薄井シンシアさん(62)は、20年近い専業主婦生活を経て、48歳で「給食のおばちゃん」として仕事に復帰した。その後、電話受付から外資系ホテル、東京オリンピックのホスピタリティー担当など次々とキャリアを切り開き、今春外資系ホテルの日本法人社長に就任。今も「主婦ほどクリエイティブな仕事はない」と言い切る薄井さんが、社長になって目指すものとは――。

専業主婦からホテルの社長へ

「18時になったけれど、ラウンジの電気はつけた?」
「『マニュアル通り』よりも親しみやすいサービスをお願いね」

薄井シンシアさん。オープンしたばかりのLOF HOTEL Shimbashi最上階のラウンジで 撮影=藤岡敦子
薄井シンシアさん。オープンしたばかりのLOF HOTEL Shimbashi最上階のラウンジで 撮影=藤岡敦子

社員の採用から教育、施設のマネジメント、外部業者との交渉や備品の発注に至るまで、社長としての薄井さんの仕事は多岐にわたる。日本に進出したばかりの外資系ホテル「LOF HOTEL Shimbashi」を7月に新橋にオープンさせたばかり。秋葉原と東神田での開業も控える。週に数回はホテルに泊まり込んでオペレーションを確認し、元専業主婦やシングルマザーなど、観光業未経験のスタッフに細かく指示を出す。

コロナ禍で東京オリンピックは無観客となり、厳しい逆風が吹く観光業界。「今はどん底だけど、これからよくなるしかない。『スタッフをしっかりトレーニングする時間ができた』とプラスに受け取って、インバウンド回復に備えます」。前を見据える。

5つ星外資系ホテルのディレクターなどの経歴を持ち、社長として辣腕らつわんを振るう薄井さん。だが、14年前までは家事と育児に専念する専業主婦だった。

「娘を育てることが人生最大の仕事に」

「女の子に学歴はいらない」という厳格なフィリピン華僑の家庭で生まれ育った。家父長制的な考え方に反発し、20歳で日本に国費留学。東京外国語大学などで学んだ後、貿易会社に就職した。

娘(左)が5歳の時の薄井さん 写真=本人提供
娘(左)が5歳の時の薄井さん 写真=本人提供

27歳で結婚し、外交官の夫とアフリカのリベリアへ。帰国後は広告代理店に転職して30歳で妊娠。1980年代当時、女性の人生の「花形コース」は、結婚や出産を機に家庭に入ることだったが、「仕事大好き人間」だった薄井さんは、産休後、必ず復帰するつもりだった。しかし生まれてきた娘を腕に抱いた瞬間、人生が一変した。

「『この人を育てることが、私の人生最大の仕事になる』と、直感的に分かりました。仕事なら、失敗しても自分のことだからなんとかなるけれど、子育てで失敗したら一生後悔する。迷わず専業主婦になって育児に専念しようと決意しました」

常に全力投球する自分の性格では、仕事と育児の両立は難しいことも分かっていた。

“キャリア”としての専業主婦

専業主婦を「選び取った」薄井さんは、主婦業が自身のキャリアだと覚悟する。弁護士や銀行員、大手IT企業の社員として活躍する友人らの颯爽としたスーツ姿に嫉妬を感じたこともあった。だが、専業主婦としての「覚悟」が自身のプライドを支え続け、仕事として真剣に取り組む意識付けになった。

キャリアとしての専業主婦とは具体的にどういうことなのか。

例えば、いかに効率的に家事をこなせるか、料理や掃除などの基本を徹底的に学んで合理化を追求する。献立は1カ月分を月初めに計画し、1日の家事スケジュールも決めて時間を厳密に管理した。経営者のつもりで費用対効果を考えつつ家計を回し、PTAやボランティアにも積極的に携わって人脈を作る。夫や娘と対等に話ができるよう、新聞や本から毎日多くの情報を仕入れた。これらの経験がのちのキャリア形成に大きく役に立つ。

夫の転勤に伴って海外を転々としつつ、学校から帰宅した娘とお菓子を食べながら語らう幸せな日々。しかし娘が17歳になった年、転機がやってきた。米国の名門・ハーバード大学への入学を機に、娘が薄井さんの元を巣立ったのだ。「無理やり退職させられたようでした」と薄井さん。生活が一変し、喪失感にさいなまれた。

48歳で「給食のおばちゃん」に

そんな時、娘が通っていたタイ・バンコクの学校から「カフェテリアで働かないか」と誘いを受けた。48歳で「給食のおばちゃん」として仕事に復帰。メニューや衛生面の改善などの取り組みが評価され、パートから一気にマネジャーにならないかとのオファーを受ける。ブランクが長かった薄井さんは躊躇したが、背中を押したのが、娘の一言だった。

「私はママみたいなお母さんになりたいけれど、それなら専業主婦になって仕事をあきらめなければならないのかな」
「『ママみたいなお母さんになりたい』というのはすごく嬉しかった。でも『育児に専念しようと主婦になったら、キャリアは終わり』と思わせたくはなかった。そんなことは絶対ないと証明したい、ならば徹底的に仕事に復帰してキャリアを作ろうと」

カフェテリアは評判となり、学校関係者だけでなく近隣からも人が集まる店となった。

カフェテリアを退職するときに、ほかのスタッフから贈られた写真。中央の、白いワンピースを着ているのが薄井さん
写真=本人提供
カフェテリアを退職するときに、ほかのスタッフから贈られた写真。中央の、白いワンピースを着ているのが薄井さん

