小さすぎて入らない!
ケニアの女性たちが着こなす個性的なアフリカ布の洋服に魅せられ、「これを日本で売ろう」と考えた河野リエさんは、2018年12月にアフリカ布のアパレルブランド「RAHA KENYA(ラハケニア)」を立ち上げた。アパレル未経験だったが、「やれるかな?」ではなく、「やりたい! とにかくできることを探そう」と動き出した。
まずは、知人のつてで、信頼できるテーラーを紹介してもらった。と同時に、ツイッターで「アフリカ布のオーダーメード服を先着5名で作ります」と募集を開始。テスト販売なので、予定通りに思っていたような商品が届くかわからない面もあるが、そうした条件付きでも枠はすぐに埋まった。「ブランド最初の商品はお客様に手渡ししたい」という思いから、日本に帰国した時に直接手渡しすることにした。
ところが、この商品が大失敗だった。サイズが小さすぎて、体に全く合っていなかったのだ。
「直接採寸ができないので、お客さまに『ここをこんなふうに測ってください』とお伝えして、ご自身で測ってもらった数字をテーラーさんにお伝えしたのですが、それがうまくいかなかったんです。『アパレルの経験もないし、縫製の知識もないけれどやっちゃえ!』と、エイヤとやった結果がこれです。浅はかですよね……。お客様には平謝りでした」
しかし注文してくれた人たちは、ツイッターでブランドの立ち上げのいきさつを見守ってくれていた人ばかり。「もう1回作ればいいじゃん。待つから」と言ってくれた。「本当にありがたかったです。ケニアに戻って作り直して、改めて商品をお渡しすることができました」
マーケットでビジネスパートナー探し
洋服づくりの難しさに直面した河野さんは、「洋服は怖くなってしまったので(笑)」さしあたっては採寸の必要がないパソコンケースを販売しようと思い立つ。しかし、小物が作れる職人の知り合いはいない。
そこで河野さんが向かったのは、露店が軒を連ねる地元の市場「マサイマーケット」。ミッションは、ハンドメードの商品を売る職人とコネクションを作ることだった。
「その頃の私といえば、100のことを『ワンハンドレッド』ではなく、『ワン・ゼロ・ゼロ』と言っていたぐらい英語が話せませんでした。『Can you make this one?(これ、作れる?)』という一文だけ頑張って覚えて、サンプルを見せながらいろんな人に話しかけました。作れると言ってくれた人には『プリーズ、ナンバー』と言って紙に電話番号を書いてもらいました」
そんな中で、一番レスポンスが良く、対応が誠実だったのが、当時21歳のテーラー、ウィリアムさんだった。
今ではラハケニアの製品の大半に関わっているウィリアムさんだが、オーダーしたものとは違う製品が大量にあがってくるという珍事件が起きたこともある。
「サンプルと違う!」ショックで寝込む
「ウィリアム君は技術力もセンスもあるのですが、ある時、サンプルとはステッチラインがまるで違うパスポートケースがいくつもあがってきたんです。驚いて、『どうしたの、これ?』と聞くと、『そっちの方がクールだ(かっこいい)から』」
初めての事態にショックを受けて、その日は一日“ふて寝”した河野さん、翌日には「やり直してもらうしかない」と気持ちを切り替え、ウィリアムさんに、「これでは日本のお客さまに売ることはできないので作り直してほしい」と伝えた。
「彼も『ごめん、わかった』と納得してくれました。その時、『サンプル通りのものでないと商品代は支払えない』とも伝えました。それでも彼は、『やらせてくれ』と言ってくれたんです」
やり直しをしてもらったこと、サンプルと異なる商品には代金は払えないと伝えたこと。どれも、品質に対する要求が高い日本市場を相手にする以上、「ウィリアム君にはプロフェッショナルであってほしいから」と河野さんは語る。
とはいえ、全て日本流を通しているわけではない。例えばケニアでは、納期に関する考え方が厳密ではなく、「明日には」「明日には」と納品が遅れていくのが当たり前。しかしここで、怒って相手を責めたりはしない。
「日本の価値観を押し付けるのではなく、『ケニア流』に合わせてこちらの仕組みを変えています。今は、本当の納期が10日後だとすると、『5日後ね』と、早めの納期を設定して伝えたりします。発注数が多い時は、3個できた段階、5個できた段階など、ひんぱんに出来上がりを確認して、サンプルと同じになっているか検品をするようにしています」
SNSで舞台裏を見せる
2018年に立ち上がったラハケニア。今年度の平均月間売り上げは、初年度の6.5倍に伸びた。決め手は定期的に新商品を出せるようになったこと。顧客の数も5倍くらいに増えており、リピーターも多いという。
「お客様は20代、30代の女性がメインで、私と同世代の方が多いです。アフリカに興味を持っている方も一定数いらっしゃいますが、そもそもアフリカのことはほとんど知らなくて、ツイッターやインスタで商品を見て気に入ってくださった方が多い。一番届けたいと思っていた『なかなか一歩が踏み出せない。変わりたい』という思いを持っている方も多いです。最近は私に子どもが生まれて、それをSNSで発信しているので、子育て中のママも増えてきていますね」
ラハケニアの強みは、なんといってもSNS施策だ。ツイッターとインスタグラムを中心に、自分たちの想いや製作過程はもちろん、失敗や葛藤など舞台裏も全てオープンにし、商品の背景に共感し、応援してくれるファンを取り込んでいる。
どんな職人が、何を、どんな場所で作っているかを伝えるために、製作過程の動画もシェア。動画編集の際も、「ここは0.1秒短くしてください」「このテロップはもう0.3秒後に出してください」と、ゼロコンマ単位でこだわっている。
