東京・亀戸にある創業216年の老舗くず餅屋「船橋屋」には、わずか数人の新卒採用に1万7000人以上の応募が殺到する。船橋屋をこれほどの人気企業に育てた立役者が佐藤恭子さん(39)だ。入社当時の嫌がらせを跳ねのけ、33歳の時に社員の総選挙で執行役員に選ばれた佐藤さんを支えたものとは――。
船橋屋執行役員の佐藤恭子さん。2021年3月にオープンしたばかりの、カフェとくず餅乳酸菌を使ったトリートメントサロンを併設する「BE:SIDE表参道」で
撮影=プレジデントウーマンオンライン編集部
船橋屋執行役員の佐藤恭子さん。2021年3月にオープンしたばかりの、カフェとくず餅乳酸菌を使ったトリートメントサロンを併設する「BE:SIDE表参道」で

全店を回ってリポート作成「スゴイ子が来る」

「これが船橋屋の5代目の奥様で、これが6代目。私、5代目の奥様の生まれ変わりだと思ってるんですよ」――。自身のスマートフォンの待ち受け画面の写真を見せながら、文化2年(1805年)創業のくず餅屋「船橋屋」の歴史について嬉々として語るのは執行役員で企画本部長の佐藤恭子さんだ。

「すみません。話し出すと止まらなくて……。ここ13年ほどは、文豪との関わりなどを含めて学術的に船橋屋の歴史を調べているんです。5日くらいいただいたら全部ご説明できるんですけどね(笑)」

現在は社長の右腕として、人事や組織運営、商品開発など幅広い分野で活躍する佐藤さんだが、17年間の会社生活は必ずしも順風満帆ではなかった。

就職活動では大好きな歴史にフォーカスし、「古い歴史があり、地元の人々に慕われている老舗会社に入りたい」と考えて船橋屋を選んだ。

それまでの船橋屋は、年に1、2人採用する程度。佐藤さんが入る1年前の2003年ごろから、新卒採用に力を入れるようになっていた。

入社当時の佐藤さん(後列左端)。前列は渡辺雅司専務(現在の社長) 写真提供=船橋屋
入社当時の佐藤さん(後列左端)。前列は渡辺雅司専務(現在の社長) 写真提供=船橋屋

4月1日、やる気満々で本部に赴くと、先輩社員からいきなり声をかけられた。

「あなたが佐藤さん?」

実は佐藤さん、就職活動の時に「どうしても船橋屋に入りたい」という思いから、全店舗を回って詳細な調査リポートを作成し、面接に持ち込んでいた。

「そのリポートが社内で回覧されていて『なんだかスゴイ子が来る』と噂になっていたようなんです」

呼び出されて2時間の説教

社内では「スゴイ子が来る」という期待があった一方、それを「目ざわり」と見る空気も生まれていた。

不穏な空気を察知できないまま、1カ月の本部研修に突入した佐藤さん。靴がなくなる、話しかけても無視される、外で悪口を言われるなどの嫌がらせに遭う。

さらに、佐藤さんが、もっとくず餅について知りたいと工場長に話を聞きに行ったところ、先輩社員に呼び出され、「新人社員が製造トップの工場長に話しかけるなんて信じられない。常識を欠いている」と2時間近く説教を受けた。

それが役員の耳に入り、その先輩社員が注意を受けると、今度は「あなたのせいで怒られた」と怒鳴られた。

「店舗MVPを取って一緒に見返そう」

ついに佐藤さんは、入社20日目にして「やめたい」と辞意を伝えた。

「すると、渡辺雅司専務(現在の社長)が夕礼の場で『新卒をいじめるとはどういう会社だ。いじめたと認識している人は出てきてください』と厳しく叱責し、『こんなことが起きないように会社を良くしていきたい』と言ってくださった。それで、踏みとどまりました。確かに当時の会社には奥ゆかしい感じの女性が多く、私が目立っていたのは確か。郷に従わず『出る杭』になっていたんですね」

さすがに本店配属だけは嫌だった佐藤さん。就職活動中に全店舗を回った中で、ぜひ働いてみたいと思っていた、都心のターミナル駅の百貨店食料品売り場を希望してそこに配属された。

