弁護士活動の中で確信したこと
念願の専業主婦から一転、シングルマザーとして奮闘してきた中原さんは、40歳にして新たな道を歩む。希望に燃えて飛び込んだのは弁護士の世界だったが……。
「トラブルの海でした。覚悟はしていましたけれど、これほど人の苦痛や怒りがあふれた世界なのかという現実を突きつけられたのです」
交通事故で四肢まひになった働き盛りの男性、植物状態の息子を毎日見舞う年老いた母親など、事故で人生が激変してしまった人たち。万引きや薬物犯罪を繰り返す人、3歳の息子に暴力をふるう親、相続や離婚で揉める家族、職場のパワハラやモラハラで心身のバランスを崩した人。代理人として寄り添うなかで、中原さんは確信したことがあった。
「法的な勝ち負けとその人の『幸福度』はまったく相関しないということ。どんな出来事があっても、自分がそれをどう捉えるか。幸福とは『心のあり方』なんですね」
「僕は世界一、幸運なんですよ」
今も深く心に刻まれている出会いがあった。交通事故に巻き込まれて頸椎損傷を負った40代前半の男性がいた。専業主婦の妻と子どもを養う大黒柱だったが、首から下がまったく動かなくなったのだ。リハビリで多少右腕が動くようになったものの、頸部の手術によってその腕もまひしてしまう。一年後には、妻に乳がんが見つかったという。
「この方は壮絶なリハビリをこなし、加害者とのやりとりもなかなかうまくいかなかった。客観的に考えれば大変なことばかりで、不運の連続のように見えるでしょう。けれど、『僕は世界一幸運なんですよ』と毎回会うたびにおっしゃるんです。その心はと聞くと、『これだけの事故で自分は死ななかった。ものすごく幸運じゃないですか』と。奥さんの乳がんも、ご主人の病院へお見舞いにいらしたときにたまたま受けた検診で発見されたそうです。だから、『僕が事故で入院していたから、妻が検診を受けた。そうでなかったら妻は行ってなかったと思います。それでがんが見つかって、今は治療している。だから幸運でしょう』と笑顔で言われるのです」
激務とストレスで2年に一度は入院
一方、法的に勝っても、次はどうやって相手を傷めつけてやろうかと怒りをつのらせる人たちもいる。そう思い続ける限り、本人も幸せではないだろうと、中原さんは考える。そうした負の感情に弁護士自身も引きずり込まれてしまうことがあった。仕事は際限なく、朝8時から夜中まで働き詰め。土日も休めなかった。
「弁護士はすごく地味で泥臭い仕事なんです。依頼者との関係があるので他の人に仕事を任せられない。作業の量は多いし、危険なこともあります。怒りを抱えた相手方が事務所へ入ってきて、乱暴することもあるんですね。そういうトラブル全体を引き受けるので仕事のストレスは大きいのです」
過労から突発性難聴や胃腸炎などを発症し、2年に一度は入院していた。入院中もパソコンを持ち込んで仕事を続け、依頼人からの相談には24時間応じる。主治医に頼み込んで一時外出の許可をもらい、裁判所へ出かけることもあった。
「仕事に行きます、痛み止めをお願いします!」
そんな日々のなかで、果たして自身の幸福度は高かったのだろうか。すると中原さんは苦笑交じりにこう漏らす。
「人生でいちばん低かったと思います。すっかり自分を見失っていましたね。忙しくなるほど目の前のことに追われてしまい、働き方を変えられなかった。自分に立ち返らせてくれるような存在もいなくて、悲観的でネガティブな性格が拍車をかけていく。人生の沼にはまりこんでいるようでした」
その沼から這いあがるきっかけは、6回目の入院だった。弁護士生活も10年経とうとする頃、あまりの腹痛に耐えられず、足を引きずりながら近くの医院へ行った。
「とにかく痛み止めだけ打ってください。これから仕事に行くので……」
受付でそう話しているうちに意識が遠のき、気がついたら救急車で総合病院へ。後に聞くと、盲腸が破裂して、大腸の壊死がかなり進行していたという。それでも救急車の中では「仕事へ行きます、痛み止めをお願いします!」とずっと叫んでいたらしい。
入院後はしばらく体を動かせず、原因不明の出血と不調が続く。療養生活は2カ月以上に及んだ。
「さすがに働くことって何だろう、と考えました。弁護士として関わってきた人たちの生き方を振り返ると、やっぱり法的評価は絶対ではないと思う。人の幸せとは、法的な勝ち負けで得られるものではなく、すべては心のあり方です。どんな事件も必ず終わりがあるわけで、その先に見える空をどういう色に染めるのかということが大切。そこで行き着いたのが『well-being』という言葉でした」
弁護士を辞めて普通の会社員になりたい
この言葉が世界的に知られたのは、1947年に採択された世界保健機関(WHO)憲章だ。その前文で「健康」についてこう定義している。〈健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいいます〉(日本WHO協会・訳)。日本ではこの「well-being」が「幸福」と訳されていた。
