前代未聞の「立皇嗣の礼」
現在、皇嗣(皇位継承順位第1位)のお立場でいらっしゃる秋篠宮殿下は、「立皇嗣の礼」関連の行事の締めくくりとして、4月20日から23日にかけて三重県の伊勢神宮、奈良県の神武天皇陵、京都府の明治天皇陵・孝明天皇陵などにお参りされた。新型コロナウイルス感染対策に配慮されて、往路は自動車を利用されている。さらに26日には、東京都の武蔵陵墓地にある昭和天皇陵・大正天皇陵なども参拝された。
これら一連のご参拝は、ご自身が「皇嗣」になられたことを、皇室のご祖先に奉告されるための行事だ。伊勢神宮には皇室の祖先神の天照大神が祀られている。神武天皇が初代の天皇とされていることは改めて説明するまでもない。昭和天皇は天皇陛下と秋篠宮殿下にとって祖父に当たられ、亡くなられた方としては時代的に最も近い天皇であられた。
天皇陛下の「立太子の礼」(平成3年〔1991年〕2月23日)の時には明治天皇陵・孝明天皇陵などへのご参拝はなかった。今回それらが加わったのは、秋篠宮・同妃両殿下の「思し召し」によるという。
ただし歴史上、これまで「立太子の礼」が行われたことはあっても、「立皇嗣の礼」という儀式はまったく前例がない。
不確定な“傍系”の「皇嗣」の立場
「皇太子」であれば、天皇のお子様(皇子)=直系として次代の天皇に即位されることが理念上、確定しておられる。だから、皇太子になられた事実を内外に明らかにする「立太子の礼」を行う当然の理由がある。ところが、皇太子でない“傍系”の皇嗣の場合は、必ずしも次代の天皇になられることが確定していない。
たとえば、上皇陛下が昭和8年(1933年)12月23日にお生まれになる前は、昭和天皇の弟宮だった秩父宮が、大正から昭和へと時代が移って以来、ずっと「皇嗣」のお立場だった。しかし、上皇陛下がお生まれになった瞬間に、皇位継承順位が“第2位”になられたので、「皇嗣」というお立場から外れられることになった。傍系の皇嗣というのは、このように不確定なお立場だ。
秋篠宮殿下はあくまでも傍系の皇嗣でいらっしゃる。にもかかわらず、あえて前代未聞の「立皇嗣の礼」という新しい儀式を考案した政府のやり方には、いささか首をかしげる。
「皇太子」と傍系の「皇嗣」の大きな違い
皇太子と傍系の皇嗣の違いについては、皇室典範の規定を見るとよくわかる。第11条第2項にこんな条文がある。
「親王(皇太子及び皇太孫を除く。)、内親王、王、女王は……やむを得ない特別の事由があるときは、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる」(カッコ内も原文のママ)
この条文で注目すべきなのは、皇室会議の議決による皇籍離脱について、適用外とされているのが直系の皇嗣である皇太子と皇太孫“だけ”である点だ。言い換えると、傍系の皇嗣は例外扱いされないことを意味する。つまり皇嗣であっても、傍系の場合は皇室典範のルール上、皇籍離脱の可能性が否定されていない。したがって、次代の天皇として即位されることが確定している皇太子・皇太孫とは、お立場が大きく異なるのは明らかだ。
秋篠宮さまは即位を辞退されるのか
その上、秋篠宮殿下ご自身も即位はされないおつもりと拝察できる。
まず、ご本人がご高齢での即位を辞退される可能性について言及されたとの報道があった(朝日新聞デジタル、平成31年〔2019年〕4月20日20時20分配信)。「(天皇になることは)思ったことがない」とも。
即位辞退というのは、一見、突飛な報道のように受け取られたかもしれない。しかし、制度としては可能だ(皇室典範第3条。園部逸夫氏『皇室法概論』参照)。しかも、天皇陛下と秋篠宮殿下のお年はわずか5歳しか違わない以上、普通に考えて十分にありうる選択肢だろう。だから、これは極めて重大な報道だった。
しかし宮内庁は、これよりはるかに重要度が低いケースについてさえ、迅速かつ厳格に否定してきたにもかかわらず、秋篠宮殿下の即位辞退についての報道は、とくに否定しなかった。もし事実無根の報道だったら、決してそのまま放置することはなかったはずだ。
「皇太子」になる可能性もあった秋篠宮さま
次に、安倍内閣の時に上皇陛下のご退位を可能にする法整備をめぐって設置された「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の座長代理を務めた、政治学者で東京大学名誉教授の御厨貴氏の証言がある(朝日新聞デジタル、令和2年〔2020年〕11月8日、16時56分配信)。
「上皇さまの退位に関する議論が開始された当初は、秋篠宮さまが『皇太子』と呼ばれる可能性もあった。だが、途中で政府高官から、秋篠宮さま自身が『皇太子の称号を望んでおらず、秋篠宮家の名前も残したい意向だ』という趣旨の説明があり、皇位継承順位第1位の皇族であることを示す『皇嗣』という称号に落ち着いた。秋篠宮さまの真意は今もわからない」
「政府高官」というのは主に内閣官房長官を指す。この場合はおそらく当時の菅偉義官房長官からの「説明」だろう。
「皇太子」を辞退し「秋篠宮」を維持
これは注意すべき証言だ。何しろ、秋篠宮殿下が自ら①次代の天皇になることが確定していると受け取られる「皇太子」という称号を辞退され、②内廷(いわゆる天皇家)から離れた“傍系”であることを示す「秋篠宮」という宮号の維持を望まれたというのだから。
