カタリン・カリコ氏は「mRNAワクチン」の研究者だ。実はこの研究は、長年「実現不可能でお金にもならない」とされてきた。研究費を打ち切られ、学界で馬鹿にされ続けながらも、なぜ彼女は研究を続けられたのか——。

※本稿は、増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

活性物質をピペットで試験管に滴下
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“時給1ドル”でも研究が続けられた理由

カリコ氏の夫のベーラ・フランシアは、「君は仕事に行くんじゃない。楽しいことをしに行くんだよな」と日夜研究室に通い詰めるカリコ氏をそんな風にからかった。あるときは「君の労働時間を時給で換算したら、1時間1ドルだ。マクドナルドで働いた方がずっと時給が高いぞ」と笑いながら言ったりした。カリコ氏にとって、昔も今も、夫は一番の理解者であり、夫の全面的なバックアップがあったからこそ、今日のカリコ氏がある。

「わが家では、夫がもっとも多くの犠牲を払ったことは言うまでもありません。朝5時に研究室に出かけていく私や、学校に通う娘のために、車で送り迎えをしてくれましたし、子育てに支障が出ないようにと、自分は夜間の肉体労働などの仕事をしながら家族を支えてくれました。週末でさえも、私がラボから壊れた試験機器を持ち帰って修理するのを手伝ってくれましたし、食事の支度ができないときには、彼が料理をしてくれました。でも、夫は一度たりとも文句を言ったことはなかったのです」

筆者の取材に応じるカタリン・カリコ氏(右)
筆者の取材に応じるカタリン・カリコ氏(右)。(写真=YouTubeチャンネル池上彰と増田ユリヤのYouTube学園』より)

上司からの嫉妬で仕事をすべて失った

ポスドクとしてテンプル大学で働いていた1988年。カリコ氏の元にジョンズ・ホプキンス大学から仕事のオファーが舞い込んだ。ジョンズ・ホプキンス大学といえば、世界屈指の医学部を有し、アメリカでも最難関の大学のひとつだと評判も高い。公衆衛生部門の研究でも有名で、今回の新型コロナウイルスのパンデミックに関する研究やデータ分析・発表なども行っている。このオファーの話を知ったカリコ氏の上司が「ここ(テンプル大学)に残るか、それともハンガリーに帰るか」という二者択一の選択を彼女に迫った。明らかに同じ研究者としての嫉妬である。

「何でそんなことを言われるのか。信頼していた上司だっただけに、とても落ち込んだ」とカリコ氏も言っているが、実際、彼女の元には国外退去の通知まで届いたという。しかも、その間、上司はジョンズ・ホプキンス大学に対して、カリコ氏への仕事のオファーを取り下げるよう手をまわしていたのだ。

「彼は教授で、私は何の地位もない人間でしたから、仕事もすべて失って、とても困難な状況に陥りました。でも、その上司にも敵(ライバル)がいることがわかったので、その人たちのところに駆け込んで、助けてもらったのです。人生は想定外なことばかりですよね」

研究が続けられればそれでいい

やむなくテンプル大学を辞したカリコ氏を救ってくれたのは、日本の防衛医科大学校のような組織の病理学科だった。B型肝炎の治療に必要なインターフェロン・シグナルの研究をはじめ、ここで1年間、分子生物学の最新技術など多くのことを学んだ。

その後、1989年、ペンシルベニア大学の医学部に移籍し、心臓外科医エリオット・バーナサンのもとで働くことになった。この時の彼女のポジションは、研究助教で、非正規雇用の不安定な立場だった。そのうえ、もらえるはずだった助成金ももらえなかった。

「決して条件のいい移籍じゃなかったわ。翌1990年の私の年俸は4万ドル(当時のレートでは、日本円で約640万円)。20年経っても、6万ドル程度でした」

「だから、娘には、『あなたが進学するには、ペンシルベニア大学に行ってもらうしかない』と言ったのよ。なぜって、教員の子どもは学費が75%引きになるから」(カリコ氏)。研究が続けられれば、それでいい。カリコ氏の考え方は一貫している。

「自分のやっている研究は、とても重要なことなんだと信じていました。たとえどんなことがあっても『人の命がかかっている、とても大事なこと』と思っていたのです」

「できるはずない」とバカにされ続けた研究に成功

そもそもカリコ氏がmRNAに興味をもったきっかけは、ハンガリー時代にさかのぼる。博士課程の担当教官から、RNAの存在と量などを明らかにするためのシーケンシング(遺伝子の正確な配列を調べること)を依頼するために、アメリカ・ニュージャージー州にある研究室に生体サンプルを送ってくれと頼まれたことだった。カリコ氏はこの種のRNAが薬として使用できるかもしれない、という可能性にひかれたのだ。

