「女に生まれて損をしている」と思うことが多かった
——新刊『燕は戻ってこない』では代理出産をテーマに物語が進んでいきます。なぜ本作でこのテーマを選んだのでしょうか?
【桐野夏生さん(以下、桐野)】ここ数年の生殖医療の進歩に興味を持ったこと、またその背景に女性の貧困があるのではないかと感じたのがきっかけです。生殖医療について調べていくと、世界でも貧しい国の女性が代理母や卵子提供を行っていることが分かります。
ここ数年、日本でも若い女性が経済的に困窮している状況が聞こえてくるようになりました。日本でもそのうち女性の貧困につけ込む生殖ビジネスが現れるのではないか。そう考えました。
——代理出産を依頼する側と受ける側とを、食の描写で対比させていました。依頼する側は食事に非常に気を使っているのに対し、代理母の打診を受ける29歳のリキはお金がないため、おにぎりにカップ麺などの炭水化物ばかりの食事をしています。
【桐野】食を通して、いかに貧しい生活を送っているのかを表したいと思いました。ご飯を作る知識も技術もなく、食材にかけるお金もない。それを表したのが、リキの同僚で同じく非正規労働であるテルが持ってきた、ケチャップだらけのお弁当でした。
女性の生きざまは私自身の問題でもあります。私は70歳ですが、50年前は今とは比べものにならないくらい不公平な時代。若い頃から「女に生まれて損をしている」と思うことが多々ありました。そんな世の中に不満を抱いていた私に、新たな視点を与えてくれたのが学生運動やウーマンリブでした。
最近になって「#MeToo(ミートゥー)」やフェミニズム、ジェンダーという言葉も浸透してきましたが、そうした言葉がない時代から、女性が幸せになることが自分の幸せにつながると信じてきました。
母性信仰によって抑圧されてはいけない
——桐野さんがあるインタビューで「子どもに何かあったとき、すべて母親の責任になるのが不思議だ。鬼母という言葉はあるのに、鬼父はない」と語っていたのが印象に残りました。
出産や育児の面においても、女性の負担は大きくなりがちです。一方で、女性側も「ちゃんとした妻、母であらねば」と思い込んでしまう傾向にあるように感じます。
【桐野】日本は母性信仰が強い国。その背景にあるのは、「母親、父親とはこうあるべき」という家族信仰です。それゆえに子育てのすべてが女性の責任にされてしまうところは大きいと思います。でも「こうあるべき」と自分でも思い込んでしまっているなら、その考えが誰かによって押しつけられているものだということに気づいていないのかもしれません。恋愛して家庭を持って子どもを産みたいと考えることは自然な欲求です。でも、産んだ後に誰かに家にいろと命じられたりパート労働で搾取されたりするのは良くない。
「私は女性だから損をしている」と発言する人も増えました。「なぜこれだけ働いても給料が安いのだろう」「女性はあらかじめ決められている役割があるけれどなぜだろう」と、虐げられている人はとっくに気づいているんですよね。それを大きな視点、社会構造の問題として捉えられるといいのではないでしょうか。自分のせいではなく、女性が不利な立場に置かれていると考えていく訓練、習慣は必要だと思います。
また、女性を虐げるのは男性だけではありません。恵まれた立場にいる女性の中にも、「自分がたまたま恵まれていただけ」ということに気づかない人はいます。言い方は良くないかもしれませんが、「名誉男性」みたいなものでしょう。困っている人に気づいて目を向けられるのか。他者について考える視点を持ってほしいです。日本において、自己責任を問う風潮が年々強くなっていることも危惧しています。
——本作の中にも、たびたび自己責任論が登場しています。代理母になるというリキの選択を「自分で決めたこと」「お金がなくて家賃を払えなかったかもしれないが、それも自己責任」と切り捨てる発言や、引きこもっていて不健康そうに見える登場人物に対して、「本人の努力が足りない」という趣旨の発言をするシーンが出てきます。
【桐野】ここまで自己責任論が叫ばれるようになったのは、新自由主義のせいだと思っています。経済的な構造の問題ですね。全世界がお金を得ようと国別に戦っていて、貧しい国は一生貧しいままで終わる。戦わないと勝てない世の中でコストパフォーマンスを上げるためには、労働力が安いほうがいいに決まっています。
こうした構造が続く中で、いつの間にか「うまくいかないのは社会のせいではなく、自分の努力が足りないせいだ」と思わされてしまった人たちがたくさんいます。これはお金を儲けようとする会社や国にとって、とても便利な都合のいい思想だと思います。
私自身は自己責任とは折り合わない人間。だから、「悪いのは本人ではなく、社会」と思って描いています。
必要なときに自分の道を選べる強さが必要
——自己責任論と母性信仰を結びつける人もいます。血のつながらない父親から虐待されたというニュースに対して「母親が女性を捨てられないせいだ」とニュースにコメントする人も少なくありません。
【桐野】それは明らかに女性差別ですよね。「母親は恋愛なんかするものではない」「子どもを一番に考えるべき」と思っている。もしかしたら女性同士でもそう思って、同性を縛っているところがある。書き込みする側も、これは差別だということに気づいていない。
自己責任論と差別はとても仲がいいのです。差別をする人は想像力が欠けているから、差別だと気づかない。大変な思いをしている人を「この人はどうせがんばれない人だ」と、切り捨ててしまう。
私が若い頃に比べると、差別的な発言に対する社会の意識はかなり変わったと思います。でもそれは建前。ネット上でひどいことを言う人もたくさんいます。「いじめは絶対ダメ」と言いつつ、掲示板では誰かのことを叩く。ダブルスタンダードが当たり前の世の中なんです。
——桐野さんの小説には、ストレートな物言いをする主人公が多い気がします。桐野さん自身の考えを投影されることも多いのでしょうか。
【桐野】「自分はこうしたい」とはっきり主張できる人は周囲に波風を立たせるので、物語が動きます。だからなるべく強い人間を登場させるようにしています。でも、主人公の行動や思考は「この人ならこう動くだろう」と私が想像しているだけ。今回もリキだからこんなふうに揺らぐだろうと思って描いていますが、もし私自身が物語に登場するなら、どんなに貧しくても代理母になることは選ばないのではないかと思います。なので、物語が動かない(笑)。
でもリキのことは好きです。今まで書いてきた小説も、女性主人公にはほとんど共感できますね。人生において選択を迫られたとき、そこで選べる強さに惹かれます。必要なときに自分の道を自分で決められること。これは私自身が人生において大事にしてきたことの一つかもしれません。
(後編に続く)