仕事で成果をあげられる人と、普通の人は何が違うのか。米国公認会計士の午堂登紀雄さんは「凡人は目的より手段を重視し、効果のない方法を安易に選んでしまいがちです。たとえば『毎日聞くだけ! 90日で英語がペラペラになる!』などといった英語教材。彼らは効果ではなくラクという判断基準で選択してしまうのです」という――。
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富裕層になるような人の仕事のやり方と、凡人で終わる仕事のやり方の違いは何か。私が見聞きしてきた話をご紹介しつつ、その根本に流れる思想の違いを考察したいと思います。

伸びる人は環境を変えようとするが、凡人は環境のせいにする

当たり前すぎる話ですが、他人や環境のせいにしても、自分を取り巻く状況が好転することはありません。

ここで凡人は、自分が不遇なのはたとえば上司が悪い、会社が悪い、政府が悪い、社会が悪いなどと責任転嫁します。だから環境に振り回され続けます。

しかし有能な人ほど、自ら環境に合わせるか、あるいは環境そのものを変えるかをしようと動きます。

10年以上前のことですが、私がかつて聞いたある不動産会社の話をご紹介します。

そこの営業部門のひとつのチームが成績不振でした。そして、もし予算達成ができなければ、次のボーナスはないと会社から言われたのです。

焦ったチームは、皆で集客のための高額な勉強会に参加し、集客方法を学びました。そして自分たちで無料セミナーを開催。そのセミナーをビデオ撮影し、ウェブサイトやDMで、メールアドレスを登録してくれたら、その動画を無料でプレゼントするというキャンペーンを打ちました。そして、集まったメールアドレス宛に、再び無料セミナーや無料相談会を告知。これを繰り返したのです。

勉強会やセミナー開催などの費用は、チームの全員が分担して自腹で捻出したそうです。予算が未達なので会社にはとても請求できなかったからといいます。これを毎週繰り返していたそうなので、メンバーが自腹を切った金額は相当なものだったのではないでしょうか。

しかし半年後、チームの売り上げは急激にアップ。営業部全体でもトップの成績となり、ボーナスはゼロどころか増額支給でした。

当然、会社もチームのそんな激変ぶりを不思議に思い、事情を尋ね、裏側を知るに至りました。その取り組みと結果に気を良くした会社は、今までチームで出し合っていた費用を全額負担してくれるようになったそうです(それ以前にかかった経費も、ボーナス増額で回収できたらしい)。

結果さえ出せば周囲を変えることができる

何が言いたいかというと、結果さえ出せば、ボーナスすら出さないと言っていた会社だって変わるし、自分がやりたいことをやれるように誘導することができるということです。

給料カットやボーナスカットにおびえて、あるいは不平不満を言っているだけでは何も変わらない。しかし自ら能動的に動けば、現状は変えられるということです。

ここで重要なのは、「今の状況になったのは自分の責任だ」という強烈な自己責任意識を持てるかどうかです。

「他人のせい」にすると、自分では何もコントロールできないということになります。誰かに翻弄されるしかない、脆弱な生き方になります。むろんそれで満足する人はそれでもよいでしょう。

しかし不満があるなら「すべては自己責任」と捉えることです。すると、あとは自分がどう行動を起こすだけか、という問題になります。そしてそれが結局は自分の状況を改善する唯一の方法ではないでしょうか。

伸びる人は目的のために手段を選ばない

有能な人は、目的を達成するためには手段を選らばない。こういうと、なんとなくダークな響きがあるのですが、もちろん非合法なことをしろということではありません。

この真意は、「目的達成のためにはすべてが選択肢」ということ。「こういうものだ」「それは無理だ」という前提条件を外し、聖域やタブーすら設けず、あらゆる可能性を模索するということです。

そういう発想の柔軟性を見分けるクイズがあります。私の著書でも紹介したことがあるのですが、「次の迷路がどのくらい速く解けるか」というクイズです。

今すぐ時間を計りながら解いてみましょう。

できるだけ速くこの迷路を解いてください

どのくらいの時間がかかったでしょうか。3分くらい?

しかし、優秀な人は1秒で解けます。

1秒で解けた人の模範解答

ただのクイズなので怒らないでいただきたい。

とはいえ、そもそも方法に関しては何も指示されていないにもかかわらず、多くの人はつい常識的で陳腐な発想をしてしまうものだということがよくわかります。

目的は「速く解く」ことですから、スピードを優先させるには上記のような方法も考えられるということです。

富裕層には政治家のスキャンダルは「気にしない派」が多い

しばしば不倫問題などのスキャンダルで政治家が辞任するというニュースが世間を騒がせることがありますが、これも目的と手段の混同をしているように感じます。

凡人ほど感情にまかせて「そんな不道徳な人間は政治家にふさわしくない、辞めるべきだ」と、本来求める目的とは関係のないところに反応します。

しかし私の周囲の起業家・経営者たちと話すと、「政治家には政治能力を問えばいいだけで、プライベートの問題と政策立案・運営能力とは別だ」という意見が大勢です。

プライベートではけしからんとしても、それは当事者間の問題ですから、外野がどうこう言う問題ではない。そもそも政治家として期待され信任された人たちだから、単純に辞めさせるだけはもったいない。

そこでたとえば、議員報酬をカットし(あるいは返上させ)続投させるという方法も考えられます。これなら能力のある人材をバーゲン価格で使えることになるわけで、国民にとっても利益でしょう。

