4月16日に早稲田大学の社会人向けマーケティング講座で、吉野家の常務取締役企画本部長(当時)の伊東正明氏が、吉野家のマーケティング施策について「生娘をシャブ漬け戦略」などと発言し大炎上した。これに対し、伊東氏の元部下でライターの女性が謝罪のツイートを行ったが、コラムニストの河崎環さんは「『女性部下の忖度』という指摘もあり確かにその通りだが、賢明で妥当なツイートだったと思う」という――。
吉野家の看板
写真=AFP/時事通信フォト
吉野家の看板

「生娘シャブ漬け」発言の大炎上

「制裁」を起こしたのは、まず早稲田だった。次に吉野家。もしこれが自分の発言が招いた結果だとすれば、勤め人ならきっと事態の大きさの前に愕然とするだろう。そしてこれらの「自分に対して」発行された公式アナウンス文書の、微量も容赦なく断固たる文言に震え上がるだろう。

本学講座における講師の不適切発言について
学外の学修者へのリカレント教育である「デジタル時代のマーケティング総合講座」における講義担当の株式会社吉野家常務取締役企画本部長の発言は、教育機関として到底容認できるものではありません。
早稲田大学として受講生の皆様に心よりお詫びするとともに、当該講師に厳重に注意勧告を致します。
なお、当該講師には「デジタル時代のマーケティング総合講座」の講座担当から直ちに降りていただきます。
早稲田大学公式ホームページ「トピック」2022年4月18日掲載
当社役員の解任に関するお知らせ
1. 執行役員および子会社取締役解任について
当社は、昨日開催いたしました臨時取締役会において当社執行役員および子会社である
株式会社吉野家常務取締役の伊東正明氏の取締役解任に関する決議を行い、2022年4月18日付で同氏を当社執行役員および株式会社吉野家取締役から解任しましたのでご報告します。本日以降、当社と同氏との契約関係は一切ございません。
2. 解任理由
同氏は人権・ジェンダー問題の観点から到底許容することの出来ない職務上著しく不適
任な言動があったため、2022年4月18日付で同氏を当社執行役員および株式会社吉野家取締役から解任しました。
吉野家ホールディングスホームページ「プレスリリース」2022年4月19日掲載

吉野家ホールディングス前常務取締役企画本部長・伊東正明氏による「生娘シャブ漬け戦略」発言は、株式会社吉野家と、その発言の現場となった社会人対象講座を主催する早稲田大学の双方による抗議・解任へと即直結した。「生娘」とは性経験のない(主に10~20代などの若い)女性を指し、「シャブ漬け」とは違法薬物の濫用を明確に連想させる言葉だ。発言があったのは4月16日。それから2日での解任は、日本の企業カルチャーではまれに見る迅速さだった。

弁明の余地ない「一発アウト」

発言の何がどうアウトだったのか、なぜ牛丼を若年層の女性に食べてもらう企画として「生娘シャブ漬け戦略」という言葉を用いるような人物が業界でも有名な「マーケター」とされ、日本最大の牛丼チェーンの企画マーケティングを担う執行役員の地位にいたのかなどは、これまでさまざまなメディアで評され、語られた。

発言の問題は基本的に3点に整理されるだろう。

個人的資質の問題:違法行為、若い女性に対する性暴力を連想させる浅薄で不適切なワーディングを職業的な公開の場で口にする無神経と無配慮
社内ポジション上の問題:執行役員として経営側に参加している自社の商品を「安物」と貶め、社のブランドをマーケティング戦略担当責任者が自ら毀損
業界の体質的問題:それを有料マーケティング講座での講義内容とすることに不適切さを感じない職業的傲慢、マーケティングなるものが経験論のみで語られ、一発当てた人材がスター化する業界構造

「一発アウト」との言葉が硬軟さまざまなメディアに躍った通り、そこに弁明の余地はなかった。

なぜ男性告発者はいなかったのか

ただ、この問題が露見し、ここまで大きな影響をもたらすに至ったきっかけは、受講者女性が発言に不快感を覚え、抗議したツイートだった。講義後に、講座の運営にも意見したとのことで、その人物に対しては「よくぞ」と勇気を称える論調が強い。

