法務の中でも特殊な「色モノ」案件を担当
法務のキャリアをベースに、秘書業務の統括や社長活動の補佐、コーポレートガバナンスの向上などを担当している愛宕和美さん。日本ではまだ珍しいカンパニーセクレタリー(*注1)も兼務しており、取締役会と執行役を結ぶ架け橋としても活躍している。
コニカミノルタでは女性社員は全体の2割弱。社内では初で唯一の女性執行役だが、女性だからと気後れしたことは一度もないという。上下関係が比較的フラットな社風に加えて、ざっくばらんな性格も幸いしているのかもしれない。「昔からどの会議に出ても男性ばかりだったから、私も思考がおじさん化しているみたいで」とおおらかに笑う。
秘書室に異動したのは54歳の時。それまでは30年以上も法務部門一筋に歩んできた。法務の王道と言えば契約や審査などの業務だが、愛宕さんが担当してきた仕事は欧州のアンチダンピング(*注2)調査や海外の株主との紛争解決、企業買収、経営統合など。いわゆる「特殊案件」ばかりを数多く経験してきた。
「法務の中でも特殊な案件なので、私は『色モノ』って呼んでいました(笑)。社内で誰もやったことのない、前例のない仕事ばかりでしたね。だから取り組み始める時はいつも自信のない状態。試行錯誤しながら必死で解決法を探る日々でした」
(編集部注)
*注1 カンパニーセクレタリー 英国コーポレート・ガバナンス・コード補助原則では、カンパニーセクレタリーの責務を、「取締役会議長の指示のもと、取締役会内部・委員会内部において、また、経営陣と非業務執行取締役との間で情報がスムーズに流れるようにすることや、就任ガイダンスの円滑化を図ること、要請に応じて専門知識の研鑽を補佐すること」と定めている
*注2 アンチダンピング 輸出国の国内価格よりも低い価格による輸出(ダンピング輸出)が輸入国の国内産業に被害を与えている場合に、その価格差を相殺する関税を賦課する措置のこと。
期待の言葉がモチベーションの源に
そもそも法務部門に配属されたのは、英語が得意だったから。法学部出身者が居並ぶ中、文学部出身の愛宕さんはスタート時から特殊な存在だった。入社して最初に担当したのは、欧州における複写機のアンチダンピングの調査。海外とのやりとりの中で、英訳や和訳を行う役割を担った。
愛宕さんは、最初にこの仕事を担当できてラッキーだったと振り返る。英語力を生かせると同時に法務の勉強にもなり、加えて営業や製造などの各部門や社外弁護士とのやりとりを通して、事業の流れも一通り把握することができた。やりがいも成長の実感もあり、とても楽しい時期だったという。
ほかにも、同じく特殊案件であるアメリカでの特許訴訟などを担当し、30代に入った頃にこれらの案件がひと段落。心に余裕ができたせいか先々のキャリアについて考えるようになり、法務の仕事を続けることに疑問を感じ始める。
「色モノばかり担当してきたので、私はもう法務の王道には進めないのかなと思い始めたんです。“法務の中の英語担当”みたいな便利屋で終わるのは嫌だな、別の分野にも挑戦してみたいなと。広報への異動を願い出てみたり、転職活動をしたりもしましたが、当時の上司の言葉で断念しました」
上司は「法務で一人前になるには10年かかる」と愛宕さんを説得。まだ一人前になってもいないのに諦めるのは早いと言いたかったのだろう。思いがかなわずがっかりしたそうだが、これで気持ちが伝わったのか、以降は王道である契約審査業務も少しずつ任されるようになった。
そのうちに上司から頼りにされるようになり、後輩の指導や育成にも当たるように。こうした経験を積むに連れてやりがいも大きくなり、ずっと法務でやっていこうという思いが芽生え始めたという。
ところが、30代後半に入ると次々と「色モノ」を担当することになる。マレーシア子会社の現地株主との紛争解決、アメリカの上場企業の買収――。どちらも結果的には無事にやり遂げ、自身の成長の糧にもなったが、担当した当初は何から手をつけたらいいのかさっぱりわからない状態だった。
特にアメリカでの企業買収は、前例のない仕事に慣れているはずの愛宕さんも久しぶりに尻込みしてしまったそう。担当するよう命じられ、現地に出張することになったのは、管理職に昇格してわずか2週間後。特殊案件の経験は豊富でも、「新しいことなら私に任せて」と言える自信はまだなかった。
「そうしたら上司が『あなたがやらないで誰がやる』って。その言葉に燃えましたね。そうか、期待してくれているならやらなきゃと。私にとって、期待や感謝の言葉はモチベーションの源。上司の言葉をきっかけに前向きな気持ちを取り戻し、結果的にこの仕事が大きな転機になりました」
経営統合で味わった寂しさと感動
振り返れば、20〜30代は法務の王道から例外まで幅広い経験を積むための修行期間になった。その後、このキャリアをベースとして、愛宕さんのフィールドはさらに広がっていく。
40代に入ると、コンプライアンス推進体制をつくり上げる担当者に。当時の日本ではまだ取り組んでいる企業が少なく、ゼロからの体制構築は試行錯誤の連続だった。悩み迷いながらも、愛宕さんはさまざまな部署から集まった推進チームのメンバーとともに、約1年をかけてコンプライアンスマニュアルを策定。知を結集することの喜びを知り、完成時には大きな達成感を覚えたという。