売り場に出勤すると、店長から、本部では「佐藤さんがまったくあいさつをしない」などという悪い噂が立っていると聞かされた。

「でも店長は、『私はあなたが言うことを信じるよ』と。そして『一緒に見返そう。店舗MVPを取って新年会で表彰されるように頑張ろう』と背中を押してくれました」

とはいえ、学生時代はバスケットボールに打ち込み、ほとんどアルバイトもしたことがなかった佐藤さんにとって、接客の仕事は初めて。最初は戸惑うことも多かったが、挨拶を心掛け、お客さんの顔を覚え、季節の商品を試食しては感想をノートに記すなど努力を欠かさなかった。店長とパート1人の3人体制だったが、信頼関係を構築できたこともあり、1年後には社内で売り上げトップとなり店舗MVPを獲得。自身も新人賞に選ばれた。

「私は負けず嫌いなので、最初は『絶対見返してやる』という気持ちだったんです。でも、店長に信じてもらい、支えてもらいながら店頭に立つうち、『仕返し』ではなく、お客様のために頑張ろうという気持ちに変わったんです。それが自分の成長につながり、会社のためにもなるんじゃないかと」

徹底的に歩いて競合店を調査

活躍が評価され、2004年10月には、翌年2月に開店予定のカフェを併設した新店舗「こよみ」のオープニングスタッフに抜擢された。しかし、フードコーディネーター、デザイナーなど、飲食店立ち上げのプロたちが集まる中、佐藤さんは「みなさんが何を話しているのかもわからない。『なんで私ここにいるんだろう?』という状態でした」という。

「自分にできることは何か」と考えた結果、「店舗がある東京・広尾の街に詳しくなろう」と思い立った。

当時、埼玉県在住だった彼女は土地勘がゼロ。そこで、街を徹底的に歩いて競合となる店を調べ上げるところから始めた。

「多くの店を客として訪ね歩き、メニューや品ぞろえ、スタッフの制服デザイン、内装、客層などを研究しました。当時はまだスマホもありませんし、店内で写真を撮るのは不自然。休日には実家の母と一緒にカフェに行き、母に『ゆっくり食べて』と頼んでその間に手書きでメニューをメモしたりしました」

この研究のおかげで、開店準備チームの中でも自信を持ってアイデアを出せるようになった。

「専門家がいると、ついひるんでしまうし、頼ることを考えてしまう。でも、自分ができることは何かを考えて実行すること、そして専門家をただ『頼る』のではなく『力を借りる』ことが重要だと学びました」

佐藤恭子さんのLIFE CHART
佐藤恭子さんのLIFE CHART

「年下は苦手」興味が持てなかった新卒採用

新店舗の立ち上げを見届け、2005年10月には本部に戻ることになった。

多くの企業では、販売の現場から本社への異動は「栄転」とみなされるが、当時の船橋屋の空気は全く逆で、「販売の現場が花形」。1年で本部に異動となった佐藤さんに対して、まわりは「何かやらかしたの?」と不審がったという。

当初は仕入れ受注管理を担当していた佐藤さんだが、当時社内でも貴重な「パソコンができる」人材ということで、ネット通販立ち上げを担当することになった。

「くず餅は日持ちがしないので、そもそも『通販で注文できる』ということが認知されていなかったんです。それが、テレビの情報番組で取り上げられたこともあって知られるようになったのが大きかった。立ち上げ当初は1日1~3件くらいの注文しかなかったのが、70件以上の注文が入るようになりました」

同じ頃、世の中の新卒採用活動もネットへの移行が進んでいた。応募も電話からネットに変わりつつあったため、ネット通販で実績を上げていた佐藤さんに、また白羽の矢が立った。

「でも、実は最初は、新卒採用に全然興味が持てなかったんですよ」

末っ子で、親戚の中でも一番年下だった佐藤さん。年上の人と接するのは得意だが、年下と接した経験があまりなかった。

「どうアプローチしたらいいのか、全然イメージが沸かず興味も持てず、正直『イヤだな』と思っていました」

「採用」ではなく「若年層向けの広報」

しかし、担当したからには何とかしなくてはならない。「興味を持てないのは、知らないからだ」と考えた佐藤さんは、他社の採用担当者や採用コンサルタントの話を聞くなどして勉強。それでも、「いい人材を採ろう」というアプローチが、どうしてもしっくりこない。考え抜いて「付加価値の付け方を変えよう」と思い至った。

2008年、新卒採用を担当していたころの佐藤さん(右)。1つ下の後輩(左)と。写真提供=船橋屋
2008年、新卒採用を担当していたころの佐藤さん(右)。1つ下の後輩(左)と。写真提供=船橋屋

