年齢制限がないなら「やろう」
官房長官や厚生労働大臣を歴任した前衆議院議員の塩崎恭久さんは、現在71歳。2人の息子は既に独立し、長男は父の跡を継いで衆議院議員になった。昨年28年間にわたる国会議員生活に幕を下ろし、今後は悠々自適の生活かと思いきや、昨年10月に里親になるための3回の研修を受けた。順調にいけば、春にも里親候補として認定される予定だ。
里親は、虐待や経済的な理由など、さまざまな事情で実の親と一緒に住むことができない子どもたちを自宅に迎え入れ、一定期間一緒に暮らす制度だ。塩崎さんは議員時代、こうした、親と暮らせない子どもたちの「児童養護」の問題に関心を持ち、厚労大臣としても、関連の法整備を進めてきた。
議員を辞める前、塩崎さんは、愛媛県の児童相談所に行き、里親の年齢制限について聞いたそうだ。「年齢制限はないというから、『じゃあ、僕でもできるじゃないか』と言ったら、もちろんできますというので、じゃあやろうと。女房にも聞いたら、『いいわよ』と言ってくれた」と言う。
親と暮らせない子どもは3万人
日本には、親の虐待や貧困、親の病気や死亡などの理由で、親や親せきと暮らすことができず、施設や里親家庭で生活する子どもが3万人以上いる。特に増えているのが、親の虐待だ。
児童虐待で、塩崎さんの心に強く残っている事件が2つある。2018年、東京都目黒区に香川県から引っ越してきた5歳の女の子、船戸結愛ちゃんが、親からの虐待で死亡した事件。そして、2019年千葉県野田市で小学4年生の栗原心愛さん(当時10歳)が父親に虐待を受けた末、死亡した事件である。
目黒の事件は、結愛ちゃんが、「もうお願い ゆるしてくださいおねがいします」と両親に許しを請う手紙がマスコミで公開され、大きな反響を呼んだのを覚えている人も多いだろう。また、心愛ちゃんは、学校で行われたアンケートに「お父さんにぼう力を受けています」と回答したが、後にこのアンケートのコピーを野田市教育委員会が父親に渡していたことも明らかになった。
「こんな手紙を、二度と子どもに書かせてはいけない」と、塩崎さんは、「児童の養護と未来を考える議員連盟」の代表として、そして厚労大臣として法整備に努めてきた。
子どもには、特定の養育者との「結びつき」が必要
子どもの健全な成長には「愛着(アタッチメント)」という、親などの養育者との間に築かれる心理的な結びつきが大切で、養育者が頻繁に子どもを抱っこしたり触れ合ったりしながら育てることで築くことができるといわれている。しかし、虐待を受けたり、主な養育者と離れてしまうとうまく愛着形成ができず、過度に人を恐れたり、不安定になるなど、精神面の発達に影響を及ぼすことがある。
現在、親と暮らせない子どもの約8割は児童養護施設や乳児院などの施設で暮らしているが、アタッチメントは特定の大人との精神的な結びつきから生まれるものなので、シフトで担当者が交代したり、職員の退職などで養育者がかわる施設では、アタッチメント形成が難しいことも多い。塩崎さんは、家庭にできるだけ近い形で子どもに愛情を注ぐためには、里親を増やすしかないと思うようになったという。
「人間として大事な時期に、親や親代わりの大人からの愛を受けずに、健全な発育ができるわけがない。これは本気でやらないといけないと思った」と、里親について真剣に考え始めた理由について塩崎さんは振り返る。
週末だけ、夏休みだけの預かりも
里親は、法的に親子関係になる養子縁組とは違い、子どもの親権者は実の親のままだ。子どもは、親の環境が整った時点で親元に帰るか、一般的に18歳になった時点で自立することになる。とはいえ、この「一定期間」というのもいろいろな形がある。
例えば夏休みや週末のみ、一時保護の間のみということもあれば、数年にわたることもあり、いろいろな形態があり得る。必ずしも「一度受け入れたら子どもが18歳になるまで面倒をみなくてはならない」わけではない。「自分はこの年齢(71歳)なので、小さい子どもが18歳になるまで面倒を見るというのは考えられないが、ここ数年ぐらいの間に、できる範囲のことができればいいのかなと思っている」と塩崎さんは言う。
