2022年に開幕したラグビー新リーグ。その発足に向け、法人準備室長・審査委員長として中心的役割を果たしていた谷口真由美氏は、なぜ、突如としてラグビー界を追われることになったのか。その背景には“おっさん社会の掟”があったという――。

※本稿は、谷口真由美『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

オフィスで口論する男女
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邪魔をするのは「変化をこばむおっさんたち」

日本ラグビー協会にかかわった2年間、私はつねに違和感を持っていました。

組織を変えるために呼ばれたはずなのに、そのためにいくら意見を言っても、新たな施策を提示しても、「変化をこばむおっさんたち」にことごとく邪魔されてしまうのです。

積極的に改革を推し進めるよりも、これまでの慣習に従い、協会の実力者や強豪チーム・大企業の意向に逆らわず、ひたすら従順であることが良しとされる――私がやろうとしたことは、ラグビー界の「同調圧力」とも呼ぶべき古い体質にことごとく跳ね返されてしまいました。

各チームとの交渉では「現状を変える意味がわからない」と取り合ってもらえないことが多く、なかには「企業の方針ややり方に口を出されると会社幹部の機嫌を損ねてしまう」と、ラグビー界の未来よりも「組織の論理」を優先する人たちもいました。それはラグビー協会内部も同様です。責任をとりたくない「おっさん」たちが、上役の顔色を見て黙り込み、外部や若手からの改革案をスルーする――そんな光景が何度も繰り返されました。

繰り返される「失敗の本質」

ラグビー協会のそんな姿を見て思い出したのが『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎の共著、中公文庫)という名著です。1984年に出版されたこの本は「なぜ日本軍は太平洋戦争で度重なる失敗を犯してしまったのか」を組織のあり方から細かく分析し、現在でも版を重ねるロングセラーとなっていますが、私のラグビー協会での経験は、この本で示された「日本軍」と重なる部分が非常に多いと思います。

谷口真由美氏
谷口真由美氏(撮影=藤岡雅樹)

合理的思考よりも優先される年功序列主義、それに伴う上長への行き過ぎた配慮、曖昧な命令による組織の迷走――。いずれもラグビー教会で目にした光景です。ワールドカップで南アフリカ(2015年)、アイルランド、スコットランド(2019年)という強豪を撃破したことで慢心してしまった点も、日清戦争、日露戦争で勝利を収めた“成功体験”から悲惨な太平洋戦争に突き進んだ日本軍を想起させました。

こう話すと「ラグビー協会はなんて古臭い組織なんだ」と思われる方も多いでしょう。しかし、このような組織の硬直化は、なにもラグビー協会に限った話ではなく、日本の津々浦々で起きているのではないかとも感じます。

ラグビー協会理事を退任してから、組織の中で働く女性や若者たちとさまざまな情報交換をしてきました。その中で多く聞かれたのは、「谷口さんの経験は特殊なものじゃない。私も同じような悔しい目に遭ってきた」という意見でした。組織内で若手や外部の人間が改革を志しても、中間管理職以上の「おっさん」たちによって、実のある議論は封じられ、出る杭は打たれてしまう。女性や若者たちは、そうしたことはどんな組織でも多かれ少なかれ起きていると言うのです。とくに長い歴史と伝統を持つ企業や組織ほど、そのような傾向は強いという話でした。

日本独特の「絶対服従」タテ社会

日本の社会人類学の草分け的存在である東京大学名誉教授の中根千枝先生は、つねに「女性初」という形容詞で語られる方です。「女性初の東大教授」「国立大学初の女性研究所長」「女性初の日本学士院会員」……。いまも女性は各分野で男性社会の「壁」と戦っていますが、女性研究者のパイオニアとして道を切り拓いてきた彼女が、相当の困難を乗り越えてきたことは間違いありません。

そんな中根先生の代表作と言えば、なんといっても1967年刊行の『タテ社会の人間関係 単一社会の理論』(講談社)です。中根先生は著作で、世界でも独特の日本社会の在り方を鋭く分析しています。

