数学に自信があるかどうかは、人生にどのような影響があるでしょうか。脳科学が専門の細田千尋さんは「数学に自信がある人は約1000万円相当の経済的優位性があり、病気になったときの治療においてもうまく進められる傾向にある」と指摘する――。
数式と鉛筆を使った教育
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文系と理系、高所得者はどちらか

私たちは、文系、理系というわけ方を日常的にしています。大学受験のときの試験科目の選択や受験科目に端を発しているのでしょうが、高校時代などはるか昔になった世代ですら、自分は文系、理系という括りで会話をすることがよくあります。この文系か理系か問題は、高校時代などはるか昔である今の私たちにどのように影響しているのでしょうか? 実は、数学に対するコンプレックスが知らぬ間に私たちの判断を誤らせている可能性もあるのです。

国際的に見ても、たとえば欧米における性別職域分離の研究では、学部選択のジェンダー差と職業との関連についていくつもの研究があります。そこでは、ジェンダーと、職業・地位達成について、出身学部が影響することが示されています。では、とくに日本国内で、文系出身、理系出身で異なるものがあるのでしょうか。

医療系の職業を除くと生涯所得に差は見られない

2009年に発表された研究では、文系出身者のほうが有利な社会経済的地位につきやすいと示されています。文系出身者と理系出身者を比較すると、所得や上場企業の役員率の割合が文系出身者の方が多かったというのです。また、国立大学の卒業生へのアンケート調査から、工学部出身者よりも社会科学系学部出身者のほうが高所得であることを示す論文もあります。これは、文系と言われる学部出身者がより多く就職する、金融や保険といった職種が高所得であることと、それらの職種において年齢や勤続年数の効果が大きいためとされています。

一方で、インターネットによるアンケート調査などから、理系出身者のほうが平均所得が高く、所得の伸び率も高いことを示す研究も存在します。

今現在の結論としては、理系出身者の方が平均所得が高く伸び率が高いというデータの中で、医療系の職業を除くと、文系、理系での生涯所得に差が見られていないことが示されています。

数学への苦手意識が産む間違った評価

年収に差はないとしても、数学ができる人(理系)に対する評価が高くなる傾向はあります。

実は、世界的にも、教授や研究者などのアカデミアで活躍している見識のある人でも、“数式”を見せられると、その数式で示されている研究がとても素晴らしいものであるという、間違った判断をしてしまうということが明らかになった事件があります。

数学理論
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哲学の世界で、数式や科学的な用語を用いたり引用した研究論文が流行った時代がありました。その現象に対して、ニューヨーク大学の物理学者が、ある皮肉を込めた行動(『知的ぺてん』)を1996年に起こします。

数式が登場するだけで「素晴らしい論文」に見える

彼は、当時流行していた分野の代表的雑誌に、全く意味のない科学用語と数式をちりばめた論文を投稿しました。その結果、それがそのまま雑誌に掲載されたのです。(通常、研究論文を雑誌に発表するには、数人の専門家による査読と言われる審査を受け、厳重にその内容が吟味された上で、雑誌に掲載されるかが決まります。)

彼はのちに、自分がやったのは、引用を結びつけ、それらを褒め讃えるための無意味な議論をねつ造しただけで、論文中に使われた数式の無意味さは、すぐにわかるレベルのものであったと話しています。

つまり、有識者でさえ、数学に対するコンプレックスを持っていると、その正しさを理解・判断しようとせずに、その数式に対してただ賞賛をしてしまう、見せかけの虚構に騙されてしまう、ということを示した結果となりました。実際、数学ができないという人にとって、数式は脅威であり、できる人に対して無条件に降伏してしまうのでしょう。

数学に自信があると経済的に優位になる

一方、数学の能力に自信を持っていることが重要であることを示す研究もあります。オハイオ州立大学心理学部の教授が、4572人に数学のテストを実施しました。その時、数学能力に自信を持っているかのアンケートを実施しました。その結果、「数学能力が高くて数学に自信がある人」は「数学能力が高いのに、自信がない人」に比べて、年収に換算すると9万4000ドル(約1000万円)相当の経済的な優位性を持っていたことを示しています。ただしこれは、単純な年収ではなく、クレジットカードの使用状況やローンの有無、投資の運用状況などから総合的に算出した数値です。

さらに、全身性エリテマトーデス(SLE)の治療を受けている患者に対して、同様に数学のテストと自信に関するアンケートを行いました。その結果、SLE患者らの症状の勢いである疾患活動性が、「数学能力が高くて自信もある人」では低く、「数学のスキルはないが自信だけはある人」では、疾患活動性が高い割合が44%もありました。

これらの結果から、数学に対する苦手意識がない人は、数字を扱う問題に直面した時に諦めづらいことや、薬の効果とリスクを正しく理解して用法と用量を守ったり、健康保険などの制度を活用して適切な治療を受けたりできる傾向にあると指摘されています。

また、数学的スキルと失業率・生産性・健康の間には相関関係があるというOECDの調査結果があり、国民の数学の能力の低下は国際的な競争力の低下を意味するという見解もあります。

数学の能力や自信は40%が遺伝で説明できる

オハイオ大学が、約600人の双子を対象とした研究から、数学に関する能力や自信は、約40%が遺伝で説明できることを示しました。40%が高いか低いかは難しいところですが、残りの60%については、指導者や学び方といった環境によって、その能力や自信が決まっているのです。

数学が苦手な人では、数学が得意な人に比べて、脳の中の背側前頭前野というところの活動が低いことが明らかにされています。また、数学に苦手意識が高い子供では、脳の扁桃体という恐怖を感じるところの活動が高まることも示されています。

背側前頭前野という脳の部位を刺激すると、数学に対する苦手意識が減り、数学の能力が上がることがわかりました。ここでのポイントの一つは、数学に対するコンプレックスや不安感を減らすことに成功したということです。この背側前頭前野の活動が高まったことで、数学に対する不安を抑制できたためと考えられています。

数学コンプレックスは自分の可能性や視野を狭める

数学の勉強と聞くと、数式や問題を解くことばかりを連想し、「高度な数学の概念を理解しましょう」と言われると身構えてしまう人の方が多いでしょう。ところが、図形や模様などの中に繰り返されるパターンを見つけ出すことや、立体的な構造を理解することなどにも、実は数学の概念が隠れていたりします。裁縫が得意、立体パズルやDIYで組み立てるものが得意、といった人たちは、実は高度な数学概念を理解している可能性があるのです。

重要なことは、理系だから文系だからということで、自分の可能性や視野を狭めてしまうこと、あるいは、コンプレックスによって、数学的に虚飾されたものに簡単に騙されて、重要な判断を誤ってしまうことを避けることでしょう。

<参考文献>
・浦坂・西村・平田・八木[2010]「数学教育と人的資本蓄積」『クオリティ・エデュケーション』第3巻
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