まあ、これはちょっと極端な例ですが、目的の達成ただ1点にフォーカスし、いったん自分が思い込んでいる道徳心や感情を排し、常識や固定観念を外し、あらゆる選択肢の中から柔軟に考える習慣を持とうということです。

伸びる人は目的を重視するが、凡人は手段を重視する

先に述べた「目的達成のためには手段を択ばない」にも関連しますが、優秀な人は目的達成志向が非常に強い傾向があります。そのため「それは目的達成のために効果的なのか?」を考え、それに必要な手段を選ぼうとします。

しかし凡人は、目的よりも手段を重視します。たとえば「自己投資」という言葉を聞いたとき、彼らがパッと思いつくのはビジネス書を読むことや資格取得の勉強などです。

しかし、自己投資の本当の目的は何だろうか。今の会社の中で認められて昇進すること、転職してキャリアアップを図ること、あるいは起業することなどが挙げられるでしょう。では、そのためには何が必要か。

すると、営業成績を上げるために提案書をブラッシュアップしようとか、転職エージェントに相談し、自分に不足しているスキルを指摘してもらおうとか、サイドビジネスを始めてみようなどと、適した手段が見えてくるはずです。

そうやって本来の目的を掘り下げていったとき、より効果のある手段を選ぶことができ、最短コースで目的達成に至る可能性が高くなります。

教育やカジュアルな勉強のライフ スタイル
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聞くだけで英語はペラペラにならない

一方で、手段を重視すると効果のない方法を安易に選んでしまいがちです。

たとえば『毎日聞くだけ! 90日で英語がペラペラになる!』などといった英語教材。この場合、購入者の判断基準は「ラク」ということであり、「効果」ではないように思います。

そもそも語学の習得にはインプットとアウトプットの両方が必要ですし、幼児と違ってすでに日本語という言語体系を持っている大人にとって、「聞くだけ」では効果が低いことがわかっています。

これは健康に関しても同じで、たとえば10種類の野菜が入ったインスタントスープを、値段が高くても買う行為。

これも、本来の目的は野菜に含まれている栄養素を摂取することであって、野菜そのものを食べることは目的ではないでしょう。なのに、農薬まみれで育てられ、乾燥・加熱・粉砕された野菜スープに、いったいどれだけの栄養素が残っているか、考えてみたことはあるでしょうか。

つねに本来の目的を意識し、「それって目的達成に本当に効果があるの?」を自分に問い続ける姿勢を忘れないようにする必要があります。

伸びる人は仮説を重視するが、凡人は行き当たりばったり

優秀な人は「仮説思考」が習慣になっています。

仮説思考とは、「いまある情報の中から、一番可能性の高い結論を想定し、それを最終目的地として意識しながら検証を繰り返し、仮説の精度を上げていく」というのが学術的な表現ですが、一言でいうと、「とりあえず答えを出してみる」ことです。

こんな話があります。

あなたは仕事で疲れた帰り、バス停でバスを長時間待っているとします。長い間待っていたバスがやっと来たが、なんと超満員。

あなたはこう考えます。「目的地まで1時間も立ちっぱなしのすし詰め状態はイヤだ。疲れているので何とかして座りたいが、次のバスも混んでいたらどうしよう。」

このバスに乗るか、それとも、次のバスを待つか……。もし急ぎの用事でもなければ、きっとあなたは次のバスを待つのではないでしょうか。それはなぜか?

バスは一定の時間間隔を置いて走るが、先のバスが人を多く乗せれば、それだけ遅れが出る。しかし次のバスは、前のバスが乗客を拾っているので停車時間が短くなり、その分、早く走れる。そうやってバス間の距離は縮まり、最後は団子状態になって走ることがあります。

だから次のバスはもう間もなく来るはずで、このバスが満員なら、次のバスは比較的空いているだろうと仮説を立てて「次のバスを待とう」という結論を出すのです(ちなみに現在はGPSの位置情報でバスの運行管理がされているため、都市部ではこのようなことはほとんど起こりません)。

限られた時間と情報で正しい判断ができる

仮説思考の最大のメリットは、限られた時間と情報の中からでも、より適切な答えが見つかるようになることです。

「こうすればこうなるかもしれない→やってみる→結果はこうなった→その理由はきっとこうだろう→次からはこうしてみよう」の繰り返しを、日常生活の中で多頻度回転させると、「こういう場合はこうなる」「こうすればこうなる」というパターンの引き出しが増えていき、未知の場面に遭遇しても、応用して適切な対処ができるようになります。

いわゆる「経営者のカン」もこれに似たところがあります。

反対に、凡人に限って何の仮説も持たず、ただ行き当たりばったりでコトに当たります。天気予報を見ないから丸腰で外出し、雨に降られて駅の売店でビニール傘を買う。25日に銀行のATMの行列に並ぶ。根拠もなく自分のカンを信じる。

仮説がなければやみくもに情報収集や分析をして、網羅的になりがちです。もちろん、情報収集や分析から新しい仮説が生まれることもあるとはいえ、やはり時間がかかるし無駄も多くなるもの。

それに、仮にその仮説が間違っていても、「なぜだろう? 次はどうすればよいだろう?」と考えることで、より精度の高い仮説構築ができるようになり、次からはもっと短時間でできるようになります。