「『このままだと虐待につながるおそれがある』という状況の家庭から、子どもを一時的に預かるといった、予防的なやり方もあるでしょう。そんな時に役に立つことがあればと思っている。児童相談所で『誰か預かってくれる人がいないか』と探す時の、一人の候補者として考えてもらえればいいと思う」
共働きでも里親になれる
里親には、「経済的に困窮していないこと」などの認定基準はあるが、共働きの人でもなることができるし、実子がいても問題ない。厚生労働省によると、2020年3月現在、里親全体における共働き夫婦の割合は43%だ。
また、里親世帯には経済的支援もある。子ども1人当たり月額9万円(2021年度予算)の里親手当のほか、食費、洋服代などの一般生活費として、1人当たり月額5万2130円(乳児の場合は6万110円)、その他、教育費、医療費、入進学支度金なども自治体から支給される。
「テレビで里親の宣伝って見たことがありますか? ないでしょう? もっと里親について広く知ってもらえれば、『それなら私たちもできるんじゃない?』という夫婦が、もっと出てくると思うんだ」と塩崎さんは言う。
「子どもの支援」後回しにしてきた日本
塩崎さんは2014年9月から3年間厚生労働大臣を務めたが、大臣に就任した時、「日本の児童福祉は、浮浪児対策の延長なのだ」と聞いて驚いたそうだ。
「日本の児童福祉法は、昭和22年(1947年)にできた法律で、戦争孤児がガード下や道端で暮らして餓死したり凍死したりするのを防ぎ、施設に収容して保護し、育てることが目的だった。しかし、時代は大きく変わり、1990年ごろになると虐待が増えてくる。これは、世界共通の現象で、工業化が進み核家族化が進むとともに虐待が増えてくると言われている」と言う。
「親からの虐待というのは、子どもにしてみれば一番愛してほしい人からいじめられるわけですから、精神的な発達にも影響します。ものすごく難しい問題であるにも関わらず、日本は専門性を高めたり、支援体制を整備するなどの対策が不十分なままできてしまった」と指摘する。
また、日本は1994年に「子どもの権利条約」を批准したが、当時の日本の国内法には、「子どもの権利」という言葉はどこにも書かれていなかったという。そこで、塩崎さんたちが手掛けたのが2016年に改正された児童福祉法だ。
もともとは、大人目線で書かれていたこの法律に「子どもの権利優先」「子どもの最善の利益優先」「家庭養育優先」という原則を書き込んだ。
家庭で子どもを育てることが難しい場合は、「家庭における養育環境と同様の養育環境」で継続的に養育されるべきだということも条文に書き込んだ。この条文のお陰で、実の親が育てることが難しい場合は、特別養子縁組や里親、それが難しければ、できるだけ家庭に近い環境で子どもを育てられる小規模な施設で育てようということになった。数十人が1つの建物の中で集団生活を送るといった、従来の大型施設は好ましくないということになったのだ。
2018年には、「概ね7年以内(3歳未満は概ね5年以内)に、乳幼児の里親委託率75%以上、概ね10年以内に学童期以降の里親委託率を50%以上」という目標も定められた。
ところが、現状はかなり厳しい。
厚労省によると、2020年度末時点で、施設や里親などに預けられている子どもは約3万3810人。このうち、里親へ預けられているのは7707人で、里親委託率は22.8%にとどまっている。約8割の子どもが、今も児童養護施設や乳児院で暮らしている。
虐待は増加、増えない保護児童数
日本は海外の主な国と比較しても、里親委託率が極端に低い。2018年前後の値ではあるが、オーストラリアの委託率が92.3%、カナダ85.9、アメリカ81.6%、香港でも57%となっており、日本はまだまだ低い。
