日本人同士が結婚した場合、家族のメンバーは全員が「国民」か、全員が「皇族」かのどちらかになる。しかし、神道学者で皇室研究者の高森明勅さんは「政府が国会に提出した提案は皇族の『家族の一体性』を崩し、親子や兄弟姉妹の間で皇族と国民が混在する可能性を抱える。ほとんどブラックジョークのようなプランだ」という――。
成年行事を終えた天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=2021年12月5日午後、皇居・宮殿「梅の間」[代表撮影]
写真=時事通信フォト
成年行事を終えた天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=2021年12月5日午後、皇居・宮殿「梅の間」[代表撮影]

奇妙で不自然な政府の提案

政府は現在、「皇族数の確保」のための方策について、自らの提案を国会の各政党・会派の検討に委ねている。自民党や一部の野党は今のところ、政府の提案を前向きに評価しているようだ。しかし、その中身を冷静に点検すると、極めて奇妙で不自然なプランと言わざるをえない。何しろ、皇室を構成する皇族方の「家族の一体性」を支える“家族メンバーの身分・立場の同一性”を、壊してしまう制度設計になっているからだ。

日本人同士の結婚で、主に夫婦と未婚の子どもによって構成され、生活をともにする家族において、改めて言うまでもなく、国民の家族は夫婦も親子も兄弟姉妹も皆、同じく「国民」だ。

皇室の場合はどうか。

男性皇族と国民女性が結婚した場合、女性が皇族の身分を取得するルールになっている(皇室典範15条)。夫婦はともに皇族。お子様が生まれたら、そのお子様ももちろん皇族とされる(同5・6条)。だから家族は皆、同じく「皇族」ということだ。

秋篠宮殿下と紀子妃殿下のご結婚のケースを思い起こすとわかりやすいだろう。紀子妃殿下は学習院大学教授だった故・川嶋辰彦氏のご長女として生まれ、もちろん国民女性のお一人だった。ところが、秋篠宮殿下と結婚されることにより、皇族の身分を取得された。3人のお子様方がそれぞれ皇族として生まれ、育たれたことは改めて言うまでもない(ただし、ご長女の眞子様は先頃、国民男性と結婚されて、今の皇室典範のルールにより、国民の仲間入りをされた)。

女性皇族が国民男性と結婚されると、皇族の身分を離れ、国民の仲間入りをされる(同12条)。夫婦はともに国民で、お子様が生まれれば、そのお子様も国民だ。家族はやはり皆「国民」ということになる。高円宮家のご三女、絢子様は平成30年(2018年)10月29日、日本郵船に勤務される守谷慧氏と結婚されて、国民の仲間入りをされた。そして翌令和元年(2019年)11月17日に、めでたくご長男を出産されたが、このご長男はもちろん国民という立場だ。

つまり、日本人同士が結婚した場合、家族のメンバーは皆「国民」か、皆「皇族」かのどちらかであって、当たり前ながら一緒に暮らす家族の中に皇族と国民が“混在”することはない。

「妻は皇族、夫と子どもは国民」の世帯が生まれる

ところが、このたび政府が皇族数確保策として国会に提案したプランは、次のような内容だった。

プラン①=未婚の女性皇族(内親王・女王)がご結婚後も皇族の身分を保持することとする。その一方で、ご結婚相手が国民だった場合、その男性は国民のままとする。お子様が生まれたら、そのお子様も国民とする(有識者会議報告書10ページ)。

このプランでは、妻が皇族で夫が国民、お子様も同じく国民という、近代の皇室制度が整って以降、初めて皇族と国民が“混在”する前代未聞(!)の世帯が出現することになる。もし天皇陛下のご長女、愛子内親王殿下がこの制度の下で結婚された場合、ご本人は皇族の身分のままながら、お相手は国民としての立場であり続けることになる。

書かれるべきことが書かれていない

プラン②=いわゆる旧宮家系子孫の国民男性が現在の宮家と養子縁組を行い、皇族の身分を新しく取得することを可能にする。ただし、その男性に皇位継承資格は認めない。
養子縁組の時点ですでに養子にお子様がいれば、そのお子様は国民のままとする(同報告書12ページ)。

養子となった男性のお子様の扱いに触れながら、驚いたことにその妻については何ら言及がない。国民のままなのか、皇族となるのか、全く不明。

養子縁組後にその妻から生まれたお子様についても言及なし。

さらに、縁組後に結婚した妻およびその妻との間に生まれたお子様についても、言及がない。

あえて想像をたくましくすれば、養子は男性でも皇位継承資格がないという特殊な扱いながら、それでも一応「皇族男子」というくくりになると、現行制度の適用を受けて縁組後に結婚した妻や、その妻との間のお子様は皇族となる可能性が考えられる(お子様が男子の場合でも、皇位継承資格を持つかどうかは不明)。

この辺り、新しい制度を責任を持って提案するなら必ず明記すべき事項が、なぜか軒並み空欄になっている。不真面目なのか、それとも国民の目を欺こうとしているのか。いずれにしても、憲法上すこぶる重い地位にある、天皇および皇室を巡る制度への取り組みにはあるまじき不誠実な態度として、厳しい批判を免れないだろう。

それはともかく、プラン②においても親子や兄弟姉妹の間で皇族と国民が混在する可能性を抱えている。

手をつないで一緒に歩く家族
写真=iStock.com/monzenmachi
※写真はイメージです

「女性皇族の夫が政治家」も可能に

しかし、皇族と国民は憲法上、大きく隔たった位置付けを与えられている。

天皇・上皇・皇族方は、皇統譜に登録され、憲法1章の“優先的”な適用を受けられる。そのため、同3章が国民に保障している自由や権利は、全面的もしくは大幅に制約されざるをえない。選挙権・被選挙権、集会・結社・言論など表現の自由、居住・移転・職業選択の自由、外国に移住し国籍を離脱する自由等々は、いずれもそのまま認められない。

