どうせITに関わるなら最先端の企業へ
外資系の広告会社からGoogleに転職して10年目。阿部和子さんは今、各事業部門と顧客企業数十社とのパートナーシップ締結を一手に担う「パートナーシップ事業開発本部」を統括している。
今でこそ巨大IT企業の窓口として活躍しているが、もともとはテレビや雑誌の広告制作や媒体を扱う総合広告会社の営業出身。入社当時は「ITに苦手意識があった」と笑う。
「Googleから誘いをもらったときも、ITのことは全然わからないって正直に言ったんです。そうしたら当時の社長が、そこは教えるから顧客とのコミュニケーションの部分を担ってほしいと。それなら営業の経験を生かせるし、どうせ新しい世界に行くなら最先端のところへ行こうと、思い切って飛び込みました」
ログインのやり方がわからない…
それが36歳の時。タイミング的にはちょうど、広告業界の仕事を一通り体験して次は何をしようかと考え始めていた頃だった。当時、Web広告が普及し始めていたため、「デジタルはできればやりたくない、でもできるようにならなきゃ」と葛藤していたという。
そんな迷いを振り切って入社したものの、阿部さんは初日からITの壁にぶち当たる。前の会社と違い、Googleでは個人で使うPCは各自でセットアップするのが普通。阿部さんも新しいPCを渡されログインするよう言われたが、その方法はもちろん、ログインという言葉の意味もわからなかった。
大事なプレゼンで頭が真っ白に
「当時の私は本当にITオンチでしたね。今、複数のデバイスを使いこなしているのが信じられないぐらい(笑)。この10年、そうした新しいものを常に学び続けてきた気がします。この世界は進化も変化も激しいですし、Googleもここ10年で急成長して大きく変わりました。ただ、自分たちに何ができるかを追求してユーザーの生活を豊かにしていこうという姿勢は変わらない。そこへの共感と、新しい発見の連続が楽しさにつながっています」
最初に配属された部署では、前職の経験を生かして広告営業として活躍。外資系の顧客が多かったため海外出張も頻繁で、ややおっちょこちょいな性格も手伝って「いつも綱渡りだった」と振り返る。
時差を忘れて空港から慌てて打ち合わせ場所に直行したり、ミーティングの日にちを間違えたりといったことは日常茶飯事。大事なプレゼンで、大勢の人を前にして緊張し、話すべき内容を全部忘れてしまったこともあった。
それこそ星の数以上に失敗したそうだが、挑戦した結果うまくいかなかったことはあっても、やってみればよかったと後悔したことは一度もないという。もともと前向きな性格でチャレンジ好き。会社も「失敗から学べばいい」という姿勢で、挑戦や成長を後押ししてくれた。
失敗が怖くて逃げ続けた3年間
だが、そんな阿部さんにも一度だけ、失敗が怖くて逃げ続けていた時期がある。40歳前後の約3年間、マネジャー職にという打診を「まだ営業現場でバリバリやりたいから」と断り続けたのだ。
「広告営業が天職だと思っていたので、現場にいたかったのは事実。でも、本音を言えば単純に怖かったんです。マネジャーになって、もしうまくいかなかったらどうしようと。せっかく営業で成績を上げているのに、その周囲の評価を失いたくなかった。今思えば、結局は失敗から逃げていたんですね」
そうした本音を知ってか知らずか、上司は決断を急がせることなく「準備だけはしよう」と言い、その後も折に触れて昇進を打診してくれた。そして3年後。上司の一言がついに阿部さんの心を動かした。
3年待った上司がついに放った言葉
「ゴニョゴニョ言うな、カッコ悪いよ」
まだ現場にいたい、マネジャー職で失敗したくないと言う阿部さんに対し、上司はそう言ったのだ。
確かにその通りだなとハッとした瞬間だった。続けて、「最初からできる人なんていない、間違えたらちゃんと指摘するから」と諭され、ようやく覚悟が決まった。
「当時の上司とは選手とコーチみたいな関係で、私にとっては今も理想のボス。背中を見せながらメンバーの成長にも気を配り、苦しい時は一緒に戦ってくれました。言うこともストレートだったし、絶対的な信頼感がありましたね」
信頼する上司の言葉で覚悟を決め、マネジャーとして新たなスタートを切った阿部さん。自分は新米だからと、チームメンバーには「ダメなところがあったら言って」と伝え、オープンな関係を築けるよう努めた。同時に、マネジメントスキルを磨こうと時間の許す限り研修などに参加。現場にいた頃と同じように「失敗から学ぶ」を大切にしながら、少しずつ成長していった。
メンバーの成長のために、自分の得意分野を封印
息子を育ててきた経験から、阿部さんはマネジャー業を母親業に例える。どちらも一足跳びに理想の姿になれるわけではなく、子どもやチームメンバーを育てることで自分も育てられ、徐々にそれらしくなっていけるのだと。
