父親が“父乳”を出して子育てする「父乳の夢」、小柄な妻がロボットを装着することで怪力になる「笑顔と筋肉ロボット」ほか、ユニークな視点で性別にまつわるモヤモヤを見つめる計4編を収めた小説集『肉体のジェンダーを笑うな』。著者の山崎ナオコーラさんは、これまでも容姿や経済格差など、身近に存在する差別をテーマにした作品を発表してきました。固定観念を突き崩し、文学の中で新たな気づきを与えてくれる山崎さんに、「先入観」や「こうあるべき」の呪縛から逃れるヒントを聞きました――。

悔し紛れの気持ちで書いた作品

——「肉体のジェンダー」をテーマに作品を書こうと思ったきっかけは?

【山崎ナオコーラさん(以下、山崎)】4編のうち最初に書いたのは「父乳の夢」なのですが、その時、子供が生まれて2か月で、私は授乳中でした。社会参加がしたかったのに授乳中でなかなかうまくいかなかったので、悔し紛れのような気持ちで書いたと記憶しています。

山崎ナオコーラさん
山崎ナオコーラさん(写真提供=本人)

「授乳と社会を結びつけたいこの気持ちを、むしろ仕事に活かせるのでは?」と状況を逆手に取ろうともがいたところから生まれた作品です。

それまで、「肉体に関するものは絶対的なもので、文化や社会と関係ない」という思いがあったのですが、考えてみると、良いナプキンが発明されたら生理中でも仕事ができるようになったし、ロボットが進化すれば筋力がない人でも肉体労働ができるようになるだろうし、実は肉体も「社会」ではないでしょうか? 「筋力や生理も、時代と共に変化していく」と思うと、それもジェンダーだととらえることができます。

授乳のために仕事ができないのは「肉体」ではなく「社会」の問題

太古の昔なら授乳を他の人に任せるなんて全然できませんでしたが、時代が進んで粉ミルクや搾乳機が登場すると、人に任せることが可能になりました。そうすると、授乳にまつわる悩みというのは、「肉体から来ている」のではなく、「社会から来ている」と考えられますよね。

「生理中の女性は、どこかにこもっていろ」と言われた時代も大昔にはありました。その頃にはまだ、「社会のせいで自分がツラい」と思っている人はほとんどおらず、「体の問題だから仕方がない」と思いながら、社会と隔絶されることに悩んでいたと思う。今から思えば、それは社会がまだ生理用ナプキンなどを開発していなかったせいです。

「授乳しなきゃいけないから、仕事ができない」という悩みがあるとすれば、それも肉体の悩みではなく社会の悩み。まだ「男性が授乳をする」ところまで社会が進んでいないから生じる悩みだととらえられます。

「自分が持っている肉体のことだから受け入れるしかない」と諦めている人も、実は社会のせいだと思えばいい。社会が進めば解決するのではないかなと思います。

性別の表現を省いた理由

——4編とも「男」「女」という言葉を使わず、口調も性別を特定しないような感じに書かれていますね。

【山崎】小説というものは、キャラクターがなくても面白がらせることができるのではないかと思っていて、キャラクターにこだわらない書き方をしたいとは、結構前から漠然と考えていました。目に見えるように書くより、小説ならではの人間の肌触りみたいなものが出たほうが面白いと思うのです。

もう1つの理由は、日本語は主語に性別を入れる必要がないということ。英語だとHeやSheを入れなくてはいけないし、世界にはそういう言語が他にもたくさんあるけれど、日本語は性別や主語を書かなくても文章を成り立たせることができる珍しい言語です。その特性を生かして、主語で「彼」や「彼女」を全部なくし、性別を表現することなく、今後は全部の作品を書いていきたいと思っています。

新聞を読んでいると、必ず性別と年齢が書いてあります。でも人間は性別や年齢で表される存在ではないはず。国籍もそうですよね。性別と年齢を知れば、その人のことを分かった気になってしまう。すごく危険なことだと思うので、性別は書かないようにしたいと思うようになりました。

「子育て中」でも「主婦」でも“社会人”

——出産されてすぐの頃に、ツイッターで「『育児の人』と思われて、もう『文学の人』だと思われないことがつらくてたまらない」とつぶやかれていたことが印象に残っています。『肉体のジェンダーを笑うな』を読んで、子育てをしながら悩まれていたことを、文学の中で表現することで折り合いをつけられたのかなと思いました。

【山崎】どんな仕事でも、「自分がやっていることは、社会に響いているのだろうか?」と考えることがあると思います。育休や産休で立ち止まったり、保育園に落ちたりすると、自分は社会参加できているのかと不安になり、「社会欲」みたいなものが湧いてきて、どうしたらいいのか悩んでしまう。

だけど最近は、育児や家事も社会参加なのではないかと思うようになり、「育児も文学だ」というふうに考え方を転換してやっていきたいと考えるようになりました。

どんな職業でも、育児をしながら考えたことが仕事に生きたり、家事をしていることで「風が吹けば桶屋がもうかる」的にまわりまわって社会がよくなることが起きたりもする。「育児や家事は社会参加ではない」という空気を変えていきたいです。

電車に乗って会社に行くことや、人と会うことが仕事ではない

——ツイッターではまた、新型コロナウイルス感染拡大の自粛期間中、引きこもりがちなタイプなのでステイホームのストレスが少ないとつぶやいていましたね。以前は世間的に「外に出て見識を広めるのが良し」と言われがちだったものが、思う存分家にいていい状況になり、内向的なタイプの人間には前向きな変化が世の中に起きたと感じています。コロナ禍を経て、作家としての意識に変化はありましたか?

山崎ナオコーラ『肉体のジェンダーを笑うな』(集英社)
山崎ナオコーラ『肉体のジェンダーを笑うな』(集英社)

【山崎】これまでは電車に乗って会社に行き、会議に出たり、人と交わったりすることが「仕事」だという漠然としたイメージを持っている人が多かったと思うし、そうでない人でも「仕事」や「社会人」という言葉を聞くと、そういうことをしている人をイメージする人が多数派だったと思います。それがコロナ禍によってオンラインでやり取りをしたり、家でもこれまでと違うツールを使って仕事を進めることができるようになり、「仕事」や「社会人」のイメージが変わった。

主婦も社会人だし、作家も社会人。引きこもりの人もそう。「社会を動かしている人は、みんな社会人なんだ」ということを、この自粛生活を経て、すごく思うようになりました。家の中の出来事を書くだけでも「社会派作家」としてやっていけるなと、扉が開けた気がします。

家の中にも社会があるし、肉体の中にもある。たとえば、自分の「鼻」に対するイメージを考えた時、自分の頭の中だけのイメージではなく、社会に漂っている人間の鼻のイメージでしか、自分の鼻を思い描けない。おっぱいにしてもそう。人間として生まれたからには、社会としての肉体しか持てない。だから体について考えることも、社会派作家の仕事なのだと思うようになりました。

——外出自粛生活が長引き、家事・育児など、女性への負担が増加していると報じられています。真面目な女性の中には「こうあるべき」という思い込みも強く、あれもこれもと頑張りすぎてしまう。そんな読者にアドバイスをお願いします。

【山崎】性別を意識することで輝ける人は、それを意識したほうが断然よいと思うんです。負担にならない性の意識は持ったほうがいい。でも、負担に感じているようなら、立ち止まって考えることをお勧めします。家事の負担が苦しいという悩みは、自分1人が我慢すればいい話ではなく、立ち止まって考えることで社会が変わっていくかもしれない。個人的な話ではなく、社会の問題なのだというつながりを考えてみることで、楽になることもあるのではと思います。