息をするだけでもお金が出ていく
会社員として働きながら、パラレルワークでフィットミーを経営していた星田さんは、出産を機に2014年に勤めていたリクルートを退社した。まず星田さんが行ったのは、サロンを借りることだった。
「もともと実家のリビングを使って家賃をかけずにやっていましたが、お客様にもっと気軽に足を運んでいただけるように、同じマンションの下の階に部屋を借りました。初めて『息をするだけでもお金が出ていく』という経験をして、ドキドキしましたね」
「広告は出さない」と決めていたので、営業のスタートは身近な友人10人にフルオーダーの服を1枚ずつ無料プレゼントするところから始め、評判は口コミで広まった。退社後は、そうしたネットワークにも助けられつつ、取材の依頼が増え、メディアの力でも顧客が広がった。さらに最近ではネット検索やインスタグラムからの顧客も増え、その数は数千人に。受注会も東京だけでなく、大阪、名古屋、福岡でも行うようになった。
「事業は拡大しない」と決めて、子どもの受験に集中
プライベートでは子どもが4歳のときに、小学校受験準備のため、保育園から幼稚園に転園。それまで終日預かってもらっていたのが午後2時までになり、生活スタイルもがらりと変えることになった。
「優先順位を自分で決められるのが起業の良さ。『娘が小学校に入るまでは、事業は緩やかにしか拡大しない』と決め、早朝から午後2時まで仕事をするというスタイルに切り替えて、娘の試験準備を優先させました。小学校受験は親も一緒にできる最初で最後の試験。私も日常で大切なことをいっぱい学べ、娘と十分に向き合えた宝物のような時間になりました。この時期は、職場、幼稚園、塾をすべて自宅の近くにして、動きやすい環境をつくりました」
子どもが小さい頃は、女性がフレキシビリティのある働き方ができることの大切さを実感した。
「よく、妊娠してから起業したり、働き方を変えたりする人がいますが、それはちょっとしんどい。私の場合、子どもが小さくていちばん手のかかる時期には、既にある程度事業が軌道に乗って仕組み化されていたので、スタッフに頼める部分が増えていました。もしこれが、起業して間もなくて、すべて自分が動かなくてはならない時期に妊娠・出産となると、ストレスも不安も大きい。だから子どもを産む前に起業をし、まずは土壌をつくっておくのはおすすめです」
無事に受験をクリアし、子どもは小学校1年生に。さあ仕事を頑張るぞというときに新型コロナウイルス問題が起きた。
開けるべきか、閉めるべきか……
「この3月、4月、5月は、とにかくお客さんが来ない。初めての経験でした。『外出してはいけない、洋服は必要ない』となると、このビジネスモデルはこうなるんだと、初めて事業で苦境に陥りました」
悩んだのは、外出自粛期間中にお店を閉めるべきかどうかだった。サロンは広く、ゆとりのあるレイアウトで、大きな窓に囲まれており風もよく通る。また、洋服店は自粛対象業種にはなっていなかった。
「すごく迷いました。でも、そんななかにあって『気がめいっているからこそ新しい洋服を作りたい』『洋服を作ることを考えると元気になる』というお客様からの声もあって……。洋服を作ることは、単なるおしゃれではないんですね。そうやって私たちを必要としている人がいる限り、お店は開けておこう。そう決断しました」
スタッフのうち、在宅を希望する人には、自宅で洋服のお直しをしてもらったりするようにした。
「うちのスタッフのほとんどは洋裁ができる。手に職があるんです。コロナでお直しの需要が増えていますから、いざとなったらお直しで生き延びようかと腹はくくっていました」
こんな時だからこそ、続けることで見えた光
迷いながら続けるうちに、一つの光が見えてきた。Zoomを活用した受注会だ。
「これまでもECサイトはありましたが、フルオーダーだと自由度が高すぎて、やりとりが大変なので、ほとんど活用していませんでした。でもコロナ禍で一気にZoomが普及した。それでZoomの受注会を始めたんです。オーダーまでの流れは対面とほぼ変わりません。あらかじめ生地をネットで見ておいてもらい、細かいデザインはZoomを使って詰めていきます」
Zoomを活用し始めたところ、これまで受注会に来られなかった地方在住の人や、入院中の人、介護中の母のために洋服を作りたいという人からもオーダーが入るようになった。そこに星田さんもスタッフも、明るい兆しを感じたという。
「こういう緊急事態になると、『洋服のフルオーダーなんて言っていられない』と思ってしまいますが、こういうときだからこそ、自分の好きな服を選ぶことで元気になる人がいる。誰かをちゃんと幸せにできている限り、ビジネスをやり続けることが大切だと思えたし、やり続けたからこそZoomという新しいすべにも出会えたんだと思います」
「逆境は進化のチャンス」、リクルート時代に培われた思想が今回も生かされてよかった、と笑う。
“儲け”ではなく“幸せ度”を増やすビジネスに
どんなに状況が厳しくても、星田さんが前を向いて進めるのは、創業当初から掲げてきた大義があるからだ。
「コロナが落ち着いたら、全国津々浦々、さらには海外でも受注会をしたいという夢があります。『じゃあ、年商何億が目標ですか?』と聞かれたりしますが、そうじゃない。そもそも洋服のオーダーメイドは、手間がかかり、売り上げが上がるとそれだけコストもかかるので、規模の経済が働きにくにビジネスモデルです。儲けて事業を大きくしたいなら、このままのモデルだと難しいんです」
星田さんにとっては、会社を大きくすることが目的なのではないという。
「もちろん、会社存続の為に利益の追求は大切。でも、それだけでは足りません。私が追求したいのはお客様の“幸せ度”を増やしていくこと。自分にぴったりな洋服を着て歩くとハッピーですよね。布地やデザインを選ぶ時間も、できあがりを待つ時間もすごくぜいたくな気持ちになるし、笑顔にならない人はいません。そういう瞬間に、『いいビジネスだな』と思えます。そして、笑顔を作るビジネスをしている限り、会社は存続し、拡大していくのかなと。あらためて『私は“手触り感”のあるビジネスが好きなんだな』とも感じます」
だからこそ、全国展開や海外展開を目指している。もっと多くの人の“幸せ度”を増やしたいからだ。「こういうスタイルでやっているのは私たちしかないと思いますし、まだまだ国内でも海外でも、『1万円台で叶うフルオーダーメイド』と出会いたいと思っている方がいるでしょうから、もっと頑張らないと」