「『採用』と考えるから自分の中で違和感が生まれてしまう。そうではなく、若年層向けの広報と捉えることにしました。当時の船橋屋のお客様は50代以上の方が中心だったので、それ以下の若い人に、私が大好きなくず餅について、船橋屋について、知ってもらうきっかけにしようと意識を変えたんです」

そして、お金をかけずにできることとして、採用情報サイトでブログを書き始めた。

2011年1月、新年会で年間MVPを受賞した佐藤さん(右)。左は渡辺社長。写真提供=船橋屋
2011年1月、新年会で年間MVPを受賞した佐藤さん(右)。左は渡辺社長。写真提供=船橋屋

「ここではネット通販での経験が生きました。データを分析すると、採用情報サイトへのアクセス数と応募者数は比例していた。どうやってアクセス数を伸ばすかを考えた時、ブログでくず餅や船橋屋について発信しようと思ったんです。実際、学生さんからも『ブログ見てます』『ブログで興味を持ちました』『もっとお話が聞きたいです』と言われることが増えました」

もくろみ通り、アクセス数の増加とともに応募者数も増加。2008年は250人の応募だったのが、3年後の2011年には20倍の5000人を突破した。そして2015年には1万7000人もの学生が応募するほどの人気企業に成長した。

総選挙でナンバー2に抜擢

そんな中で行われたのが、2015年の「リーダーズ総選挙」だ。

社長が役員を選ぶと、「社長に気に入られたから上に行けたのだろう」と受け取られ、組織全体が上の顔色を見ながら仕事をするようになってしまう。このため、正社員と勤続5年以上のパート従業員全員が匿名で投票し、会社ナンバー2となる執行役員を選んだ。

ここで120票中約70票を獲得したのが、当時33歳だった佐藤さんだった。

投票は匿名だが、票にはいいと思う人の名前だけでなく、なぜこの人がいいと思うのか、何を期待しているのか、なども書かれていた。

「後で、投票理由として書かれていた内容を社長から教えていただきました。『明るい』『元気がいい』『船橋屋が誰よりも好き』『これからの時代は女性よ!』などと書かれていたそうで、みなさんの期待や応援の気持ちを感じました」

会社の業績は順調に伸び、2015年からの4年間で売上高は32.2%増加。2020年はコロナ禍の緊急事態宣言による店舗休業などがあり、一時は前年同月の65%減となったが、ネット通販が急伸し、年間では前年比17%減にとどまった。

「ネット通販は昨年(2020年)5月だけで前年同月の3倍に急増し、製造や梱包が追いつかなくなりそうなほどでした。私もひたすら梱包してました(笑)。私、かなり速いんですよ。日持ちがしないので、その日に作ってその日に梱包、配送しなくてはならず、時間との勝負なんです」

愛社精神は会社で1番

文豪の相関図を見せながら船橋屋の歴史について熱く語る佐藤さん 撮影=プレジデントウーマンオンライン
文豪の相関図を見せながら船橋屋の歴史について熱く語る佐藤さん 撮影=プレジデントウーマンオンライン

佐藤さんは「社内で、私が一番、船橋屋のことを好きですから」と公言してはばからない。休みの日も、各地の図書館や資料館をめぐり、船橋屋にゆかりのある文豪などについて調べている。「(船橋屋をひいきにしていた)吉川英治先生の息子さんがいらっしゃった時は大興奮でした」

仕事でもプライベートでも、船橋屋どっぷりの佐藤さん。「豊かな歴史を持つ会社で、やりたい仕事ができていることは本当に幸せです。でも、それはただ『運が良かった』わけではない。何もしないでいて好きになるわけではなく、自分で調べ、知ろうとすることでどんどん好きになる。そっちが先だと思うんです」

■役員の素顔に迫るQ&A
スマホ待ち受け
写真=プレジデントウーマンオンライン編集部撮影

Q 好きな言葉
「我以外皆我師」(われいがいみなわがし)。「自分以外はみな、自分の先生だと思って接しなさい」という意味。船橋屋の大看板の字を書いてくださった吉川英治先生の言葉です

Q 愛読書
芥川龍之介『本所両国』船橋屋が登場します!

Q 趣味
船橋屋の歴史研究

Q Favorite Item
船橋屋5代目奥様、6代目の写真。スマホの待ち受け画像にしています