北京で「親子ワンピース」と出会い、未経験にもかかわらずファッションの世界に足を踏み入れた中川かおりさん。しかし、会社員との二足の草鞋は想定以上に大変なものだった――。

絶望的に似合わないワンピース

「服には気持ちをつなぐ力がある」――。

今でこそ1時間4万4000円という高額にもかかわらず、パーソナルコンサルティングで伸びているベンチャー企業・newR(ニューアール)。コンサルティング分析のウェイトリストは1000人に達するほどだ。

そんなnewR代表の中川かおりさんがファッションの世界に足を踏み入れることになったのは、2016年に子どもとお揃いの「親子ワンピース」を買ったことがきっかけだった。

見知らぬ土地で、幼い弟を気遣い甘えられずにいた長女が、自分とお揃いワンピースを着ただけで笑顔になったのだ。中川さんは洋服には着る楽しみだけではない、もっと強い力があると確信した。

中川さんは当時システム開発企業に勤務しており、二人目の子どもの育休中で、夫の赴任先だった中国・北京で一時的に暮らしていた。親子ワンピースを着て娘と歩けば、あちこちで声をかけられるほど人気があった。しかし、肝心のワンピースは、「絶望的に似合わなかった」(中川さん)。

娘はお揃いで着たがるが、自分は正直着たくない。探し回っても良いものは見つからず、仕方がないので自分で作ろうと思い立つ。

北京で生地を選ぶ中川さん
写真=本人提供
北京で生地を選ぶ中川さん

しかし、中川さんはもともとファッション業界とは無縁だ。思った通りのものはなかなか作ることができなかった。縫製をしてもらうにも、北京の業者とやり取りしなくてはならない。まずは縫製に関する中国語を集中して勉強し、マスターした。

言葉だけでなく、商慣習にも壁があった。

ある日、注文したものを仕立て屋から受け取ると、頼んでもいないのに背中にファスナーがついている。「こんなことは頼んでいない」というと、仕立て屋は「こっちのほうがいいはずだ。一度着てみて感想を教えてよ」と言ってくるのだ。直せと言っても頑として聞かない。

仕方がないので持ち帰って中国在住期間が長い友人に顚末を話すと、「じゃあ、『着てみたが、やっぱり作り直してほしい』と言ってみるといい」と助言された。その通りにしてみると、「そうか」と修正してくれた。友人は、「中国では『自分が何をしたいか』を通すために、真実を話す必要はない」と教えてくれた。

そうして、自分に似合うワンピースを作ることができるようになった。手作りの親子ワンピースを着て、街中を歩いていると、「私も欲しい」と声をかけられ始めた。言葉はなかなか通じなかったが、ITに強かった中川さんはECサイトを使いこなし、素材を購入しながら服作りを始めた。

起業しても会社は辞めない、十円ハゲを抱えて復職

しかし、そのうち、今度は中川さんに似合っても、それが似合わない親子が出てきた。それぞれに「似合う」ものを作りたいと考えた中川さんは、骨格診断とパーソナルカラー診断を学ぶことを決める。

親子ワンピースを着る中川さんと長女
親子ワンピースを着る中川さんと長女(写真=本人提供)

育休明けに向けて日本に戻る時期でもあった。復職すれば平日は動けなくなる。復職前には、1カ月間の一時帰国の時期があったのだが、この間に骨格診断とパーソナルカラー診断を学びきれるよう、日本の講師に頼み込んだ。なんとかOKをもらったものの、二人の子どもをまとめてすぐに預かってくれるのは、銀座の一等地の保育園しか見つからなかった。でも、これしかない、と中川さんは自分に思い切り投資した。

この一時帰国の間は、昼間は講義、夜は予復習で睡眠時間はわずかだった。生まれて初めて頭に十円ハゲができた。だが、こうして学んだことを生かして作り直したワンピースは、以前は似合わなかったママ友にも驚くほど似合った。

「やっぱり骨格とカラーは服に関係するんだ」と確信し、これでもっとたくさんの親子を笑顔にできる――2017年、こうして服を作っていこうと決めて起業することにした。「newR」は、中国語で「私の娘」という意味の語の音から名付けた。

夫との約束は「辞めない・借りない」

しかし、安定志向の夫は、中川さんの起業に対して簡単には首を縦に振らなかった。そこで、事業化するにあたり、夫とは二つの約束を交わした。

「会社を辞めないこと」
「借金をしないこと」

その約束を念頭に置きつつ、会社に復職。空き時間を全て事業のために充てることにした。

日本の現状を調べると国内縫製品は2%程度。だからこそ、日本の工場で作る国産にこだわりたいと思った。とはいえ、日本の縫製工場とのコネクションは全くなかった。

そんな段階だった頃、たまたま女性誌『VERY』を開くと、そのページに起業コンテストが掲示されていた。よく見ると締め切りまであと数日しかない。「ママが一番きれいに見える骨格とカラーで作る親子ワンピース」という企画を急いで応募したら、それが採択された。とにかく作らなくては、と工場探しに奔走した。

