「欲しいのはスイーツではなく武器」
「全ての演説には、政治的意図がある」
ハーバード大学の授業で、クリントン元大統領のスピーチライターだった教授が言った言葉だ。留学中だった当時の私には「そんなものだろうか?」とピンと来なかったが、ウクライナで戦争が始まってからは、あの時の教授の言葉の意味が分る気がしている。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって2カ月。この間、ウクライナがここまで結束を固め、また各国がウクライナを支援しようと動いたのは、ウクライナのゼレンスキー大統領が「演説」という武器をうまく使ったことも、大きな要因の一つだろう。
4月23日、大統領は避難シェルターにもなったキーウの地下鉄駅で、異例の記者会見を行った。そして、アメリカのブリンケン国務長官とオースティン国防長官のキーウ訪問を前に「手ぶらでウクライナ訪問はできない。ケーキやスイーツの土産も求めていない。欲しいのは武器だ」と強い口調で支援を求めた。
これらの言葉に込められた政治的意図は、「戦争を終わらせたい」「そのために必要な支援をしてほしい」。大統領はこの目的のため、戦渦の中で、連日のようにカメラの前で人々に語りかけ、欧米、日本の議会や国際機関などで演説し、各国を説得しようとしてきた。
その勢いは、今も止まっていない。人々の共感を呼び、支持を得るためにと考え抜かれたスピーチの数々は、政治家としての「伝える力」を見せつけるものばかりだ。
ゼレンスキーのスピーチライター
ゼレンスキーのスピーチライターは、38歳の元ジャーナリストで政治アナリストのドミトロ・リトヴィン(Dmytro Lytvyn)だという。彼は、イギリスの新聞オブザーバー(Observer)の取材で、「このテーマは、あまり話さないようにしている」と断った上で、「スピーチでは、感情が一番大事。当然大統領自身が、その感情の表現と論理構成を担っている」と語っている。
ゼレンスキー大統領の政党「Servant of the People(国民のしもべ)」の政治アナリストだったリトヴィン氏は、戦争当初からウクライナ大統領官邸に住み込み、今では毎日大統領の考えを引き出しているという。
喜劇役者から政治家に転じた44歳の大統領と、38歳のスピーチライター。大統領の演説は、相手国の歴史や国民感情を調べ上げたうえで書かれ、老練ささえ感じられるほどに練られている。とても、これほど若いコンビから生み出されているとは思えないほどだ。
ロシア語でロシア人に語り掛けた大統領
最初に私がゼレンスキー大統領の演説に衝撃を受けたのは2月24日、侵攻前夜に、ロシア語でロシアの国民に向けて語りかけた言葉だった。
「私たちは異なる存在です。しかしそれは、私たちが敵同士になる理由にはならないのです」
目前にせまりつつある戦争を回避しようと、必死にロシアの人々に語りかける様子は、心に強く訴えるものだった。
ゼレンスキー大統領の母語はロシア語なので、ロシア語の演説は難しくはないかもしれない。だが、それにしてもこの演説は、とても綿密に組み立てられていると、カナダ人でパブリックスピーキングの専門家であるジョン・ジマー(John Zimmer)氏は分析する。
ジマー氏はブログの中で、演説にちりばめられた「あなた(あなた方)」と「私たち」という言葉は、聴衆との距離を縮める上で最も効果的だと指摘する。
この演説には、ほかにもさまざまな手法が使われている。例えば、以下の部分だ。
「私たちは、戦争など望んでいません。冷たいものも(冷戦)、熱いものも(熱い戦争:武力戦争)、ハイブリッドなものも」と、3つの言葉を並べて聴衆に訴えかける。
さらに、質問と答えを繰り返す手法も取り入れている。
「(戦争で)一番苦しむのは誰なのでしょうか? 人々です。こんな戦争を誰よりも望まないのは誰なのでしょうか? 人々です。これを止められるのは誰なのでしょう? それは人々なのです」といった具合だ。