だが一方で、それを同じ空間で聞いていた男性たちは何をどう感じていたのだろうかという疑問はある。講座会場では、その場の当惑の空気はあったという。だがすぐに直接の抗議に出た男性はいなかった。この問題が炎上したあとのSNSでも、伊東発言の何が誰をどう傷つけるか(失礼か)とか、伊東氏個人のキャリアや業界体質や出身母体の大企業を「分析」して批判する男性の投稿はあまた存在した。でも、女性と同様に端的に「キモい」「言語道断」と問答無用で断じるものは少なかったように思う。

男性たちの「分析」の言葉ににじむ感情は、「けしからん、自分はそうじゃない、そういう男は迷惑だ」などというものよりも、「あいつ、しくじったな」「自分達はうまくやるにはどうしたらいいか」「お互い気をつけましょう、発言は慎重にね」という空気が個人レベルでは強かった。

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※写真はイメージです

「分析」すれども「抗議」せず

なぜ男性は「分析」はすれども「抗議」しないのか? 「俺はそういう男と一緒じゃない。そういう男は迷惑だ、やめろ」と、なぜ男は男を戒めないのか。問題と自分との距離を縮め、自分ごととしないのか。

「分析」とは、俺は感情的にはならないと示すポーズであって、理性を装えど自分達自身から目を逸らしているのだ。もしかして自分もそうなりかねないという男性間の同族的な遠慮や罪悪感からであるにせよ、沈黙は消極的な肯定だ。そこに女たちは苛立つ。「あなた個人はどうなのか」「なぜ男の中でそういう男を戒める空気がないのか」。いまだ男性社会の色濃い企業などでは特に、セクハラやパワハラなどのハラスメント問題、それらを包括するコンプライアンス問題は、男性が男性を断じなければ根本的な解決は望めないのである。

そういった点で、伊東発言に対する早稲田や吉野家のスピーディーな対応には「それしかない対応を素早く打った」と評価の声も上がった。だがそんな当然と言えば当然の対応を褒められてしまうくらい、日本のビジネスシーンではそんな当然の対応すら取られてこなかったことの表れでもある。

傍観していると自分の身が危ない

いまだ誤解されることも多いようだが、セクハラ、パワハラといった行為は、ニヤニヤ顔で噂され消費されて終わる「醜聞」ではない。傍観者としての薄ら笑いのスルーでは済まない、失職や、その先の法的訴追へつながる、法律問題だ。場合によっては「笑って見逃した人間も同罪」となりかねない、シリアスな話なのである。

「一発アウト」とされる伊東発言の現場ですら、当惑の空気はあったものの、その場で抗議行動を起こせる人はいなかったという。日本のビジネスシーンにおける同調圧力の強さを痛感させられるが、今回の件で(発言者本人の意識では『冗談めいた』)性的なアングルからの問題発言に対しても、「沈黙=消極的な肯定」は場合によっては自分の身を危険にさらす可能性があるぞ、とあらためて意識した組織人もいるかもしれない。

たとえば、もしこの件でこの先の吉野家の売上に甚大な影響が出た場合に「伊東氏を諸手を挙げて吉野家の経営陣に招いた人物は誰だ?」という責任追求の動きが発生しないとはいえない。吉野家はその点の対応も迅速で、伊東氏解任の同日、プレスリリースで代表取締役社長の3カ月間の固定報酬30%減額を明らかにしている。リスクの匂いがすることに対しては、その場できちんと意見したり、態度を表明したりする必要があるということだ。よく言われる、誰かの悪口に黙って頷いていただけで「あいつも仲間だ」とされ、派閥争いに巻き込まれて失脚させられる話と同じである。

元部下の女性の謝罪は“忖度”か

自分に関わりのある問題には、黙り込まずに態度を表明せねばならない。発言せねばならない。

この潮流の中で、いま男性のみならず女性もまた「変わらなきゃ」のフェーズにあると感じる。女性の社会的プレゼンスが高まるにつれて、女性はいつまでも被害者ではなくなってきた、平場での対等なプレーヤーとして男性と同じルールが課され、十分に当事者としての発言が要請されるようになってきた、ということである(実に当たり前のことなのだが)。

