを保有することにはあまり意味はないと言っていいでしょう。

もしFXをやるのであれば、それはあくまでも短期的に利ざやを稼ぐ投機と割り切って行うべきです。言って見れば取引自体をゲームとして楽しむというもので、長期の資産形成にはふさわしくありません。

投資の基本のひとつは、「自分がわかるものに投資をする」ということです。でも「知っている」というのと「わかる」という意味は違います。いくらドルやユーロを“知って”いて、“使ったことがある”のでなじみがあったとしても、その価格変動のメカニズムや取引の特徴をよく理解しないまま大金を投じてしまうと、思いがけない変動で大きな損失を被りかねません。「自分で納得したもの」に「自分自身の判断で」投資するということが基本であることを決して忘れないことが大切です。