山本浩実さんは、住友生命に2人いる女性執行役員の一人だ。生保の営業職員として働き始めたのは38歳のとき。営業出身の役員だからこそ、絶対やり遂げたいことがあるという――。

夫の引退を機に38歳で働き始めた

山本浩実さんが住友生命愛知南支社に営業職員として入社したのは38歳の時だった。

「入社のきっかけは、オートバイのプロライダーだった夫が、引退して大学に通いたいと言ったことが始まりでした。生活も変わり、保険を見直そうと思って調べ始めたらこれが難しくて(笑)。きちんと勉強したいと思っていたときに、加入していた住友生命の担当者が、一緒に働きませんかと声をかけてくださったんです」

住友生命 執行役員 人財共育本部副本部長 山本浩実さん
住友生命 執行役員 人財共育本部副本部長 山本浩実さん(撮影=遠藤素子)

夫が引退したのは、2人目の子どもが生まれて「生涯続けられる仕事をしたい」と思ったからだったそう。父親を早くに亡くして大学に行けなかったため、大学で学びたいという思いも強かったのだという。

山本さんはその思いを尊重し、夫の再出発を後押しした。ほどなく彼は名古屋にある医療系大学(当時は専門学校)に合格し、同時にそれまで住んでいた関西から愛知県へと家族4人で引っ越した。この土地で営業職員として働き始めなかったら、今のキャリアはなかったかもしれない。夫の再出発は、山本さんのキャリアの出発点にもつながったのだ。

入社後、20年で執行役員に就任

山本さんは入社後、順調にキャリアを伸ばし、営業職員として多くの社内表彰を受賞。その後は、総合キャリア職に職種変更し、転勤を重ねながら支社長などを歴任。そして、多くの優秀な人材を育ててきた手腕が評価され、58歳のとき執行役員に昇格した。一見、華やかなサクセスストーリーにも見えるが、その道のりは予想外の出来事や不安との戦いの連続だった。

山本浩実さんさんのLIFE CHART

辞めていく部下からの衝撃的なひと言

入社後は、声をかけてくれた担当者が上司となり、その下で保険について勉強しながら営業経験を積んでいった。同社には、営業職員が自ら一緒に働くメンバーを募ってチームをつくり、その人数や業績に応じて新しい組織を作ることができる制度がある。この制度が、山本さんのその後のキャリアアップに大きく役立った。

住友生命 執行役員 人財共育本部副本部長 山本浩実さん
撮影=遠藤素子

入社翌年には、上司が立ち上げた支部の出張所長を務めることに。一緒に働きたいと思える人に声をかけるうちに仲間が増え、3年後には15人ほどの規模になった。

「組織を作っていくのは楽しかったですが、失敗もたくさんしました。皆をきちんと育てたい、成果を出させてあげたいと思いすぎて、メンバーがお客さまと会うときにいちいち付き添ったり……。でもあるとき、それではその人のためにならないと痛感したんです」

もともと世話好きな性格も手伝って、営業先に付き添うと、お客さまに喜んでもらえるように、メンバーを助けるためにと、ついつい自分が喋りすぎてしまっていた。その結果、契約には至っても本人には1人で営業する自信がつかないまま。それに気づいたのは、ある職員が「所長と一緒でないとお客さまのところに行く自信がない」と辞めていった時だった。

「上司の仕事とは何か」がわかった瞬間

自分の仕事はメンバーに成果を出させてあげることではなく、自信をつけさせることなのだと気づいた山本さん。「営業職にとっては契約をいただく瞬間が晴れ舞台で、お客さまにありがとうと言われることが自信につながるのに、私がその機会を奪ってしまっていた」と猛省した。

このとき、当時の上司から言われた言葉が今も心に残っている。チームの皆が大きな穴の中に入っているとしたら、穴の外から無理やり皆を引っ張り上げるのではなく、まずは皆の「出たい」という気持ちを醸成したうえで、自ら穴の中に入って下から押し上げるのが上司の仕事だと。そして最後に自分1人が残ったところで、皆に外から引っ張り上げてもらいなさい──。

「本当に目からうろこで、それからは皆を1人で送り出すようにしました。でもやっぱり気になって、こっそりついて行って車の中から見守っていたこともありましたね。その人が無事にご契約をいただいて笑顔で出てきたときは、本当にうれしかったです」

保険営業という仕事のイメージを変えたい

この時期には上司の役割を学ぶと同時に、保険営業の仕事を続ける意義も見つけた。ある日、自分が営業所に誘ったメンバーの1人がうれしそうに「所長がこの仕事に誘ってくれたおかげで家計が助かり、息子にサッカーを続けさせることができた」と言ってくれた。

それまでも、お客さまの人生を支える仕事としてやりがいは感じていたが、女性がキャリアアップできる仕事であり、働く母親を応援できると気づいたことで山本さんの「やる気スイッチ」が入った。この仕事を、より多くの女性が楽しく働けるものにしたいと思うようになったのだ。

住友生命 執行役員 人財共育本部副本部長 山本浩実さん
撮影=遠藤素子

だが当時、保険の営業職は偏った見方をされることもしばしばだった。短期間で辞めてしまう人も多く、そのことが保険営業の印象を悪くしているのではと感じていた。「この仕事や業界のイメージを変えたい」。この思いは、その後の全キャリアを通じて大きな支えになる。