また、少し前のデータではあるが、イギリスのイースト・アングリア大学のジューン・トバーン名誉教授の2007年の研究によると、児童人口1万人当たりの保護児童数が日本は極端に少ないということが明らかになった。
フランスの児童人口1万人当たりの保護児童数は102人で、主要国の中でトップ。ドイツは74、アメリカは66、イギリスは56だが、日本はたった17人だ。これは、「日本が平和で虐待がない国だから」という理由ではないだろう。
日本の虐待相談対応件数は年々増加しており、2020年度は過去最多の20万5044件。前年度から1万1263件増えた。一方、要保護児童数(里親、乳児院、児童養護施設、児童心理治療施設、児童自立支援施設、母子生活支援施設、自立援助ホームで暮らす子どもの数)は、2019年度で4万3650人だったが、この数は過去25年以上にわたりほぼ横ばいである。
つまり、虐待相談が増えているのにも関わらず、保護する子どもの数は増やせていないといえる。
最近も、虐待されて亡くなった子どものニュースが後をたたない。岡山県で亡くなった5歳の女の子は、鍋の中や墓地で全裸で立たされるなどの虐待を受けていたことが明らかになったし、神奈川県では2019年、当時7歳だった次男の鼻と口をふさぎ、窒息死させた疑いがあるとして、母親が逮捕された。
「児童相談所も把握しているのにこうなってしまう。亡くなれば表に出るが、多くのケースはそうではない。誰にも知られず、虐待を受け続けている子どもはたくさんいるだろう」。塩崎さんは、国や自治体が把握しているケースは、氷山の一角だと見ている。
対応は追いついていない
課題は山積みだ。
例えば、塩崎さんの地元の愛媛県には児童相談所が3つあるが、松山市などを管轄する中央児童相談所が、人口90万人以上を抱える大分、高知、広島、山口の4県境にまたがる広い地域を担当しているという。しかも、里親を担当している職員はたったの1人。担当区域には、移動に5時間ぐらいかかる場所もあり、とても1人で回りきれない。
「(2019年に虐待で亡くなった)栗原心愛さんが住んでいた千葉県野田市を管轄していたのは、柏児童相談所でしたが、この児童相談所は人口135万人のかなり広いエリアを担当していた。そういう地域がたくさんある」。個々の児童相談所がカバーする広さや人口を考えると、足りていないところが多く、行政の対応が追いついていないと塩崎さんは指摘する。
里親の“地域格差”
里親委託率も地域によって差がある。国からは自治体に対し、里親のリクルートや登録、研修や活動を支援する交付金制度があるが、熱心な自治体とそうではない自治体があり、補助金の申請額にもバラつきがある。
全国で里親委託率が一番高いのは、新潟市の58.3%(2021年3月末現在)。一番低い宮崎県は10.6%で、新潟市の5分の1以下だ。この違いは、自治体の取り組み姿勢のほか、里親経験者で作る里親会の熱心な活動やNPOのサポートが影響しているという。
すでにいくつかのNPOが自治体からの委託を受け、里親のリクルートや里親支援などの事業を行っている。これから里親を増やすためには、専門知識を持った民間の協力が欠かせないと塩崎さんはいう。
「NPOなどの民間の力を借りて、どんどん里親事業を推進してもらうことが必要だ。里親を経験した人がNPOなどで里親の支援をするといった、広がりも出てくると思う」
最近、塩崎さんは、千葉県で20年近く里親として子どもを育て、今も子どもを6人預かっている女性から話を聞く機会があったという。
彼女は現在、福島県の農家と組んで、農家の人に里親になってもらおうという取り組みを進めている。農家からの反応もよいそうだ。
「子どもたちも、いろいろ学べていいんじゃないかと思います。彼女からは、『(塩崎さんの地元の)愛媛県のみかん農家と組んで里親を広げたらいいんじゃないですか』と言われた。僕も、知っているみかん農家に里親を勧めてみようと思っている」