連戦連敗の就職活動
まとっている人の「個」や自由な気風を感じさせるアフリカ布は、色鮮やかな原色使いで、大ぶりの柄も扇風機やポットなど実に多彩。そんなアフリカ布を使ったブランド「RAHA KENYA(ラハケニア)」を展開しているのが、ケニアの首都ナイロビ在住の河野リエさんだ。
アパレルの経験がまったくなかった彼女が、ケニアでブランドを興すまでの道のりは平たんなものではない。学生時代はキャリアデザインを専攻し、3、4年生の時は東京の喧噪のなか就活に明け暮れた。
「当時は『ヒールをカツカツ鳴らして歩くようなキャリアウーマンってかっこいいよね』という理由から営業職を希望していました。なかでも『MR(医薬情報担当)』という響きにあこがれて、『私、MRです』と言いたいがために、医薬品メーカーで営業を担当するMR職を集中して受けまくっていました。でも60社以上受けて、1社も内定は取れず。今思えばそんな学生、私も採用側だったら落としていると思いますけど(笑)」
その頃は「自分が本当にやりたいことは何なのか」を突き詰めて考えたことがなかったと振り返る河野さん。相次ぐ不採用通知に焦り始めた頃には、ほかの一般事務の募集も終了していた。そこで、方向転換をして飛び込んだのが介護の世界だ。
「あれでもない」「これでもない」迷走の20代
「もともと『自分が苦手なものを克服したい』という意識があって、ふとやりたいと思ったのが介護なんです。お年寄りって、何を考えているのか分からなくて苦手だったのと、将来自分の親に介護が必要になった時に動じたくないという思いもありました」
介護職は需要もあり、有料老人ホームに内定をもらって働いたが、「親の介護に必要なノウハウをある程度身につけられたことと、その環境で今後何年、何十年とやっていける自信がなかったのとで、1年で退職したんです」
次に進んだのは、アルバイトをしながら日本大学の通信教育部で中学・高校の国語教員の免許を取得する道。「苦手だったお年寄りのことが大好きになったので、今度は、何を考えているのかわからない思春期の子どものことを知りたいと思ったんです」
2年半かけて教員免許を取得。しかし、教育実習で「私がやりたかったのは教師じゃない」と気付いた。「私には、1対30や1対40といった構図のなかでは、生徒一人ひとりと向き合うことはできないだろうと思ったんです」
ただ、教育には強い興味が湧いた。そこで、派遣社員として働きながら、休日に教育系のボランティアをしようと考えた。不動産会社に派遣が決まり、そこから4カ月で正社員になった。
降って湧いたケニア行きに「ラッキー!」
その会社では採用業務を担当。起業したい若者が多く集まる体育会系のノリの会社で、現在の夫と出会う。「いつかアジアで起業したい」と明言していた夫は、河野さんと付き合いはじめてすぐにインド、フィリピン、ベトナムと、アジアを拠点に仕事を開始。その後、夫から、アフリカ・ケニアに移住して現地で起業したいと聞かされた。
「正直、『ラッキー!』と思いました。私の周りには起業をしたいという人も、海外で暮らしたいという人もいなかったので、先が見えないのが面白いなと思ったんです。アフリカに行く人というのは、確固とした目的や覚悟を持った立派な方が大半だろうけど、私は『旦那さんについていくだけで未知の体験ができる!』と」
とはいえ、ケニアについて知っている知識といえば、テレビで見る先住民のマサイ族ぐらいのものだった河野さん。そこからケニアについて調べ始めるが、出てくる情報の多くは「治安が悪い」「貧しい」などのネガティブなものばかり。ワクワクした気持ちは萎え、不安を抱えながらのケニア行きとなった。
2018年2月、ついにケニアの首都ナイロビに降り立った河野さんは、高層ビルが立ち並ぶアフリカ有数の大都市の姿にカルチャーショックを受ける。
