※本稿は須藤憲司『90日で成果をだすDX入門』(日本経済新聞出版社)の一部を再編集したものです。
中国はどこへ向かっているのか
DXを志向するなら、デジタルを活用し、どのような体験が提供できるのかを考えなければなりません。ただ、私は全ての会社がいずれは顧客体験を提供する形に変わっていくと考えています。
「全ての会社」は、もちろん日本だけに留まりません。それを象徴するように、私が中国のある政府関係者から聞いた話を紹介しましょう。
「この先、世界はどこへ向かうのか」というテーマで話をしていたときのことです。彼は、現在は「移動コストが下がる技術」こそが重要であると言いました。中国が電気自動車へ大きくシフトしようとしているのは、石油を移動させることが非常に大変だからです。
パイプラインを引くのはもちろん、タンカーで輸送するにしても未だに海賊が出る。さらに、中国は国土が広いですから、運ぶだけでも大仕事。石油を全土に供給することは困難です。ところが電気は管理業務はあれど、電線を引くコストを考慮しても、ずっと安価に済みます。
キャッシュレス決済が発達している理由も同様です。現金は移動コストがずっと高く、発行するだけコストが付随してしまう存在です。データを扱う事業を「新しい石油だ」と表現するのも、データの移動コストが安いにもかかわらず付加価値が非常に高いからに他なりません。
「移動コストが下がる技術」に資本が集まっている
その政府関係者は、私たちが事業で手掛けている紙資料やウェブページの動画化を見て、「これだと情報量が多く、わかりやすくなる。動画のほうが圧倒的に知識や経験を伝えられるし、移動コストが下がる」と言いました。
現在の世界の流れは「移動コストが下がる技術」に資本が集まっていることが明確だというのです。とてもわかりやすい観点ではないでしょうか。この観点で捉え直してみると、ドローンや自動運転車、ブロックチェーン、フードデリバリーも同様です。
本当の豊かさは「ストック」ではなく「フロー」
「移動コストが下がる技術」が重要な背景には、「豊かさのためには循環が重要である」という考え方があります。彼が定義した豊かな状態は、単なる所有や利用が積み上がるだけではなく、体験を通じて情報が活発にやり取りされていることだというのです。
お金をたくさん持っているけれど友だちが少ない老人と、お金はそれほどなくとも友だちがたくさんいる老人では、どちらが豊かなのか。明らかに後者だと感じる人が多いのではないでしょうか。
要は、本当の豊かさはストックではなくフローであり、循環性こそが大事なのです。その意味では、GDP(国内総生産)を豊かさの指標にすることは、現代においてズレ始めている可能性があるということです。
たとえば、メルカリでTシャツを買ってから、またメルカリで売ったとします。この売買においては、メルカリに支払う手数料の10%分しかGDPに換算されません。ところが、売った人も、買った人も、豊かさを実感できるはずです。従来のGDPでは、「5,000円のTシャツ」が作られ、販売されたところまでしかみえません。実は、そのTシャツが人から人へ流通する過程の豊かさを評価できないわけです。
景気も、一つの循環度合いといえるはずです。循環性はとても大切な観点であり、だからこそ「移動コストが下がる技術」が豊かさにつながるという論旨は、とても正しいのではないか、という感覚を持っています。
アルファロメオを33秒間に350台
DX先進国ともいえる中国では、さまざまな展開が起きていて、とても面白いです。たとえば、自動車の自動販売機があるのです。実は、現在の中国で最も自動車を販売しているディーラーはアリババグループなのです。
ECモールから始まったアリババグループは、中国IT業界どころか、世界を代表するほどの巨人となっていますが、まさか自動車まで……と思っていたら、売り方もさすがです。
アリババグループのサービスは単一のIDで管理していますから、ユーザーの特性も理解しています。見込みのある人に一斉に動画広告を打つ施策で、自動車のフラッシュセールを実施したところ、イタリアの高級車メーカーであるマセラティの自動車を18秒間に100台、アルファロメオを33秒間に350台販売した実績があるといいます。
さらに驚かされるのが、自動車の「自動販売機」。インターネットで試乗予約をしてから、立体駐車場のような店舗に向かいます。顔認証をパスすると、予約していた自動車のキーが得られて、試乗スタート。気に入れば、購入もスマートフォンアプリから決済できてしまいます。店舗には基本的にスタッフはおらず、まさに自動販売機(販売店?)です。
でも、実は何よりすごいのは、「このクルマが欲しい!」と思ったらスマートフォンから注文でき、それを即決で承認できるだけの社会的信用度が、あらかじめスコアリングされていることでしょう。注文した「誰か」が、それだけの高額決済に耐え得る存在かどうかわからなければ、おいそれと乗って帰せませんから。現在の日本では、真似をしようにもなかなか真似できない事例です。