伊東発言の傍らで、その元部下として知られ、起業家・ライターであるトイアンナさんのツイートもまた、物議を醸した。彼女は伊東正明氏がP&Gジャパンマーケティング部に所属した時代の「部下の部下」にあたり、独立してキャリアや恋愛分野のライター・マーケターとして活躍、たくさんの著作もあるネット言論の有名人だ。プロフィールにこれまでのキャリアとしてP&GジャパンやLVMHジャパンの名前を明記することで差別化を図り、ウェブインタビューなどで尊敬する上司に伊東氏を挙げるなどしてきた(トイアンナ・インタビュー「オンラインビジネススクール立ち上げの勝算と、P&G時代に伊東正明さんから学んだこと」)。つまり、P&Gや伊東氏との関係性がネット上で可視化されていた人物だ。

トイアンナさんのツイートは、特に同じ女性の間で波紋を呼び、一部では批判を生んだ。

「このたび、P&G時代の私の上司の上司格にあたる伊東正明さんが、早稲田大学の講座でセクハラに当たる発言をされたと知りました。受講生のFBコメントを見るに、とても許される発言ではありません。」
「傷ついた受講生の皆さん、大変申し訳ございません。今後こういった言動を起こさないよう、伊東さんへメッセージでキツイ諫言かんげんを送ります。また、しかるべき責任は本人が取るものと思います。しかし、それでも傷つきが消えるものではありません。元関係者として重ねて、深くお詫び申し上げます。」
「と同時に、こういった発言は私のような、これまで伊東さんに関わってきた人間が醸成した文化でもあります。P&G時代にそれを私が部下として提言しなかったことが、今の結果につながっています。」

批判の中には、「なぜその場にいたわけでもない、今一緒に仕事をしているわけでもない女性が、元上司のセクハラ発言を謝らなきゃならないのか?」という意見もあった。

だが私は、P&Gという出身母体と上司の知名度で賢くセルフブランディングをしてきた彼女が、その責任を引き取った、賢明で妥当なツイートだったと受け止めている。でも彼女への批判としては「女性部下の忖度」という意見もあって、非常に難しい。なぜなら、厳しいがその通りだからだ。でも、恩義ある男性上司のセクハラ発言に、男性部下ですら公開SNSなどという場でコメントしにくいというのに、女性部下がコメントするのはどう転んだって難しいわけで、この場面で誰にでも通用する正解なんかないだろう。

男性だけでなく、女性にも求められる変化

謝罪の基本ルールは、過ちや無礼の原因を「自分事情」にする、ということだ。他責せず自分がかぶることで、最も被害が小さくて済む。

意図的かつ論理的にバズを狙うと常から発言しているマーケターであり、ネット言論人として「リスクとは何か」を熟知する彼女が取ったリスクヘッジとして、私はスマートだと思った。忖度と責めたいのなら忖度ではあるが、案の定、彼女は伊東発言炎上の「延焼」を最小面積に止めることができ、ツイッターアカウントを一時的に非公開にしたものの、現在では公開に戻すことができている。

伊東発言自体はどの条件下でも、相手が仮に「発言にユルい」タイプの聴衆だけだったと仮定しても、早稲田大学の社会人リカレント講座で滔々とうとうと語るには、性加害めいた内容は一発アウトしかない、そういう事例だった。

職場や、特に意思決定層で女性のプレゼンスが高まるなどダイバーシティーインクルージョンが進むと同時に、こういうビジネス言語や振る舞いの部分で、しかるべき「調整」が進む。コンセプトなどの抽象概念を語るクリエイティブな場面ではなおさら、その人の語彙と世界観があらわになり、これからも業界や男女関係なく、さまざまな炎上事例が出てくるのだろうと予想される。

その調整の動きは男性側にのみ進むのではなくて、同時に女性側にも双方向に進んでいくもの。男女ともに、得るものと、いま甘受している部分から失うものはイーブンである、と、お互い気づくべきタイミングである。