「キレイに舗装された道路とビルがあって、おしゃれなカフェやカラフルでかわいい雑貨もたくさんあるんです。交通量が多く、信号がない場所も多いので自分で運転するのはためらわれますが、移動の多くはUber(ウーバー)で事足ります。一番驚いたのは、携帯ひとつで送金できる『M-PESA(エムペサ)』という電子マネーが普及していて、現金をほとんど持たなくて済むこと。普及率はおよそ9割で、日本より進んでいます」
河野さんが何より感心したのは、「人」だ。
「みんな優しくて、陽気で、こっちまでハッピーになるんです。『私が知りたかったのはこういう情報なのに、なぜみんなこういう部分を発信しないんだろう?』と思ったぐらいです」
通信状況もよく、カフェにはWi-Fiが完備。貧富の差が激しいケニアでは、水道、電気、ガスといったライフラインの整備は住むエリアによって違うが、「ありがたいことに今のところ生活に支障はまったくありません。たまに停電はありますが、すぐに復旧しますし」と河野さん。クルマで1、2時間も走れば広大な国立公園がいくつもあり、ライオンやアフリカゾウといった大型野生動物が悠然と草原を行く姿がみられる。夢のような環境といっていいだろう。
「これが私」アフリカ女性のカッコよさに憧れ
しかし、そんな環境にいながらも、日々散策を楽しむでもなく、移住直後の数カ月はひきこもり生活を送っていたという河野さん。何の気なしにたびたび投げかけられる「あなたはここに何をしに来たの?」という問いに答えられずにいたからだという。
「私には、これがしたいという望みや目的がなく、特に得意なこともない。何もないということを、突きつけられている気がして……。日本にいた頃は、いろんな職業に就いて、与えられた役割は一生懸命こなしてきましたし、問題なく暮らしてきましたが、『河野リエ』単体がケニアでできることは何もない。そんな自分と向き合わなければならないのが本当につらくて……」
悶々としながら過ごしていた河野さんだが、「とにかく少しでも面白いと思えることは全てやってみよう」と少しずつ動き出す。ユーチューバーになろうと、YouTubeに挑戦し、ブロガーになろうとブログを立ち上げてもみたが、もう一つハマれない。夫が手掛ける赤タマネギの卸しの仕事を手伝うという選択肢もあったが、ケニアの公用語である英語がほとんど話せないので役に立てないうえ、事業自体にも興味がもてなかった。
気が付けば、季節は夏になっていた。河野さんは「もっとアフリカのことを知ろう」と、勇気を出して友人と2人で東アフリカを回る旅に出た。
「その旅先で、アフリカ布を身に着けた女性たちを見て、そのカッコよさにハッとしたんです。それまでの私は、周りの目ばかり気にして、無難なモノトーンの服しか着ていませんでした。でも彼女たちは、カラフルで大きな柄の服を着て、『これが私よ』と堂々としている。憧れました。それで、『私もあのアフリカ布を身に着けたら自信が持てるかな』と1枚仕立ててみたんです」
初めて作った服が自信をくれた
アフリカでは、オーダーメードで服を作るのが当たり前で、テーラーも多い。路上にミシンを置いて仕事をするテーラーがいるほどだ。河野さんは布地店で気に入った柄を選び、自分が着てみたいと思ったデザインをオーダー。出来上がった総柄のセットアップを身に着けると、驚くほど背筋がシャンと伸び、顔色もいきいきして見えた。
「初めて自分の『好き』だけで服を選べたことが本当に嬉しくて。前向きになれたし、『これが私なんだ!』という自信が湧いてきたんです」
そこで、ツイッターにアフリカ布で作った洋服の写真をあげたところ、「欲しい!」という反応がいくつも返ってきた。自分が好きだと思えるものに需要があると知った瞬間、「これはビジネスになる、ビジネスにしたい」と思った。
以前の自分のように、「自信が持てないけれど、何か始めたいと思っている人」が、一歩踏み出す後押しになるようなブランドにしたい――。そうして2018年12月に生まれたのが「ラハケニア」だ。コンセプトは「一歩踏み出すきっかけの」と定めた。
「ここまで来れたのは、ケニアへの移住で環境が大きく変わったことはもちろん、何もできない自分に向き合う時間を持てたことが大きいと思います」
(後編へ)