社会はおっさん的な言動や価値観に厳しくなった。法学者の谷口真由美さんは「よほど脇が甘い人でない限り、女性に対してあからさまなハラスメント行為や発言をしたりはしません。ですが『女性』や『立場の弱い者』を前にしたときに、些細なところから『おっさん的な本質』がにじみ出てしまうのです」という――。

※本稿は、谷口真由美『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

悲しい顔を被ったビジネスマン
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些細なところに滲み出る「おっさん的な本質」

社会は「おっさん」的な言動や価値観に以前より厳しくなりました。年功序列制や終身雇用制は少しずつ成果主義へと変わり、組織はメンバーシップ型からジョブ型への転換を図り、外部からの人材登用も盛んになっています。人権意識も徐々にではありますが浸透し、かつて野放しになっていた女性やマイノリティを蔑視する発言は世間から厳しく糾弾されます。

谷口真由美氏
谷口真由美氏(撮影=藤岡雅樹)

私が新リーグ設立のため悪戦苦闘していた時期に、森喜朗・東京オリンピック・パラリンピック組織委会長の女性蔑視発言、そして東京オリンピック・パラリンピックの開閉会式の演出を統括するクリエイティブディレクター・佐々木宏氏が女性タレントの容姿を侮辱する演出案を関係者にLINE上で提案したことが相次いで批判され、いずれも辞任に追い込まれました。これも「時代がおっさんに厳しくなった」という一例でしょう。

そのため、批判や処分を恐れる「おっさん」たちは、よほど脇が甘い人でない限り、女性に対してあからさまなハラスメント行為や発言をしたりはしません。ですが「女性」や「立場の弱い者」を前にしたときに、些細なところから「おっさん的な本質」がにじみ出てしまうのです。それを踏まえ、私が定義する「令和のおっさん」は次のような人たちです。

「アレオレ詐欺の常習犯」令和のおっさん像

上司や目上の人間の前では平身低頭。組織から弾き出されたくないので、とくに「ムラの長」には絶対服従。しかし部下や下請けなど立場の弱い人間にはとにかく高圧的。

●口癖は「みんながそう言っている」「昔からそうだよ」「それが常識だ」という3つの思考停止ワード――理屈ではなく、慣例や同調圧力で部下を黙らせる。

とにかく保守的。ITをはじめとする新しい技術や価値観には無関心。部下や若手からの提案に対しては「リスクが大きい」「誰が責任を取るのか」と否定から入る。自分が退職する日まで“勝ち逃げ”できればいいので、組織が退化してもいいと考えている。「若い人のために一肌脱ぐ」なんてことは地球最後の日が来てもやらない。

そのくせ「アレオレ詐欺」の常習犯。人の功績、部下の功績は自分の手柄。会社になんの貢献もしないわりに、目の前の帳尻を合わせて上司の機嫌を伺う要領の良さばかりある。

あなたの近くにも、思い当たる人がいるかもしれません。

怒るビジネスマンと謝罪する女性
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「おっさん的マインド」が招いた企業の不祥事

平成という時代は、しばしば「失われた30年」と表現されます。バブル崩壊後、景気も雇用も冷え込み、日本全体が長らく元気さ、明るさを失っていました。そのため「おっさん」たちは、企業に蔓延する「後ろ向きな空気」をいっぱいに吸い込んで生きてきたわけです。するといつの間にか年功序列にしがみつき、権力者に付き従い、長いものに巻かれるのが「安全」だという思考に陥ってしまう。その結果、なにが起きるか。会社をより良い方向に発展させたり、社会に貢献する仕事をしたいという「大義」よりも、目先の「帳尻合わせ」が先に立ってしまうようになるのです。

2011年に粉飾事件で上場廃止の瀬戸際まで追い込まれたオリンパス、2015年に不正会計が発覚して以降さまざまな問題が露呈した東芝、2021年に組織的な検査不正が発覚した三菱電機など、近年、日本を代表する企業で数多くの不祥事が起きていますが、これらはまさに「おっさん的マインド」が遠因となった事件ではないでしょうか。