また、最後に質問を投げかけて演説を終えると、聴衆に強く訴えることができる。演説の最後は、この質問で締めくくった。
「ロシア人は戦争を望んでいるのでしょうか? 私はこの問いにぜひ答えたい。しかし、その答えは、ロシア連邦の国民であるあなた方にかかっているのです」
アメリカ人に響く「民主主義」「独立」「自由」
ゼレンスキー大統領の演説には、「最も相手国の人々の心の琴線に触れる言葉は何か」が徹底的に研究され、盛り込まれている。
前述のハーバード大教授は、「演説に、聴き手が大切にしている『価値観』や『信条』が盛り込まれると、共感を呼び、心に響く」と言っていた。
アメリカ人が大切にしている言葉は、独立宣言や聖書に使われているものが多い。ゼレンスキー大統領がアメリカ議会の演説で使った「democracy(民主主義)」「独立(independence)」「freedom(自由)」も、独立宣言で印象的に使われる言葉だ。
独立宣言には「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と書かれている。ゼレンスキー大統領は、その心をよく理解していたに違いない。
「攻撃された記憶」で共感を呼ぶ
「私は、あなた方のラシュモア山国立記念碑にある著名な大統領の顔を覚えています。民主主義、独立、自由、そして勤勉に働き、正直に生き、法律を尊重するすべての人を大切にする、今日のアメリカの基礎を築いた人々の顔です」
ロシアのウクライナへの侵攻は、「私たちの自由、自国で自由に暮らす権利、未来を自分たちで選択すること、幸せを望むことに対する攻撃なのです、そしてこれは、あなた方アメリカ人が求めている夢と同じ、国家の夢への攻撃なのです」と語りかける。
さらに、この演説には、有名なマーティン・ルーサー・キング牧師の「I have a dream(私には夢がある)」と同じ手法も使われた。ゼレンスキー大統領は、「I have a dream」の代わりに、「I have a need.(私には必要なものがあります)」と訴えた。
「私には必要なものがあります。私は私たちの空を守る必要があるのです。あなたの決断と助けが必要なのです」
ゼレンスキー大統領は、歴史的な記憶を思い起こさせて、アメリカ人の心に訴えかけることにも成功した。真珠湾攻撃と911(アメリカ同時多発テロ)だ。
「真珠湾攻撃、1941年12月7日の恐ろしい朝、飛行機の攻撃で空が真っ黒になったことを思い出してください。9月11日を思い出してください。2001年の恐ろしい日、悪があなたの都市、独立した領土を戦場に変えようとしたとき、罪のない人々が、空から攻撃されたのです」
今でもアメリカ人の心には、真珠湾攻撃の記憶が心に深く刻まれている。2016年、当時のオバマ大統領が広島の平和記念公園を訪問し慰霊碑に献花したが、当時日本の政府内には、この訪問に消極意見もあった。もし、オバマ大統領が広島を訪問したら、当時の安倍首相が真珠湾訪問を求められるのではないかとの懸念があったからだという。
結局、両国のトップはそれぞれ、広島と真珠湾を訪問したのだが、この2つの出来事が、どれほど戦争の傷跡として両国国民の心に深く刻まれているかを、象徴しているような気がしてならない。
イギリス議会ではスタンディングオベーション
3月に行われた、イギリス議会の演説も話題になった。イギリス議会では、外国の首脳による演説はゼレンスキー大統領が初めて。彼は、イギリスのチャーチル元首相が、第2次世界大戦でナチスドイツと戦った時に行った歴史的な演説、「我々は海外で戦う、我々は水際で戦う、我々は平原と市街で戦う、我々は丘で戦う。我々は決して降伏しない」になぞらえ、次のように話した。
「我々は海で、空で戦い、どれだけ犠牲を出しても領土を守る。森の中で、野原で、海岸で、都市や村で、通りで、丘でも戦い続ける」
イギリス人の心を打ったのは言うまでもない。議会はスタンディングオベーションで沸き、涙する議員もいたという。
日本では「原発」「サリン」「津波」「桃太郎」