日本社会の特徴は「タテの原理」で動いていること。職種・階層などを基盤にしてヨコにつながるインドや欧州とは対照的で、会社・組織などの「場」が重視され、そこでは先輩・後輩、上司・部下といったタテの原理が強く働いていると、中根さんは論じました。

大きな男にひれ伏す小さな男たち
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中国人はつねに年長の者に対して、象徴的にいえば、二、三歩さがった地点に自分をおくといったような行動において序列を示しているが、何か重要な決定を要する相談事項となると、年長者に対してもいちおう堂々と自分の意見を披瀝する。日本のように、下の者が自分の考えを披瀝する度合にまで序列を守るということはない。

これはインド人においても同様であり、また、意見の披瀝という点では中国人以上に自由である。インドで私が最も驚いたことは、中国同様に敬老精神が高く、またカーストなどという驚くべき身分さがあるのにもかかわらず、若い人々や、身分の低い人々が、上の身分の人々に対して、目に見える行動においては、はっきりとした序列を見せるが(決してタバコを吸わないとか、着席しないとかいうように)、一方、堂々と反論できるということである。

日本では、これは口答えとして慎まなければならないし、序列を乱すものとして排斥される。日本では、表面的な行動ばかりでなく、思考・意見の発表にまでも序列意識が強く支配しているのである。

これらの記述からは、ラグビー協会の総会で目にした光景が甦りました。発言するのは外部の女性理事ばかりで、高校、大学、実業団と有力チームに進み、長く選手・コーチを経験した“ラグビー歴が長い協会関係者”ほど幹部の前で押し黙る状況は、まさにその通りでした。現役時代に、素晴らしいタックルやひたむきなプレーでファンを魅了した方たちがびっくりするくらいタックルもしない状況には驚くばかり。明治、早稲田、慶応、筑波、東大といった大学OBのつながり、強豪社会人チームのつながり……そういった派閥が幅を利かせ、お世話になったり、自分を引き上げたりしてくれる大先輩の前では絶対服従。

選手としての実績、学閥……。そんな背景と無縁の私が、ラグビー改革のため、協会の透明化のため、と思って意見しても、それはラグビー村の「おっさん」たちにとっては“口答え”であり、和を乱すものでしかなかったのかもしれません。

「序列」が幅を利かす組織では、抜擢された人間、外部から登用された人間はそうでない人にとって嫉妬の対象となりやすく、それも改革を妨げる一因です。私を含め外部から女性理事が登用されたことで、「自分もようやく協会理事になれる」と思っていた「おっさん」がポストを与えられず、その影響が私たち“外からやってきた人間”の改革を拒んでいた面は否定できないでしょう。「嫉妬」という言葉が“女へん”で表されていること自体、疑問を感じます。

日本の病理「おっさん社会」

請われて来たはずの私が、中傷され、排除の対象になってしまう――そんな状況に「おかしい」という声が上がらないほど、ラグビー協会の「おっさん」たちは、内部だけでしか通用しない「タテ社会の論理」で動いていたのです。

谷口真由美『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』(小学館新書)
谷口真由美『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』(小学館新書)

『失敗の本質』や『タテ社会の人間関係』が日本的組織の問題点を論じたのは、いずれも昭和の時代のこと。しかし、私が「まるで令和のラグビー協会の話ではないか」と感じるくらい、現代においてもその指摘は普遍性を帯びています。

アメリカから連合国総司令官のマッカーサーがやってきて“外圧”で日本を強制的に変えても、男女平等などグローバリズムの波が押し寄せても、日本の病理である「おっさん社会」はほとんど変わっていません。情報化・多様化が進み、さまざまな価値観に触れられるようになった現代でも、「おっさん社会」はまるで形状記憶合金みたいに、いつのまにかその形を取り戻してしまうのです。

「それが日本人の国民性だから仕方がない」と片づけてしまうのは簡単です。しかし、戦後75年で社会のあり方や価値観がドラスティックに変わったのにも関わらず、根深く「おっさん社会」が残っていることにはなにか大きな原因があるような気がしてなりません。