代理出産をテーマにした新刊『燕は戻ってこない』が好評の作家・桐野夏生さん。次々とパワフルな作品を生み出す桐野さんの執筆の原点、そして作家集団である日本ペンクラブ会長として成し遂げたいこととは――。
群衆の中でたった一人の女性
写真=iStock.com/3dts
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執筆は連載の前回分を読み直すところから始める

——桐野さんの小説を読むと、魅力的なキャラクターと読者を惹き込むストーリー展開、そして「自分ならどうするだろう?」という余韻が残ります。書き始める際はどこまで結末を決めているのでしょうか。

【桐野夏生さん(以下、桐野)】意外と行き当たりばったり(笑)。連載の締め切りが近づくと、前の号の原稿を読み直すというところからスタートします。『燕は戻ってこない』も結末を決めずに書いていたので、展開を気にかける担当編集者から「完結はいつごろでしょうか……?」と尋ねられたことも。

テーマだけ決めて、ストーリーは具体的に考えずに書き始めることが多いです。今回は代理出産がテーマだったので、資料を読み込んだり卵子提供のリスクを研究している方などに会って話を聞いたりしました。できれば代理出産で子どもを授かった人のお話も聞いてみたかったのですが、国内ではお会いできなかったですね。だから頭の中でイメージを膨らませて書きました。

生殖医療はどんどん進化しているので、日々情報との格闘。インドでの代理出産が法律で禁止になったりと、執筆中から書籍刊行までに変わったこともたくさんありました。

——実際の事件をモチーフにした著書も多数あります。新聞やニュースを見てテーマを思いつくこともあるのでしょうか。

【桐野】あります。本作にも出てきた通り、代理出産といえばウクライナが有名ですが、戦時下で代理母が産んだ子どもを依頼者が迎えに行けないという事態が起きているそうです。ニュースを見ながら、この子たちは今後どうなるのかと考えました。ここで産まれた子どもたちのことを書いてみたいというイメージは持っています。

——次回作が今から楽しみです。桐野さんの刊行ペースを見る限り、筆はかなり早いほうだとお見受けしました。1カ月にだいたいどのくらい書いていらっしゃるのでしょうか。

【桐野】今は連載全て合わせると月に100枚ほど。朝から晩までかけて20枚くらい書くこともあれば、書き出しがうまくつかめずにこれというものに出会うまでは数日かかることもあります。

締め切りに余裕がある日は家で配信のドラマを見たり本を読んだり。映画を見に行くこともあります。でも平日はなんだかんだと用事がありますし、打ち合わせやオンライン会議をすることも多いです。

エンタメからジェンダーの問題を発信するだけでも、世の中は変わる

——コロナ禍で韓国ドラマ『愛の不時着』にハマったというお話も伺いました。韓国のエンタメにはフェミニズム作品として認知されているものも多いですが、印象に残った作品や日本のエンタメが学ぶべき姿勢があれば教えてください。

【桐野】女性の描き方がリアルだと感心したのが、ソン・イェジン主演の『よくおごってくれるきれいなお姉さん』。職場でのパワハラやセクハラ、価値観を押し付ける過干渉な母親が出てくるなど、見ていてつらくなるような展開もありますが、面白い作品です。また10年ほど前の作品で、家族を養うために男装して女子禁制の名門校に通う女の子を描いた『トキメキ☆成均館スキャンダル』も面白かった。時代劇ものですが、普遍的な話だと思いました。

韓国は儒教的な考えが強いので、女性の立場は日本よりきついかもしれません。でもエンタメの本質が分かっているから、こういう強い作品を生み出せる。作り手が女性は何に共感するのかを理解しているような気がします。欧米の動きもしっかり見ているでしょう。

それに比べて、日本のドラマは単純すぎます。お母さんはいまだにエプロンをして、家族を支える役割を与えられていることが多い。ダイバーシティと言いながら、現実は追いついていません。エンタメからジェンダーの問題を発信していくだけでも変わっていくのではないかと思います。

