臨時休校で高校1年生が受けたダメージ
2020年の3カ月に及ぶ臨時休校はまだ記憶に新しい。3月の卒業式もまともに行えず、4月に新学年を迎えながら新たな気持ちで学校に行けなかった子供たちの悲哀は察するに余りある。ただ、昨年は一時的なコロナの収束傾向もあり、2020年6月以降は、ほとんどの学校で、感染に配慮しつつ、通常の対面授業が再開された。
地域間の移動が多い大学生はオンライン授業が多くまだかつてのキャンパスライフが戻っていないが、小学校から高校は元通りになったように見える。だが、実際には、入学と同時に臨時休校になってしまった昨年の高校1年生、現在の高校2年生の一部には、高校入学直後に通常の教育が受けられなかったダメージが蓄積していると言わざるを得ない。
一方的なつまらない授業からの脱却
筆者は大学受験や進路指導の専門家として、全国の高校で講演しているが、今どきの高校生はYouTubeやTikTokなどの短時間の動画メディアに慣れ親しんでおり、講師のつまらない講演を体育館で1時間も体育座りさせられて聞かされるのは苦痛でしかない。動画はもちろん映画のDVDまで早送りで視ている人たちなのだ。
だから私は講演の最初に「10分しか話しません」と告げる。50分の講演を一方的に聴かせるのではなく、10分の動画×3本と考えてもらい、10分だけ講演をして2、3分休憩をする。休憩時間には自由に体を動かしたり、マスクをした状態で隣の友人と飛沫に気を付けながら小声で話すぐらいの気分転換をしてもらう。そして、休憩時間が終わると、2本目の動画と称して講演を再開するのである(コロナ禍の長期化で最近はオンライン講演が多いが、やり方は同じ)。
この方法は飽きないで聞けると生徒にも先生にも好評で、講演を30分ほどで終え、質疑応答の時間を10分ほどとると、多くの質問の手が上がり、教員が驚嘆することもある。これは講演前に、「講演は早めに終わるので、残り時間は全員、質問を考えて手を上げよう」と促しているからでもある。この手法が成功を収めたのは、高校側の教育の変化も大きい。教室で50分間、先生の授業を一方的に聞いてノートをとるだけの「チョーク&トーク」の授業が減り、文部科学省が推進するアクティブ・ラーニング型の授業を取り入れる高校が増えたためである。グループワークやディスカッション、プレゼンテーションなど、自分たちで話し合い、発表する形式の新しい授業に慣れた高校生は、自分の頭で考え、手を上げて質問をする習慣がつき、外部講師の講演でも積極的に議論や対話ができるような人材育成が成功しつつあった。コロナが来るまでは。
自ら考え、発言することができなくなった高校生
2020年の高校1年生は多くが6月まで登校できず、オンライン授業ができた高校はまだ良いが、実際には1人1台のタブレットPCやノートパソコンも無く、プリントの宿題をやっていただけだった高校も多い。ネットの記事では、最新のICT教育を駆使して、難なくコロナ禍を乗りきったような名門私立高校の記事が散見されるが、公立高校、中でも学力が低い教育困難校、進路多様校と言われる高校では、単なる長い春休みになってしまった事例もある。
私が訪問したある高校では、臨時休校中の生徒は、コンビニやファストフード店など、フリーWi-Fiがある店の前にたむろし、スマホゲームをやっているだけだったと教員は嘆いていた。6月に学校が再開された後は、遅れを取り戻すために、夏休みも短縮して躍起になって詰め込み授業が行われた。ここで犠牲になったのが、じっくり物事を考える探究学習や、コミュニケーション能力を高めるアクティブ・ラーニングである。生徒同士が語り合うグループディスカッション、プレゼンテーションなどはコロナで最も避けられ、一方的に教員の授業を聴く詰め込み受験体制に戻ってしまった。一部のうまくいっている名門高校以外の大多数の高校で、こうしたことが起きている。私の講演でも、事前にいくつもの仕掛けをしているにもかかわらず、手を上げて発言する生徒は再びいなくなってしまった。筆者の力量不足もあろうが、教育改革がコロナで頓挫してしまった影響も大きいと思われる。
自学自習できる子・そうでない子に広がる学力格差