カリコ氏はペンシルベニア大学のバーナサン氏のチームで、mRNAを細胞に挿入して新しいタンパク質を生成させようとしていた。実験のひとつは、タンパク質分解酵素のウロキナーゼを作らせようとしたこと。もし、成功すれば、放射性物質である新しいタンパク質は受容体に引き寄せられる。放射性物質の有無を測定することで、特定のmRNAから狙ったタンパク質を作り、そのタンパク質が機能を有するか評価できるのだ。

「ほとんどの人はわれわれを馬鹿にした」(バーナサン氏)

ある日、長い廊下の端においてあるドットマトリックスのプリンターをふたりの科学者が食い入るように見つめていた。放射線が測定できるガンマカウンターの結果が、プリンターから吐き出される。

研究室で顕微鏡を使う科学者
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結果は……その細胞が作るはずのない、新しいタンパク質が作られていた。

つまり、mRNAを使えば、いかなるタンパク質をも作らせることができる、ということを意味していたのだ。

人間の寿命を延ばす可能性をも秘める大発見

「神になった気分だった」カリコ氏はそのときのことを思い返す。

「mRNAを使って、心臓バイパス手術のために血管を強くすることができるかもしれない」
「もしかしたら、人間の寿命を延ばすことだって可能になるかもしれない」

興奮したふたりは、そんなことを語り合った。

つまりこれが、ワクチン開発の肝となる、mRNAに特定のタンパク質を作る指令を出させる、という最初の発見だったのだ。

パッチワークのようなカリコ氏の研究方法

「ケイト(カリコ氏)は本当に信じられないほど素晴らしいんだ」とバーナサン氏は言う。

増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)
増田ユリヤ『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(ポプラ新書)

「いつも驚くほど探求心がいっぱいで、ものすごい読書家。常に最新の技術や最新の発表を読み込んでいて、その内容は専門分野だけでなく他の分野にも及んでいた。古いものから、前日に『Science』誌に発表されたものまで、自分が得た知識や情報を組み合わせて『これをやってみませんか?』とか『この方法はどうですか?』と提案してくるんだよ」

「彼女の研究方法は、小さな解決法の『パッチワーク』のようだった。それが縫い合わされると、何か美しくて温かいものができるのではないか。それが彼女のmRNAだったんだ。決してあきらめずに、日々新しい情報を仕入れて挑戦し続けていた。そんな科学者はそうそういるものではないでしょう」

バーナサン氏は、カリコ氏のことをそう評価する。

このとき、実験の成功を祝ったのか、という質問に対して、カリコ氏はこのように答えている。

「学者の中には、自分の研究(実験)がいつか成功する日を夢見て、その日が来たらお祝いをするために冷蔵庫にシャンパンをしまっておく人がいるんですよね。そうしている人がいることは知っていますが、私はそんなことはしませんでした」

「それよりも、この発見(mRNAに特定のタンパク質を作る指令を与えること)はとても重要なことで、『これさえあれば、私は何でもできるのではないか。これは必ず誰かの何かの役に立つはずだ』と思ったのです」

斬新すぎる研究ゆえに苦悩も多かった

しかしその後、研究費不足でチームは解体され、バーナサン氏は、大学を辞めてバイオテク企業に転職していった。「やっていることがあまりに斬新すぎて、お金をもらえなかった」とカリコ氏は振り返る。mRNAを使って囊胞性線維症や脳卒中を治療したいと考えたが、研究のための助成金を得ることはできなかったのだ。

非常勤の立場にあったカリコ氏は、これで所属する研究室も金銭的援助も失ってしまった。もし、ペンシルベニア大学に残りたければ、別の研究室を探さなければならなかった。

「彼ら(大学側)は、私が辞めていくだろうと思っていたはずよ」(カリコ氏)

たとえ博士号保持者とはいえ、大学は非常勤レベルの人間を長居させてくれるところではない。ところが、カリコ氏の仕事ぶりを見ていた研修医のランガー氏が、脳神経外科のトップに掛け合って、カリコ氏の研究にチャンスを与えてくれるよう頼んでくれたのだ。

「彼に救われたの」とカリコ氏は言う。

最高の科学者は自分が間違っていることを立証しようとする

しかし、ランガー氏の受け止め方は違う。

「カリコ先生が私を救ってくれたんです」

「多くの科学者が陥る考え方から、自分を救ってくれたのがカリコ先生でした。彼女と一緒に働いていて、本当の科学的理解というのは、何かを教えてくれる実験をデザインすることで、たとえその結果が聞きたくないものであったとしても、必要なものであることを教えてくれたんです」

「大事なデータは、対照群から得られることが多い。それは比較のために使用するダミーを含む実験です。科学者がデータを見るときの傾向として、自分の考えを立証してくれるデータばかりを探してしまう傾向がある。しかし、最高の科学者は自分の理論が間違っていることを立証しようとするんです。ケイト(カリコ氏)の天才的なところは、失敗を受け入れることを厭わず、何度でもトライする。人が、愚かすぎて聞かなかった質問に答えようとすることなんです」(ランガー氏)