日本で直面した「52歳・専業主婦歴17年超」の壁

2011年に日本に帰国。今度は「52歳・専業主婦歴17年超」が大きな壁となり立ちはだかった。まだ日本で人手不足が深刻化する前のことだ。パートの仕事はあるものの、将来のキャリアを描けるような仕事は履歴書だけですべて門前払いされた。

「怒りしかなかった。ここまで真面目に育児に専念して、誰が見ても優秀な子ども一人を育てたのに、『世の中にいらない』『出産して退職した主婦には価値がない』と言われているのと一緒ですよね。まるで自分が罰せられているようでした」

時給1300円、電話受付のアルバイト

来る日も来る日も履歴書を送り続け、半年間かけてようやく見つけたのが高級会員制クラブでの電話受付のアルバイトだ。時給は1300円。コピーや書類のホチキス留めなどにも一生懸命取り組んだ。最初は慣れずに電話先の名前を聞き取れず、「そんなこともできないの」と厳しい言葉を投げかけられながら。

「1に忍耐、2に忍耐、3に忍耐。最初はスキルじゃなくて忍耐なんですよ。体力と忍耐があれば、3カ月もすればだいたいのことは覚えられる。とにかくどこかに入って頑張れば自分の道を作れる、と信じていました」

しばらくして、手間がかかる割に単価が安く、誰もやりたがらない会員の子どもの誕生会を引き受けることになった。子育て経験を生かした薄井さんの誕生会は人気を呼び、指名での宴会営業にまで仕事は拡大。1年後のクリスマス時期の宴会スケジュールは、薄井さんの担当でびっしり埋まるまでになった。

2013年、バンコク時代の知人の紹介でANAインターコンチネンタルホテル東京に転職。インバウンドで外国人観光客が増え始めた頃だった。宿泊セールスは未経験だったものの、ここでも主婦時代に培った手際の良さとコミュニケーション能力、アイデアで次々と予約を取り付け、部内一の営業成績を上げ続ける。入社3年で営業開発担当副支配人となり、続いてラグジュアリーホテルのシャングリ・ラ東京のディレクターに転職した。東京オリンピックを目前に控えた2018年には、日本コカ・コーラ社のオリンピック・パラリンピック担当シニアマネジャーに転職した。

ANAインターコンチネンタルホテル東京の代表としてケネディ駐日米国大使(当時、右)を訪問する薄井シンシアさん(中央)
写真=本人提供
ANAインターコンチネンタルホテル東京の代表としてケネディ駐日米国大使(当時、右)を訪問する薄井シンシアさん(中央)

「誰もやりたがらない仕事」と「成長業界」

なぜここまでキャリアの階段を駆け上がれたのか。「誰もやりたがらないことをやってきたから」と薄井さん。「薄井さんだからこそできた」との見方は否定する。

バンコクの、カフェテリアでのメニューと衛生面の改善やスタッフ教育。会員制クラブでの誕生会担当。英語を使っての宿泊セールス。「どこの職場に行ってもね、誰もやりたくない仕事っていっぱいあるんです。みんながやりたがる仕事ばかりでいい環境だったら、自分の入るところなんてないじゃないですか。えり好みせず、仕事を引き受けて自分の居場所をつくる。そこで実績を出したらみんな分かってくれるんです」

成長業界に入ることも重要だ。当時の観光業がこれにあたる。2011年の訪日外国人数は約620万人だったが2019年には約3200万人へと急増した。自分のやりたいことを優先するのではなく、ニーズのあるところに行けば伸びが早い。再就職を希望する人たちに必ずかける言葉だ。

チャンスは公平に与えてほしい

「専業主婦ほどマルチタスクでクリエーティブな仕事はない」との持論は今も揺るぎない。家事に育児にPTA、同時並行で仕事をこなさなければならない。キャリアに必要な「土台」は専業主婦時代に培った。「主婦を全うしたからこそ今の私がある」。機会があるたび多くの人々に伝えてきた。

薄井さんと同世代の女性たちは、結婚や出産で退職し、専業主婦になるのが当たり前の時代だった。社会は大きく変わり、今はワーキングマザーが過半数を占めるまでになった。その傍ら、50代、60代の女性たちは子育て後も「仕事の能力が低い専業主婦」というレッテルを貼られ、社会と家庭のはざまで宙づりのまま。政府や企業の復職支援は早期退職した男性や30代、40代の女性が中心のものばかりだ。

主婦を特別扱いしなくていい。けれど、チャンスは公平に与えてほしい。訴え続けてきたが、改善の兆しがなかなか見えないのが歯がゆい。

専業主婦は社会に眠る財産

薄井さんはキャリア再開支援にも力を入れている。自身の職場にスカウトするだけでなく、復職支援講座を開いたりSNSで情報交換の場を作ったりしながら、再スタートを切りたい人々を叱咤激励してきた。ビジネス特化型SNSのLinkedInが今年6月、キャリアの一つとして「#主婦・主夫」を追加した際には、「#主婦代表」として講演も行った。

今はコロナ下で就職市場も低迷気味。だが長期的に見ると、少子高齢化で人手不足に陥ることは目に見えている。

「一つの人材として、労働力として、専業主婦は社会に眠っている財産。活用しない手はありません」

2021年6月、LinkedInのオンラインイベントに「#主婦代表」として登場した薄井シンシアさん(右上)
写真=本人提供
2021年6月、LinkedInのオンラインイベントに「#主婦代表」として登場した薄井シンシアさん(右上)

(後編に続く)