「会社を辞めるな」と約束させた夫が退社を認めたワケ

ワンピースを作ってくれる縫製工場を探すため、昼休みは会社を離れて工場に電話し続けた。工場はロットの小さいベンチャー企業からの連絡には冷たく、メールは基本的に無視され、電話をしてみても説明が終わらぬままに「うちはそういうのやってないから」とガチャ切りされることも少なくなかった。

200件もの工場に断られ、打ちひしがれていた中川さんは、たまたま家族と訪れた飲食店で奇跡を起こす。その店の店長に「縫製工場が見つからない」と話したところ、衣料品のOEM(他社ブランドを製造すること)メーカーに勤める知り合いを紹介してくれることになったのだ。そのおかげで条件に合う縫製工場が見つかり、ようやく事業化のめどが立った。

そうして、日中は職場、家庭ではワンオペ育児。午後9時に子どもと一緒に床に就き、夜中の1時に起きて服作り――。そんな生活は退社を決めるまで1年半続いた。

副業に限界を感じ、ついに独立を決意

転機は、百貨店からのオファーだった。

あるとき、百貨店の外商向けのマタニティ売り場で販売しないかという声がかかった。週末に店頭に立つだけならかろうじてできるが、百貨店に服を売るとなれば、在庫も作っておかなければならないし、品質検査にも時間を取られる。百貨店の仕事を受けないという手もあったが、面白そうだと思う気持ちを抑えきれなかった。

このまま会社員を続けることは現実的に無理だと思い始めていた。ただ、夫と交わした「会社を辞めない」という約束を破ることになることには心が痛んだ。

そんなころ、newRが展示会に参加する機会があり、たまたま夫が一時帰国していたのでブースの受付を手伝ってもらうことになった。妻の事業についてよく知らなかった彼は、そこに立っているだけで次々に商談の依頼があることに驚く。妻の状況を把握したことで、ついに夫は退社することを受け入れてくれた。

服を売る必要はない 「似合う」を売る

退社してからは、百貨店の子ども服売り場でのポップアップショップで販売する機会が増えていった。そんなころ、ある百貨店では、ポップアップの担当とは別の担当長がやってきて、「newRの商品より考え方に興味がある。選び方の提案をお客様にできませんか?」中川さんに尋ねた。そこから、「似合う服選び」の社員研修の仕事も請け負うようになった。

しかし、たくさんの客と接していくと、骨格やカラー診断上は「似合う」はずなのに、なぜかnewRの服では似合わない人が出てきてしまう。「似合う服」を作って売ることに限界を感じていた。

「自分で服を作らなくても、いま世の中にある『似合う』服を見つけてあげたらいい」

そう気づいたのは、2020年の春だった。コロナ禍でファッション産業が打撃を受け、環境に左右されないサービスを作りたいと考えていたこともあり、完全オンラインの「newRパーソナル分析」というサービスを立ち上げた。

骨格診断やパーソナルカラー診断で、「あなたに似合うのはこれ」と提案するのではなく、本人が登録した画像を中川さんが分析し、その人の持つイメージを「誠実」「優しさ」「正統派」など具体的に言語化し、服であれば素材やシルエット、ウエスト位置、肌の露出具合まで似合う形を提案する。男性であれば、どのくらいのシルエットが似合うのかも、段階的に違いを比較して説明する。

普段着はもちろん、和装やスーツも、似合う形や柄、素材も写真入りで示す。コーディネートでも印象が変わるので、全体のバランスも解説する。

さらに、小物類も細かく分類する。かばんや靴はもちろん、メガネ、マスク、傘、さらには花、グラス、ロゴ、文字のフォント……、そうしたこまごましたものも、「似合う」ものを提案する。

やろうと思えば、どんなものでも「似合う」を提案できる。インテリアや部屋作りなども、今後はパーソナル分析していきたいと考えているようだ。

似合う服を長く着る「サステナブル・ファッション」を提案

ちなみに、夫とのもう一つの「借金はしない」という約束も反故になっている。自己資金を突っ込んで、さらに公的融資も受けている。それでも、「似合う」を売ることをあきらめたくなかった。

newRでワンピースを販売していた頃、「これが欲しい」と言ってくれた友人であっても、似合わないと思ったら、「あなたが似合うのはこれじゃない。絶対売らない」と言い切る徹底ぶりだった。似合わない服はいずれ着なくなる。似合うものを長く着てほしかった。

目標はサステナブルな経営だ。

「今すぐ買う、ではなく、待つという習慣を持ってほしい。『似合う』服が分かれば、きっと待てるようになる。そうすれば、焦って買わなくてもよくなり、アパレルも在庫を抱えず、閑散期に分散し、適量を適時生産することができる」という。サステナブル・ファッションのあり方の一つに、「1着をより長く着る」という考え方がある。より長く着るために「似合っている服」を選ぶということが重要であると考えているわけだ。

将来は、オンライン分析をWeb上でできるSaaSにして、ECにひも付けたり、リユースとつなげていきたいと中川さんは語る。そうした「似合うの循環」を作るのが夢だ。

「感性と言われる部分にも必ずロジカルなところはある。多くの人に、自分に似合うものを使ってほしい」

鮮やかな色彩の中で育ったプログラマは、感性の世界と言われるファッションをロジカルにしていくという難事に挑戦していく。娘を笑顔にした、ファッションの力を信じて。