これに対し、国民は戸籍に登録され、憲法3章の“全面的”な適用を受ける。上記の自由や権利を全て享有する立場だ。

したがって、女性皇族の結婚相手の男性が、政府プランの通り国民のままとされた場合、「日本国の象徴」であり、「日本国民統合の象徴」(憲法1条)であって、「国政に関する権能を有しない」(同4条1項)とされる天皇および皇室の憲法上のお立場を損なう危険性を否定できない。

たとえばプラン①について、国民の目からは内親王・女王と“一体”と見られるのを避けにくい夫が、政界からのアプローチなどによって国政選挙に立候補することは、憲法上、国民に認められた当然の権利だから、一切、制約されてはならない。その結果、国会議員になり、やがて閣僚として大きな政治力を発揮する可能性も除外できないだろう。つまり、愛子内親王殿下の夫が政治家になることも、理論上は可能になってしまう。

あるいは、お子様が芸能プロダクションにスカウトされ、タレントとして活躍することも、国民であればもちろん自由だ。

さらに、特定の宗教団体の“広告塔”として積極的に活動するケースも、憲法上は普通にありうる。それらを制限することは、明確に人権侵害であり、憲法違反に当たる。

一見、荒唐無稽な話のようでも、政府プランでは制度設計としてこうした可能性を排除できない。

プラン②でも、家族の中に国民が混在する場合は同様の問題に直面する。

皇室典範が守る皇族の「家族の一体性」

そもそも皇室典範には、皇族の“家族の一体性(=身分の同一性)”を求める明文規定がある。それは13条だ。少し長いが全文を引用する。

「皇族の身分を離れる親王又は王の妃並びに直系卑属及びその妃は、他の皇族と婚姻した女子及びその直系卑属を除き、同時に皇族の身分を離れる。但し、直系卑属及びその妃については、皇室会議の議により、皇族の身分を離れないものとすることができる」

法律を読みなれていない人には、すぐにピンとこないかもしれない。わかりやすくかみ砕くと以下の通り。

皇族の家族において、何らかの理由(自らの意思や懲戒的な事情など)で夫(親王・王)が皇籍を離れる場合は、原則として妻(妃)もお子様など(直系卑属)およびその妻(妃)も同じく皇籍を離脱する(皆様、一緒に国民となられる)。

これは、まさに「家族の一体性(=身分の同一性)」が求められているから、と理解できる。

守られる「夫婦の身分の同一性」

ただし、例外が2つある。

その1は、「女子」がすでに他の皇族に嫁いでおられた場合。

その方やお子様は、夫(親王・王)と同一の皇族の身分とする。これは、女性皇族の場合、ご結婚相手の男性皇族の身分との“同一化”という要素が加わるためだろう。

その2は、皇族代表や三権の長などによって構成される皇室会議によって、特に“例外扱い”が認められた場合。この時には、お子様など(直系卑属)やその妻(妃)は、そのまま皇籍にとどまられる。

これは、皇族数の減少を防ぐとか、懲戒の連座的な適用を避けるといった、特別な事情がある場合に限られる。

しかも、皇籍を離れる男性皇族の妻(妃)は例外扱いされない。その妃がもともと皇族だった場合でも、夫とともに皇籍を離れることになる。それだけ、夫婦の身分が同一であることへの規範的要請は、より強いことを示す。

「象徴天皇」の基礎を支える土台

憲法2条には「皇位は世襲」との規定がある。にもかかわらず、それに“マイナス”に作用するはずの、親とともに直系卑属も皇籍離脱する規定を、皇室典範は皇族の家族の一体性を重んじる立場から、ことさら設けている。これは一体、どのような根拠によるものだろうか。

現在の皇室典範が制定される際、法制局(今の内閣法制局の前身)がまとめた「皇室典範案に関する想定問答」には、次のような説明があった。

「父祖と共に直系卑属は臣籍に入り、家を同じくし身分を等しくすることは人倫人情の自然といふべきである」

当時の法制局は「人倫人情の自然」、言い換えると社会通念を根拠としていた。たしかに、家族が身分・立場を同じくすることは社会通念上、当然のことと考えられる。

しかし社会通念だけを根拠に、最高法規である憲法の「世襲」規定の“足を引っ張る”ような制度を正当化するのは、いささか困難ではあるまいか。

ならば、他に根拠を求められるだろうか。

憲法は「天皇」について、「象徴制」と「世襲制」を定めている。そこから消去法で考えると、根拠はおそらく「象徴」規定ということになるだろう。

“象徴するもの”と“されるもの”の関係は、“代表するもの”と“されるもの”が互いに同質であるのに対し、「異質」であることが前提になる。その異質性を担保するためには、皇室を構成する皇族の家族の中に「国民(=象徴されるもの)」が混在することは、制度的に排除される必要があった。

つまり、皇族における「家族の一体性(=身分の同一性)」は、天皇の“象徴としての立場”を支える土台だったと考えられる。

そのことを念頭に置くと、政府が持ち出したプラン①②はともに、皇族における家族の一体性という象徴天皇の基礎となる価値を損なうものだ。

もちろん、愛子内親王殿下をはじめとする当事者の方々にとっても、不自然この上ない制度だろう。

政府が提案した、皇族と国民が“1つの世帯”を営むというほとんどブラックジョークのようなプランに対し、国会の良識がどこまで是正を迫ることができるのか。国民としても無関心ではいられない。