だが、この頃は私生活の面で離婚というつらい出来事があり、精神的には不安定な状態が続いていたそう。幾度か心が折れそうになり、出社したくないと思うこともあった。それでも仕事を続けられたのは、部下を放っておけなかったから。会社や上司ではなく「部下のため」と思うと出社する意欲が湧いた。そんな思いで目の前の仕事に取り組むうち、少しずつ以前の自分を取り戻していった。
大変な時期はその後も続く。2003年、ミノルタはコニカと経営統合。この大変化に対応するため、愛宕さんはコニカの法務担当者とともに、株式交換契約や独禁法審査などで東奔西走した。同時に、本社が大阪から東京へ移転することになり、会社だけでなく自分の引っ越し作業にも追われた。
ずっと関西で暮らすものだと思っていた愛宕さんにとって、引っ越しは青天の霹靂。住み慣れた地を離れるのはつらく、部下の中には退職してしまう人もいた。連日の激務や引っ越し作業の疲れに、別れの寂しさも重なったのだろう。新居に引っ越した夜には、段ボール箱の山に囲まれて一人泣いたという。
経営統合後の初仕事は、コンプライアンス体制の練り直し。両社の課長がそのままスライドしたため、法務部門では3人の課長が担当となった。違う企業の管理職同士が協働するとなると衝突が起きそうなものだが、3人の関係は、その頃はやっていた「だんご3兄弟」になぞらえて「コンプラ3兄弟」と呼び合うほど良好だった。
「合併後に対立が起きるケースも耳にしますが、私たちの場合は対等の立場で経営統合できたのがよかったんだと思います。コニカ出身の方々とも同じ目標に向かって働くことができ、完成した時は多様な人材と一緒に“2度目の知の結集”ができたことに感動しました」
経営統合後の大仕事を成功させ、その後もカメラ事業の譲渡契約やホールディングスから事業会社への異動などさまざまな変化を体験した愛宕さん。50代に入った頃には、法務という仕事に対する視点がさらに広がり、「事業に寄り添う法務」「役員を支える法務」を意識するようになっていった。
予想外の異動を経て初の女性執行役へ
事業会社で管理部長を務めていた時期には、本社オフィスの移転や働き方改革も担当。他社でも前例の少なかった「座席のフリーアドレス化」を決めた時は、社内から反発の声も上がった。またしても自信をなくしかけたそうだが、愛宕さんはプロジェクトメンバーとともにワークショップや説明会を粘り強く繰り返し、社内で新しい働き方への意識を共有できるよう奮闘した。
「最初は、社員に改革内容を伝える際、つい『こうしますよ』と上から押しつけるような物言いをしてしまったんです。皆はまだ変化に戸惑っている段階なのに、私はそこまで考えが及ばなくて。反発にあって初めて反省し、以降は現場の意見をよく聞き、一緒に進めることに心を砕くようになりました」
奮闘のかいあって、新オフィスは無事に完成。愛宕さんは300人の社員が生き生きと働く姿を見て、それまで味わったことのなかった喜び――人を輝かせることの喜びを知ったという。
ここでリーダー経験を積んだ後、経営体制の再編に伴ってホールディングスの法務総務部長に昇格。せっかくつくり上げた新オフィスからは離れることになってしまったが、リーダーとしては大きくステップアップ。「重責に身の引き締まる思いがした」と振り返る。
そこからおよそ3年、愛宕さんは法務支援のほか遊休固定資産の売却やコーポレートガバナンス基本方針の策定などに活躍。スケールもやりがいも大きく、「もう法務総務に骨を埋めるつもりでいた」。ところが、54歳になった時、思ってもみなかった部署に異動になる。
「新たなポジションは秘書室長でした。私に与えられた役割は社長の経営活動の補佐や役員会議の事務局、秘書の統括など。突然のことに最初はびっくりしましたが、この役割ならトップの経営判断の現場に触れられる、自分も経営に関与していけるのだと気づいて、やる気がみなぎりましたね」
はじめは手探り状態だったが、取り組むうちに法務の知識が生かせることに気づき、加えて役員の支えになれること、経営者の目線に触れられることにやりがいを感じるようになっていった。
今思えば、これが執行役への大事なステップだったのかもしれない。ここで役員会の事務局を担当したおかげで、自らが役員になっても経営に関する議題に難なくついていくことができた。もちろん、法務のバックグラウンドも大きな強みに。経験してきたことすべてが、ようやくひとつにつながった実感があった。
「コロナ禍によって日本の働き方は急速に変わりつつあります。私も、役員会のDXなど、当社の新しい働き方の実現に向けて取り組んでいるところです。これからも『私がやらなきゃ誰がやる』という思いを胸に、どんどん新しいことにチャレンジしていきたいですね」
■役員の素顔に迫るQ&A
Q 愛読書
『習慣を変えれば人生が変わる』マーク・レクラウ
Q 趣味
ゴルフ
「仕事、私生活、ゴルフが私の人生の3大柱。ゴルフは人との出会いやストレス解消のよき場にもなっています」
Q Favorite item
真珠のネックレス
「祖母、母、私と受け継いできたお気に入りの品。会社のイベント時などに勝負ジュエリーとして身に着けています」