しかも、御厨氏は有識者会議の座長代理を務めた当事者であり、キーマンだったこと、秋篠宮殿下が「皇太子」または「皇太弟」などの称号を持たれ、内廷に編入されることもあり得たのにそうならなかったこと、この証言に対して「政府高官」や宮内庁などからクレームが付かなかったことなどから、おおむね事実を伝える証言と見てよいだろう。
これが事実なら、秋篠宮殿下の「真意」は「今もわからない」どころか、上述の皇太子と傍系の皇嗣の“違い”に照らして、極めて明瞭ではあるまいか。
ただし、「皇太子」というのは、今の皇室典範では天皇の“お子様(皇子)”に限定して使われている。“お孫様(皇孫)”なら「皇太孫」だ。
「“皇太子”辞退」の真意
第8条に以下のようにある通り。
「皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という」
この用語法を踏まえると、秋篠宮殿下は天皇陛下の“弟宮(皇弟)”なので「皇太弟」という称号を新しく制度化するはずだったのだろう。もちろん、「皇太弟」でも次代の天皇となることが確定したお立場と見られる。そこで、秋篠宮殿下としてはそれもお避けになって、“その時点”で継承順位が第1位であることを示す一般的呼称にすぎない「皇嗣」を望まれた、ということだったと拝察できる。
もはや秋篠宮殿下の“真意”は明らかだろう。「即位されるおつもりはない」ということだ。
ちなみに、宮内庁は秋篠宮殿下が“外出”される時に、皇太子の場合に用いる「行啓」ではなく、一般皇族と同じ「お成り」という語を使って、きちんと区別している。これはあまり気づかれていない事実かもしれない。
秋篠宮殿下が即位されるおつもりがないという推測をさらに補強する事実がある。それは、ご即位にともなって行われる「大嘗祭」という大切な祭儀のあり方について、皇族のお立場としては異例と思えるほど踏み込んだ“批判”をされた事実だ。
即位にともなう大嘗祭のあり方を批判
令和の大嘗祭を翌年に控えた平成30年(2018年)のお誕生日に際しての記者会見(11月22日)で、次のように述べておられた。
「大嘗祭については、これは皇室の行事として行われるものですし、ある意味の宗教色の強いものになります。その宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか、これは平成のときの大嘗祭のときにもそうするべきではないという立場だったわけですけれども……宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています。……言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば。……そのことは宮内庁長官などにかなり私も言っているんです。ただ、残念ながら……聞く耳を持たなかった。そのことは私は非常に残念だったと思っています」
今の憲法下での大嘗祭という伝統的祭儀のあり方は、政府・国会で検討を重ねた大きな“政治的テーマ”だった。もちろん宮内庁長官などの守備範囲を大きく越えている。
憲法の政教分離原則と、同じく憲法の世襲制にともなう「伝統的な皇位継承儀礼」である大嘗祭との、両者のバランスの取り方が丁寧に検討された。その結果、「国の行事」ではなく、かといって私的行事でもなく、「皇室の公的行事」と結論づけられた。天皇陛下も上皇陛下もそうした整理を受け入れてこられた経緯がある。
「立皇嗣の礼」は心外な行事だったのでは
たとえば天皇陛下は、皇太子として最後になった平成31年(2019年)のお誕生日に際しての記者会見で、次のようにおっしゃられた。
「即位に関わる一連の皇室行事の在り方については、平成のお代替わりの折の前例を踏まえ、政府において十分な検討を行った上で決定したものと理解しております。また、様々な事項の決定については、私も折々に説明を受けてきております」
また、翌年(令和2年〔2020年〕)のお誕生日に際しての記者会見(2月21日)でも、以下のように述べておられた。
「儀式の在り方についての質問ですが、平成へのお代替わりにおける一連の即位儀式の際、現行憲法下における初めての即位ということもあり、儀式の在り方について、慎重に検討がなされたと承知しております」
これを真正面から批判することは、憲法上は民意に基礎を置く建前になっている政府・国会と“政治的”に対立するばかりか、天皇陛下、上皇陛下のお考えにも背きかねない。
しかも、大嘗祭がご即位に当たって必ず行われるべき祭儀であることを考えると、秋篠宮殿下がもし即位されるおつもりなら、やがて祭儀の当事者になられるので、その時に深刻な政治的紛糾を招きかねないご発言は、おそらくお控えになったのではないだろうか。
そのように拝察すると、政府が新たに立案した「立皇嗣の礼」という前代未聞の儀式は、おそらく秋篠宮殿下にとって心外な行事だったはずだ。皇族数の確保策を検討した有識者の報告書に、現在の「皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」(6ページ)と書かれていたのも、残念ながら殿下のお気持ちとはかけ離れていたと言わざるをえない。