中原さんが弁護士という職業を選んだのは、人の幸せのために役に立てたらと思ったから。だが、10年続けたときに疑問を感じた。自分の求めるものはこれだったのか、もっと人の幸せのためにできることがあるんじゃないか……と。もう一度「幸せ」というものを見直そうと思い、またも大胆な決意をした。
「とにかく弁護士を辞めて、普通の会社員になろうと思ったんです」
人生の大先輩が諭してくれたこと
なんと50歳にして、ゼロからの就職活動を始めた中原さん。「法律」以外の仕事を手当たり次第に探していたが、人生の大先輩と仰ぐ人に諭されたのだ。「あなたが『well-being』を本当に考えるなら、それを貫いた方がいいよ」と。その言葉にハッとしたという。
思えば人の幸せのためにと言いながら、自分の幸せはずっと後回しにしてきた。弁護士の仕事も頑張りすぎるあまり、体も心も疲弊しきって倒れてしまったのだろう。自分が幸せでなければ、人を幸せにすることはできない――。そう反省した中原さんは、もう一度勉強からやり直そうと思い立つ。
臨床心理学、発達心理学、行動経済学、マインドフルネス、ポジティブ心理学、交流分析、カウンセリング、NLPなど、あらゆる「心」に関する学びに取り組んだ。心理学の領域は新しい知見が次々出てくるので、どんどん引き込まれていく。なかでも注目したのが「コーチング」だった。
「相手の可能性を無限ととらえ、すべてのことは本人が答えを持っていると信じる。その能力を引き出し、成長へ導いていくというコーチングの本質に惹かれました。スクールという形で学べる場をつくり、それが広がって社会のコミュニケーションやインフラに活かされたらいいなと思ったのです」
日本人の幸福度が低い理由
社会全体の幸福度を高めるには、経営者にも広めたいと考え、MBAを受講して経営学や組織論なども学ぶ。最新の心理学からマネジメントまで取り入れたカリキュラムを作り、2018年に「ラッセルコーチングカレッジ」を開校したのである。
受講生は、企業の人事担当やマネジャー、経営者、医師、障碍者支援をする人など、それぞれの立場で学んでいる。中原さんがコーチとして心がけていることは何だろう。
「あくまで『well-being』のためという目的を忘れないこと。コーチングというと、目標達成だけにフォーカスするやり方もあるけれど、その先にある「well-being」の状態を目指すということですね。人はついつい自分を否定してダメ出しをしたり、時には傷つけて何かをあきらめようとしたりするけれど、自分らしくありながら、他者とともに幸せに生きる。そのためには自己理解が大事です」
最近はビジネスの世界でも「well-being」という言葉をよく耳にするが、どこか曖昧にも感じる。あえて中原さんに聞いてみると、「いろんな意味があって、思考や生き方が柔軟になるということもあります。例えば日本人の幸福度が低いというデータがいつも出ますよね。あれは社会的寛容度の低さが影響しているんです。日本の社会は失敗に不寛容で、こうしなければならない、こんなことをしたら変な目で見られるとか、自分や周りに対する思い込みが強い。本当は無限にある選択肢を狭く考えているので、自分で何かを選んだという実感が薄いのです。それが幸福度の低さにもつながるのでしょう。人は孫悟空の輪のように自ら認知の枠をきつくはめたり、見えない天井に捉われたりしがちですが、それを外すことで思考や生き方も柔軟になっていくのです」
一瞬一瞬、自分が幸せになるための選択をしていく
女性管理職の受講生も多く、部下とのコミュニケーションや家庭との両立などさまざまな悩みを聞くという。働く女性たちもまさに社会的寛容度が低いことで強いストレスを感じているだろう。子育てと仕事の両立を担うのはやはり女性が中心であり、一方では男女変わらず結果を求められるプレッシャーもつのる。そうした呪縛から自由になるにはどうしたらいいのか。そのヒントを中原さんはこうアドバイスする。
「ご自身がどういう『こうあらねばならない』という思考を持っているのかをまず知ることです。母としてはこうありたい、社会人としてこう生きなければならない……それは自分が生まれてからずっと経験してきたことで積みあげた人生の物語ですね。そのうえで自分は物語の著者であり主人公なので、これからどういう物語を書くのか、主人公としてどう演じていくのか、そしてどんな登場人物から影響を受けるのかを自分で決められるのです。今までの思考や生き方に捉われることなく、自分の選択で新たなストーリーを描いていける。自分が幸せになるための選択をその瞬間、その瞬間にしていけばいいのです」
それは中原さんも自身の人生から学んできたことだろう。子育ても仕事も手を抜かず、人の幸せのためにと必死で走り続けてきたものの、肝心の自分を見失ってしまう。だが、そこでリセットし、新たな人生の扉を開いた先に自分の「幸せ」が見えてきた。そして、その扉を開く鍵は自分の中にあったことも気づく。だからこそ今は、誰しも持つ鍵の開け方を多くの人に伝えたいと願っている。