仕事は地道で泥臭い
最初はアフリカ行きを心配していた母親も、SNSを通して娘の楽しそうな姿を見て気持ちが変わってきた。今では、日本での最終検品や発送業務を担当してくれているそうで、「貴重なアルバイト戦力です」と河野さんは笑う。
スタッフはほかに、日本人の女性が2人いる。
「一人は元看護師で、もともとケニアのストリートチルドレンを支援するNPOで働いていました。ストリートチルドレンが路上生活を抜け出して自立するための雇用先がないことにジレンマを抱えている時に、ツイッターで私を見つけてくださったんです。もう一人は元旅行代理店勤務の女性。インスタライブやオンラインイベントでインターンを募集したところ、『自分を変えたい』と応募してくれました」
アフリカと日本を股にかけた、アパレルの仕事。キラキラした、華やかな仕事だと勘違いされることもある。
「でも実際の仕事は、地道で泥臭いんです(笑)。2人とも、そこを理解しながら、主体性を持って働いてくれるので、本当に助かっています。これ以上はいないんじゃないかというほどの人に来てもらえたので、今後の採用が心配なぐらい」
洋服や小物など商品の製作はケニアのテーラーや職人が行っており、現地での動画撮影もケニアの若者が担当。「ほかの仕事も、できるだけケニアの人に頼みたい」と河野さん。現在、ケニアでは美容系やクリエイター系の職業が人気だそうで、日本人と仕事をし、日本で多くの人が動画作品を見ているということが、彼らの自信につながっているという。
スラム育ちのテーラー、ウィリアム
応援してくれる顧客に、職人やテーラー、想いを共有できる頼もしいスタッフ。少しずつ仲間を増やし、ブランドを育ててきた河野さんだが、それは創業時からラハケニアを支えてきたテーラーのウィリアムさんとて同じだ。
最初は職業訓練所の片隅を借り、ミシン1台で作業をしていたが、河野さんからの発注を受けるようになって3カ月後には、小さいながらも自分のアトリエを構えるようになった。月収も2万~4万円と、大卒者の給料と同等か、時には大きく超えるほどに。さらに生産量が増えた2年半後には、もっと広いアトリエに移り、ミシンを5台に増やした。アシスタントも、忙しい時には最大3人雇うまでになった。
「実は、彼と取り引きするようになって2カ月ぐらい経った頃、何気なく『将来の夢って何なの?』と聞くと、『僕はスラム出身だから、スラムに雇用を作りたい』と話してくれたんです。そこで初めて『スラムの出身だったのか』と知りました」
幼い頃から手先が器用だったウィリアムさんは、スラムにある職業訓練校で洋裁の技術を身につけた。河野さんと彼が出会ったのは、彼がそこを卒業し、小物を作ってマーケットで売り始めてすぐのタイミングだったのだ。
コロナ禍のテーラーたちを支援
ケニアでも、コロナ禍の影響は大きく、2020年3月にはロックダウンが実施され、経済も大きなダメージを受けた。治安の悪化が懸念されたこともあり、妊娠していた河野さんは3月、出産のために一時帰国した。
コロナ禍は、取引していたテーラーや職人たちにも大きな打撃を与え、「仕事が激減した」「家賃が払えない」といった声も聞こえてきた。そこで河野さんは、売り上げの一部を寄付するプロジェクトを展開して彼らを支えた。
昨年9月に日本で長女を出産した河野さんは、2021年2月に子どもを連れてケニアに戻った。
ケニアでは、自宅に来て子どもの保育をしてくれるナニーを気軽に雇うことができる。河野さんは、「いいナニーさんに毎日来てもらっているので、ガッツリ仕事ができています。ナニーさん同士が集まり、一緒に子どもを遊ばせたりしてくれていて、娘もいろいろな人種の人たちに囲まれてのびのびと育っています」と話す。
「一歩踏み出すきっかけ」をケニアの人にも
ラハケニアが軌道に乗り始めた現在、河野さんは次のステップについて考えている。
「日本のお客さまが『一歩踏み出すきっかけ』はある程度作れてきたように思います。ただその一方で、ケニアの人たちが『一歩踏み出すきっかけ』は作れているのか、と考えるようになったんです」
「何をやるか」はまだ具体的に決まっていないが、1年以内に一つの事例を作ることを目標に定めた。
「テーラー志望の人たちを支援してもっと雇用を作るのか、ストリートチルドレンや若年性妊娠をした母子を対象とするのか、さまざまな社会問題を視野に入れながらリサーチしているところです」
「あなたはいま幸せ?」
河野さんは、「将来、ほかの国に行くというのはありえるけれど、日本に帰るという選択肢はあんまりないですね」と話す。ケニアに来たのは、たまたま夫が希望したからだが、もし今後、夫がよその国で事業を興すことになっても、ラハケニアの仕事が忙しければ、ついていかないと言い切る。
「私たち夫婦は、『それぞれが夢中になって打ち込める物があれば、それが一番いいよね』という考え方なんです。付き合っている時から遠距離でしたし、結婚してケニアに住むようになってからも、家には常にスタッフや夫の会社のインターンがいて、2人きりになることがあまりなかったせいかもしれません」
自分に自信がなく、「何がやりたいかわからない」「何ができるかわからない」と悩んでいたかつての河野さんの姿はもうない。
「ケニアの人って、『自分の幸せ』を考えている人が多いんです。『あなたはいま幸せ?』と聞かれることが多くて、その度にハッとします。日本にいた頃は、自分がどうしたいかよりも、周りがいいと言いそうなことを選択してきましたが、もっとずうずうしくなって、自分の幸せを考えていいのかな、と。ここではみんな、自分自身を幸せにして、自分の人生を本当に生きているからこそ、ストレスフリーで明るい。今はそんなケニアにほれ込んでいます」