「あの時、マネジャーに挑戦して本当によかったですね。新しいことをたくさん学ばせてもらって、ワンステップ成長できました。それもチームメンバーが私を育ててくれたおかげ。本当に感謝しています」
ここで培った組織づくりの経験は、次の舞台でも大いに生きることになる。2020年、阿部さんは自ら希望して新設のパートナーシップ事業開発本部に異動。ずっと好きでやってきた広告部門から離れるのは寂しかったが、それを超えるほどの強い思いがあった。
「チームや組織の成長にはメンバー個々の成長が欠かせません。そう実感するにつれ、この先皆で成長していくためには今のステージは後続の人に譲って、私は次のステージへ行かなければと思うようになりました」
メンバーをしっかり育てればそれぞれに自主性が生まれ、マネジャーの出番は段々少なくなっていく。その結果、阿部さんは「すっかり暇になっちゃった」のだそう。この状態が続いたら、自分が成長できないだけでなくのチームメンバーの成長機会も潰すことになってしまう──。そう考え、後続に道を譲ることにしたのだ。
「自分の得意分野にフタをする苦しさはありましたが、進んだ先でまた違う楽しみが見つかるはずだと思って。実際、今の仕事のおかげで新しい視野が開けたという実感があります」
「お前と一緒だと面白くない」「周りが疲れる」
今、新しい部門のリーダーとして、また役員として大事にしていることが2つある。1つは皆に成長の場を用意すること。異動の原動力にもなったこの思いは、今もまったく変わっていない。ただ、ポジションが上がったことで、チームメンバーだけでなく顧客企業やユーザーに対しても、成長や発展の機会を提供しようと心がけるようになった。
もう1つは、仕事や生活の中に“遊び”の部分をつくること。これは20代の頃からずっと肝に銘じているという。早く成長したくてがむしゃらに頑張っていた新人時代、先輩から言われた一言がきっかけだった。
「お前と一緒の仕事は面白くない」。顧客へのプレゼンからの帰り道、突然そう言われて阿部さんは大ショックを受けた。仕事もプレゼンも型通りすぎて遊びや余裕がない、がむしゃらすぎて周りが疲れるんだよね──。
成果を出そうと必死になりすぎていたのだろう。当時の阿部さんのプレゼンは、事前に分刻みの計画を立て、その流れに沿ってひたすら売り込みを続けるスタイル。顧客の意見を聞く余裕もなければ、新しい視点が生まれる余地もまったくなかった。
「すっかり反省して、以降は“遊び”を大事にするようになりました。今もプレゼンや打ち合わせの際は、議題のほかにムダ話をしたり意見をもらったりする時間を必ずとるようにしています。これは、お互いへの理解が深まったり新しいモノが生まれたりするきっかけにもなっています」
勝手に頑張りすぎて自分の首を絞めていた
こうした遊びの部分への意識は、プライベート面でも役に立ったという。30代前半には育児と仕事の両方を完璧にこなそうとして悩んだこともあったが、夫の「その場その場で互いにできることをやっていこうよ」という言葉で、フッと肩の力が抜けた。
「結局、勝手に頑張りすぎて自分で自分の首を絞めていたんです。いちばん大事なのは楽しむことで、そのためには時には人にも頼って、遊びの余地を残せるよう自分なりのバランスを見つけなきゃ。息子にも、ハッピーじゃない姿より楽しんでいる姿を見せたいですよね」
今、その息子は14歳。子育てを通して学んだことは、リーダーとして人材育成を担う上でも役立っている。成長機会をつくり人を育てること、さらには発展の機会を提供し相手を豊かにすること。入社から10年が経ち、阿部さんは「ようやく自分がやるべきことの軸が見えてきた」と語る。
「私はずっと、組織や社会に何かしら貢献できる人、役に立つ人でいたいと思ってきました。そこに必死になりすぎた時期もあったけれど、私なりのバランスを見つけてからは、自分の役割を楽しむ余裕を持てた気がします。今後も、楽しみながら仕事に取り組んでいきたいと思います」
■役員の素顔に迫るQ&A
Q 好きな言葉
天才は努力する者に勝てず、 努力する者は楽しむ者に勝てない
「何かしら笑ったり楽しみを感じたりできるものが好き。仕事でも何でも、まずは楽しむことがすごく重要だと思っています」
Q 愛読書
『英雄の書』黒川 伊保子
「人生を切り開く方法を教えてくれる本で、私のバイブル。読み返すたびに勇気をもらっています」
Q 趣味
読書、ハングル語の勉強
Q Favorite Item
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