精神的に大人になることこそ、真の自立

——桐野さんの代表作とも言われ、海外からも評価が高い『OUT』の出版から今年で25年を迎えます。桐野さんが作家を目指した、そもそものきっかけはどんなことだったのでしょうか。

【桐野】一番の目的は自分でお金を得て、経済的に自立したかったから。私が若い頃は、女性は就職せずに家庭に入る人も多かった時代。私も仕事には就いたものの、いろいろな事情があってすぐに辞めてしまいました。

作家の桐野夏生氏
撮影=プレジデントオンライン編集部

そもそも書くことが好きで、シナリオライターの学校に通っていたほど。一時期は育児雑誌のライターをやっていたこともあります。仕事は楽しかったのですが、ついあれこれ具体的な描写を盛り込み過ぎて、記事構成は向いていなかったと思います(笑)。結婚して子どもが生まれると、1年間ほど完全に専業主婦だったことも。子育ては面白かったですが、働けないという意味では自分にとってつらい時期でした。

そんな時に友人に誘われてロマンス小説を書いてみたら、これがとても楽しかった。途中で手を止めることができなくて300枚くらい一気に書いて「あれ、向いているかも?」と思いました。フィクションなら書きたいことをいくらでも書けるし、好きなことだけ書いてもいい。たちまち創作に夢中になりました。

ありとあらゆる文学賞にも応募しましたが、作家としてやっていけると感じたのは乱歩賞を取った43歳の時。受賞以前は創作活動と並行して、レディースコミックの人気作家だった森園みるくさんの原作を担当していました。森園さんは売れっ子だったから、私の収入も安定して、夫と同じくらいの稼ぎを得られるようになっていました。経済面だけを考えればそのまま原作者を続けてもよかったけれど、やっぱり自分の好きなものを書きたかったんです。

——桐野さんのお話を伺っていると、女性の自立とは経済面だけではなく、精神的な意味合いも大きいのではないかと感じました。

【桐野】真の自立って精神的なものかもしれないと思います。夫の収入で暮らしていても、精神的に自立している人はたくさんいます。精神的な自立とは大人になるということ。それには人を性別や立場で差別しないことや、自己責任論で誰かを評価しない、という気持ちの強さとフェアネスが必要です。

「これ以上、日本だけ後れを取らない」ために会長を引き受けた

——2021年に女性として初めて日本ペンクラブ会長に就任されています。会見での「ペンクラブにもジェンダーの視点が必要だから選出されたのだと考え、引き受けた」というコメントが心に残りました。

【桐野】苦渋の決断ではありました。私は書く人間。話すのは得意ではないので。ただ、海外のペンクラブでは女性が会長を務めるのはもう当たり前のことなんです。ここで私が引き受けなかったらまた日本だけ何十年も遅れてしまいます。それだけは嫌でした。

桐野夏生『燕は戻ってこない』(集英社)
桐野夏生『燕は戻ってこない』(集英社)

最近は会員が高齢化しているので若い人にもどんどん入ってきてほしいと思っています。規約には「書籍2冊以上」とありますが、本を出さなくてもSNSなどで作家活動をしている人もいます。ネットの潮流も見極めないと、どんどん時代遅れになってしまうと感じています。

ペンクラブは出版関係者が集まって表現の自由を訴える団体です。私が加入したのは、『バラカ』という政治的な作品を書いたことがきっかけ。思わぬ圧力がかかったりするかもしれないことを想像し、何か問題が起きたときに共闘してくれるような後ろ盾が欲しかったんです。でも実際には、自分が求めるような支援をペンクラブは行っていなかった。

今後は、作家が法的な相談を持ちかけられる窓口を設けたいとも考えています。人員や資金の問題もありますが、賛同してくれる人も多いので、実現に向けて活動していけたらと思います。