「手を上げて発言できなくても、勉強さえできれば大学受験に影響はないのではないか」と思われる方は、大学入試の変化に関心を持ってほしい。すでに、国公立大学の募集人員は総合型選抜にシフトしている。2021年度は7157名に達し、学校推薦型選抜も合計すると、国公立大学全体13万人の入学定員のうち2万7000名が推薦だ。まだ2割強ではあるが、今後は3割程度にまで高まると予想されている。東大、京大ですらも推薦を実施し、これまでの点数競争ではない多様な能力のある人材を求めている。私立大学に至っては、受験の難関校とされる都市部の有名私大でも、推薦で5割、6割を入学させている大学はザラであり、慶應義塾大学法学部の一般選抜の入学定員はわずか38%にすぎない。
(参考)
私立大の二期入試は志願者激減、国公立大学の総合型選抜シフトでさらに減少も | 大学ジャーナルオンライン
文部科学省「国公立大学の入学者選抜 令和3年度入学者選抜について」
総合型選抜、学校推薦型選抜で求められる能力は、英語や国語、数学などの点数の力だけではない。自ら能動的に学び、それを小論文や書類選考、面接で表現できる力である。推薦入試が増えたのと、高校でアクティブ・ラーニングが推進されてきたのは、「高大接続改革」の名の下に高校教育、入試改革、大学教育の3つを同時に改革しようとした文部科学省の政策であり、大学入試改革こそ混乱と頓挫の状況にあるが、大学の教育改革、そして最も腰が重い高校の教育改革も、ようやくスタートし、徐々に効果を上げ始めていたのが、コロナで元に戻ってしまった。
ごく一部の、オンライン授業や教育改革に成功した高校は、進学実績で大きな成果を上げるだろうが、大多数は教育改革の失敗と退化により、新しい時代に即した人材育成ができないまま終わろうとしている。
高校のアクティブ・ラーニング型授業の推進を前提とした高大接続改革に筆者は大いに期待して、これを後押しする新書『高大接続改革』を刊行したが、改革自体はコロナで頓挫している。
親に何ができるのか?
お子さんの通われる高校が、コロナ禍にあっても、教育改革に成功し、質の高いオンライン授業や、時代の変化に対応した総合型選抜、学校推薦型選抜にも強い高校であれば何の心配もないが、そうした高校は少ない。
そして、多くの高校でもっと心配なことがある。同じ高校内であっても、昨年の臨時休校中に高校1年生だった学年(現2年生)では、自学自習できる優秀な生徒と、時間を浪費してしまった生徒に極端に二極化したことだ。臨時休校世代が高校2年生になり、いよいよ深刻に学力格差が開いてきたように見え、うまくいかなかった高校の大学合格実績が心配だ。学力が低い高校と大学は、簡単に入れる「負のウィンウィン関係」になってしまっている事例も多く、ぜいたくを言わなければ、そこそこの受験難易度の大学には、多くの高校生は入れてしまう時代なので、学力が身に付かないままの大学生は表面化しない。しかし、この世代の就活、その後、日本社会を担っていく若者が、基礎学力や、自分の頭で考えて行動する能動性が、コロナによって身に付かなかったとしたら悲劇というしかない。
親にできることは何か。子どもの代わりに英語や数学を受験してあげることはできないが、日常の家庭での会話が非常に重要になってくると筆者は考えている(飛沫感染に気を付けつつ)。なぜなら、総合型選抜や学校推薦型選抜で問われるのは学力に加え「なぜウチの大学に入りたいのか=志望動機」「そのために高校時代に何をがんばってきたのか=自己PR」だからで、これが決定的に重要だ。点数や偏差値で入れる大学を選ぶのとは違うからだ。
それを突破するためには、普段から、なぜ自分は大学に行くのか、何を学びたいか、社会でどう活躍したいか、将来どうなりたいのか、そのために高校時代に何をがんばってきたのかを、言葉や文章で説明できる必要がある。この力は一般選抜でも重要だ。普段から親子の対話の中で、こうしたお子さんの将来についてよく話し合う環境づくりこそが、お子さんがあこがれの進路をつかむために親にできることであり、おいしい夜食を出すだけが親の仕事ではない。大学受験は親の頭脳、知識、教養、コミュニケーション力を含めた総力戦になりつつある。ここまで恵まれた親の元に生まれる子ばかりではない。そして、格差は拡大する。