悩んでいる部下をドライブに誘い出す

42歳のとき、営業所の皆と支部を立ち上げて支部長に就任。何をするにも「支部長はどうしたいですか」と聞かれるようになり、当初は自分の決断が、お客さまや部下の人生を左右するのだという責任感で身が震えた。「皆が乗っている支部という船を、泥舟じゃなくて豪華客船にしなきゃと一生懸命でした」と振り返る。

7年間の支部長時代を通して心がけたのは、人が辞めない組織づくり。職員が働き続けられる環境を整えることが、顧客の信頼や業界のイメージアップにつながると信じた。自分の後継となる支部長を育てることも自分の仕事だと感じたという。

「一人ひとりが自立自走できるよう、入社時にその人が大切にしていることや思い描く人生について、しっかり話を聞くようにしました。営業の世界はいいことばかりじゃないので、誰でも落ち込むことがあります。そんなときに励ませるように、職員それぞれの『やる気スイッチ』の把握に努めました」

悩んでいそうな部下を、3時間ほどドライブに連れ出したこともある。じっくり話すにはそれぐらいの時間が必要だろうという思いからで、この部下は帰る頃には「退職しようと思っていたけど残ります」と言ってくれた。

50歳で職種変更、初めての単身赴任

そして50歳になったとき、山本さんに大きな転機が訪れる。支社長から、総合キャリア職員への職種変更を打診されたのだ。これまでと違って全国転勤もある職種。家族はもちろん慣れ親しんだメンバーや、自身の顧客と離れる可能性もあり、山本さんは悩み抜いた。

尊敬する先輩支部長に相談したところ、「以前に、この仕事のイメージを変えたいって言ってたよね。私も同じ」と前置きしたうえで、その願いを実現する機会を会社がつくってくれたのだから、この仕事の良さをもっと伝えるためにも話を受けてはどうか、という言葉に胸を打たれた。

父親にも相談すると、そんな話をくれるなんて懐の大きい会社だから感謝して受けるようにと言われた。続けて「人生、大したことはない。目の前のことを一生懸命やりなさい」と。

「2人の言葉に背中を押されて、自信はありませんでしたが話を受けて東京本社へ異動しました。あの言葉がなかったら、今も愛知で営業職を続けていたと思います」

職種変更と異動を受ければ単身赴任にならざるを得なかったが、子育てはひと段落しており、夫も「君がやりたいことを止めたくないから」と理解を示してくれた。こうして、山本さんは50歳で初めて単身赴任することになった。

東京で暮らすのも初めてなら、与えられた仕事も営業とはまったく勝手が違う「育成担当部長」。初めてずくめの再出発に不安でいっぱいだったが、営業職出身者は仕事ができないと思われてはいけないと、自分なりに必死でがんばったという。

面談中に男性部下が落涙…

そのがんばりが認められたのか、翌年から数年ごとに昇格と転勤が続く。三重県で営業部長、山梨県で山梨支社長、愛知県で名古屋支社長を務めた。環境や業務が変わるたび不安やプレッシャーを感じたが、目の前にいる人を応援したいという思いが支えになった。

「初めて総合職の男性部下を持ったときは、私じゃ説得力がないかも、と身構えてしまいました。でも、話を聞いてみたら抱えている悩みや苦しみは私と同じ。面談で、業績や家族に関する悩みを話すうちに涙をこぼした男性もいて、『やっぱり人は人なんだな』と改めて思いました」

経営用語がわからず、会議中にこっそり検索

部下の性別や年齢にかかわらず、自分らしいコミュニケーションで相手を理解し、各人の個性を生かしたチームを作っていこう──。こうして自分なりのマネジメントスタイルを確立した頃、突然執行役員への昇格辞令が下りた。58歳で執行役員兼名古屋支社長に。

いきなり社長から電話がかかってきて執行役員にと言われ、「頭が真っ白になった」と山本さん。役員の仕事が何なのかまったくわからないまま、名古屋からオンラインで役員会議に参加する日々が始まった。経営用語がわからず、会議中にこっそり検索することもたびたびだったという。

一通り知識を得て、役員会議で出た話を現場にわかりやすく伝えられるようになった頃、東京本社に異動となり現職に就任。職員一人ひとりの「Will(やりたいこと)」を尊重し、会社の事業戦略と人材戦略をマッチングしていく仕事にやりがいを感じている。営業職出身として、本社と現場それぞれの考えを双方に伝えていくことも大事にしているという。

「業界のイメージを変えたいという思いは今も同じです。ただ、職員とお客さまに向き合うのはもちろん、今は社会にも視野が広がりました。職員、お客さま、そして社会全体から『住友生命があってよかった』と思われる企業にしていきたいですね」

プライベートでの夢は、定年後も仲間との楽しい時間を持ち続けること。皆で失敗談を振り返りながら、「大変だったけど一生懸命で楽しかったねって笑い合いたい」と目を細める。営業職員だった頃と同じように、これからも人と人とをつなぎながら、互いに一人の人間としてつき合える仲間を増やしていきたいという。

役員の素顔に迫るQ&A

Q 好きな言葉
人生、大したことはない
「父から言われた言葉です。今もピンチに陥ると、この言葉を思い浮かべて乗り切っています」

Q 愛読書
1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書』藤尾秀昭(監修)

印伝のペンケース
プレジデントオンライン編集部撮影

Q 趣味
旅行、ゴルフ、街歩き

Q Favorite item
印伝のペンケース
「印伝は山梨県の特産工芸品で、山梨支社長時代にいただきました。勝負事に縁起のよいトンボ柄もお気に入りです」