池井戸潤さんの小説『オレたちバブル入行組』(文春文庫)で描かれ、大人気テレビドラマにもなった半沢直樹は、まさにそんな「おっさん」たちと同世代です。半沢は上司や重要な取引先、巨大な権力を敵に回してでもけっしてブレることなく「大義」を貫きます。偉い人の前では絶対服従、大義よりも組織の論理――そんな大人には絶対なりたくない、半沢のようになりたいと、かつては考えていた人たちが、その理想を曲げて「おっさん」になってしまっている現実があるのです。

悪いリーダーは間違った方向を指示する
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中高年男性=「おっさん」ではない

こうやって「おっさん論」を展開していくと、「谷口真由美は中高年男性の敵や!」と激怒する方もおられるかもしれません。しかし、実は「年齢」「性別」は決定的な問題ではありません。私の定義する「おっさん」は中高年男性に限って存在するわけではありませんし、もちろん大義と胆力でいくつになっても「おっさん」にならない男性だって多いのです。それに、若い人でも、女性でも「おっさん体質」の人はいます。難しいのは、男性社会のなかで活躍している女性にも、「おっさん」が少なくないことです。私はそんな人たちのことを、「オバハン」と呼んできました。

森喜朗さんが、五輪組織委の女性理事たちを「みんなわきまえている」と評して問題となりました。もちろんこれは森さんが話しているだけで、実際のその女性たちがそうなのかはわかりません。ただ、男性中心の常識で回っている組織において引き上げられた女性のなかには、「わきまえるタイプ」が非常に多いことも事実です。あなたの周りにも、たいして仕事ができるわけでもないのに、はるか年上の男性上司に寵愛を受けることで組織内に大きな影響力を持ったり、異例の出世を遂げたりする女性はいませんか?

「ジジ殺し」なんて言葉がありますが、「どうしたらおっさんの機嫌とプライドを損ねないか」を熟知しているコミュニケーションスキルの高い女性が、もし「大義」や「組織の未来」よりも「自分の利益」「保身」を優先する利己的なタイプだった場合、それはかなり厄介な「おっさん」と言えるかもしれません。ただし、それは彼女たちの生存をかけた「生きる術」とも言え、女性が組織でマイノリティである間にこの批判を女性たちに向けるのは酷というものですが……。

オンナ対オンナの構図をつくり高みの見物を決めるおっさんたち

また、メディアも「おっさん的価値観」を日本社会に定着させてしまっている面は否定できません。たとえば、選挙中の報道で、女性の姿が目立つとメディアはすぐに「美しすぎる○○議員」や「○○ガールズ」と命名します。これらの用語からは、明らかに女性を下に見ている思考回路が透けて見えます。

また、メディアは政治家、経営者、タレントなど、あらゆる分野で「オンナ」対「オンナ」の構図をつくるのも大好きです。私には「オンナの敵はオンナ」という刷り込みを図っているとしか思えませんが、この構図をつくりだして高みの見物を決め込むのは、いつも「おっさん」たちです。おっさんという「マジョリティ」(多数派)に向け、社会に出ようとする女性(マイノリティ)をネタにする安易なフォーマットの報道を繰り返していることは、日本社会の「おっさん化」の一因と言えるでしょう。

単なる数合わせでは「おっさん社会」は変わらない

ちなみに2021年度の日本ラグビー協会の女性理事は全25名のうち10名。女性比率は40%となり、スポーツ庁が策定したガバナンスコードの目標値に達したことになります。なかでも浅見敬子さんは女性初の副会長となりました。

谷口真由美『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』(小学館新書)
谷口真由美『おっさんの掟 「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」』(小学館新書)

9月30日には新リーグ運営法人の名称は「一般社団法人ジャパンラグビートップリーグ」から「一般社団法人ジャパンラグビーリーグワン」に変更。理事長も森重隆さんから理事の玉塚元一さんに代わりました。理事には、チームの「幹事」たちも名を連ねています。女性が増え、協会内部の情報が共有されて、以前とは違う「風通しのよい組織」になったのか。“ラグビー村”の異質さを女性理事が率直に指摘し、それが改善されるような雰囲気になっているのか。

部外者の私には知る由もありませんが、2年間の在籍期間で得た経験から言えば、その道のりはまだまだ遠いような気がしてなりません。女性活躍を推進する組織という体裁を整えるために、女性理事たちを単なる「数合わせ」と考えていないことを祈るばかりです。