日本では、広島・長崎に言及するのではないかと思われたが、実際は盛り込まれなかった。原爆を落とした側であるアメリカ人の心を、逆なですることを懸念したのかもしれない。
ゼレンスキー大統領は、自国のチェルノブイリ原発に触れ、日本の福島第一原発の経験を重ね合わせるようにこう表現した。
「過去に大惨事が起きた原発がどうなっているか、想像してみてください。破壊された原子炉は覆われ、核廃棄物の貯蔵施設があります。ロシアはこの施設をも戦場へと変えました」
ロシア軍がウクライナの化学工場を攻撃したことについても触れ、「我々は、特にサリンなどの化学兵器による攻撃の可能性について、警告を受けています」と述べている。
そして、東日本大震災を意識してか、ロシアの侵略を「侵略の津波(tsunami)」と表現した。しかし、他の国のスピーチにあった、武器供与などの具体的な要求は、日本での演説には盛り込まれなかった。
4月に記者会見したウクライナのセルギー・コルスンスキー駐日大使は、これらの演説は相手国の文化、法律、政治的な環境をすべて理解したうえで準備され、使われる言葉も慎重に選ばれたと述べている。「もちろん、(憲法第)9条は認識している。日本の政治的環境、とりわけ日本の国民の戦争に対する姿勢についても、よく理解して選ばれた言葉だった」
演説の最後に、ゼレンスキー大統領は、妻のオレーナさんが視覚障害を持つ子どものためのオーディオブック制作に参加したエピソードを披露した。彼女は日本のおとぎ話の音声を吹き込んだという。この時はおとぎ話の題名は明かされなかったが、「桃太郎」だったそうだ。日本文化への配慮も怠らなかったわけだ。
ギリシャやイスラエルでは演説への批判も
とはいえ、ゼレンスキー大統領の演説が、批判を受けることもある。
ギリシャ議会でウクライナ支援を求めた大統領の演説は、多くの議員に歓迎されたが、同時に映し出された、アゾフ大隊隊員によるビデオメッセージには批判が集まった。アゾフ大隊は、現在は内務省傘下の部隊に編入されているが、元々2014年に極右グループを中心に結成され、ネオナチ思想との関連性が指摘されたこともある、いわくつきの部隊だからだ。
「ギリシャ議会でのネオナチ・アゾフ大隊のメンバーの演説は挑発行為だ。ナチスが国会で発言することはできない」と野党の議員のみならず、与党議員数人も反発した。
ビデオに登場した隊員が、「私たちはギリシャ系ウクライナ人だ」と言っていたことを考えると、彼らを通じてギリシャとのつながりを強調する意図があったのかもしれない。しかし、あまりよい選択ではなかったようだ。
イスラエルでは、ロシアの侵攻をホロコーストになぞらえてウクライナへの支持を訴えたが、「第2次世界大戦中に起きたホロコーストは、何事にも比較されるべきものではない」と一部イスラエルメディアから厳しい批判を受けている。
“忘れられた紛争”にしないために
世界の歴史や各国の利害関係は複雑に絡み合っている。だからこそ、ゼレンスキー大統領の演説はあっぱれだと思う反面、危ういと感じるところもあるのだ。
しかし、大統領の演説行脚はこれからも続くだろう。
先日私がインタビューしたスタンフォード大学フーバー研究所の歴史学者、二アール・ファーガソン氏は、こんなことを言っていた。
「残念ながら、過去の例から見ても、人々は災害などへの興味を失いやすいことが証明されています。(昨年8月にアメリカ軍が撤退した)アフガニスタンを見てください。何週間もの間、アフガニスタンがタリバンの手に落ちたことが一番の話題になっていました。でも、数カ月後の今、ほとんどのアメリカ人はまったく気に留めていません。この戦争が長引けば、ウクライナも同じ運命をたどるかもしれないのです」
ウクライナを“忘れられた”紛争のシリア、アフガニスタン、イラク、ミャンマーにしないためにも、ゼレンスキー大統領の必死の発信には意味がある。世界の人々が関心を持っている間にウクライナの戦争を終わらせなければ、忘れ去られて戦争が延々と続くことにもなりかねない。そんな最悪のシナリオを現実にしてはいけないと強く感じている。