30代になり突然思いついた『起業しよう』
「リクルートで働いていた30代の初めごろ、自分の中で仕事に対して“やり切った感”を持ってしまったんです。新卒で入社以来ずっと営業で、ちょうどリーダー職になり『次はマネージャー』という状況。この階段をこのまま昇っていくのかと考えたときに、会社のエレベーターホールで突然、『私、会社を辞めて起業しよう』と思ったんです(笑)」
両親ともに自営業という家庭で育った星田さん。親の後ろ姿を見て、自分もいつか起業するだろうと思っていた。
そんな星田さんが起業にあたって、こだわったのは3つ。
①大義があること
②リクルートがやらないこと
③広告はしない
「まず、『どんな小さなことでもいいから、世の中の役に立たないと』と思っていたので、大義があることが一番大事。それから、私はリクルートという会社が大好きだったので、リクルートではできないであろう事業をすること。また、会社ではずっと広告事業をやってきたので、自分のビジネスでは広告を出さず、商品やサービスの力だけでどれだけビジネスを広げられるか試してみたいと思いました」
寿退社で起業! と思ったら……
これら3つを条件に、どんなビジネスがいいかを探していた星田さん。そのヒントは身近で見つかった。
「会社で近くの席に、たまたま胸の大きい女の子がいたんですが、いつも『ジャケットのボタンがしまらない』と嘆いていたんです。『ボタンさえしめられれば、色も形もどうでもいいくらい』なんだと。それを聞いたときに、フルオーダーの洋服なら体形や年齢の違い、障がいも超えるという大義もあるし、コストを考えると大手が参入しづらいだろうな、と思いついたんです。利益率は低くても、けっこういいビジネスなんじゃないかと考えました」
プライベートでは、折しも結婚のタイミング。寿退社して起業することを考えていると当時の上司に話したところ「えっ?」と驚かれ、笑われた。
「『あなた、そんな小粒なビジネスをするために辞めるの?』って。『片手でリクルート、片手で起業と、両手で回しなさい。その代わり好きな部署に異動させてあげる。事業のことは会社で学べばいい』と言ってくださった。すごい懐の深さですよね」
「パラレルキャリア」という言葉すらなかった時代に、星田さんは新規事業を立ち上げる部署に異動し、事業の仕組みづくりを一から学びながら、洋服のフルオーダーメイドサロン「Fit Me Order made(フィットミーオーダーメイド)」を起業した。
「フィットミーは、創業当時、年4回の受注会で布選びや採寸をして申し込んでもらうスタイルだったので、忙しいのは受注会の1週間だけ。昼間はスタッフや母に手伝ってもらい、私も帰宅後には接客し、土日に検品や発送をしていました」
リクルートで学んだことをフィットミーで活かし、フィットミーという接客の現場を回すことで見えてきた課題はリクルートで活かすことができて、まさにウィンウィンの形だった。とはいえ、会社員は組織の一員。仕事は自分だけでコントロールできるものではないはず。どうやって乗り切ったのだろうか。
「子育てしながら働く二足のわらじも、事業を育てながら会社で働く二足のわらじも、似たようなものだと思うんです。当時、私は子どもがいませんでしたから、事業を育てながら働く人がいても、いいんじゃないかと思っていました。今思うと、子どもがいれば、急に熱を出すこともあって時間が読めませんが、自分1人なら時間が読めるので、子育てしながら働く女性よりは楽だったと思います」
さらに星田さんは、結果を出す人にチャンスを与えるリクルートという会社と、水が合っていたと話す。
「結局、好きなことができるかどうかは、結果を出しているかどうかにかかっているんです。営業なら、絶対に目標の数字を超えるとか、お客さんとの関係を強く保つとか。新規事業なら、夢があって収益も狙えるとか。そこさえブレずに結果を出していれば、どんなスタイルでやっていてもチャンスは与えられるだろうと思っていました。逆に言うと、そこをやらないと好きなようにはできないということですよね」
ベトナムのパートナー探しは“飛び込み”で
会社員としては数々の実績を挙げてきた星田さんだが、アパレルの世界はまったくの素人。それなのになぜ、ワンピース1万8000円、ジャケット1万9000円など、アイテムごとに一律料金、しかも1万円台でフルオーダーメイドの洋服が作れるのだろうか。
「ベトナムに、30~40人のお針子さんを抱えるパートナーがいて、そこが生地在庫のリスクも抱えてくれています。また当初こだわったとおり広告も出していないので、値段を抑えられています」
そのパートナーとは飛び込みで出会ったというから驚く。
「当時、リクルートで海外の新規事業の提案をしていて、中国などでも当たり前のように飛び込み営業をしていました。それでフィットミーを始めるときも、同じようにベトナムで飛び込み営業をしました。そうして出会ったのが今のパートナーです」
ベトナムを選んだのは、日本人と感性が合うからだという。
「私はもともと海外旅行が好きで、香港やタイ、フィリピン、中国など、いろいろな国で洋服をオーダーメイドで作ったことがありました。その中でもベトナムは、ちょっとしたギャザーとか、こまやかなラインとか、日本人好みの感性を持っている。しかも、かつてフランス領だったということもあって、すごくセンスがいいんですよね。私が会社に着て行くと必ず褒められていました。私が好きだということは、ほかの日本の女性も好きなんじゃないかというのが頭の片隅にありました。加えて、縫製もしっかりしているし、納期も守るし、人柄もいい。やるならベトナムと思いました」
1カ月無給の“現地修行”で洋服づくりを学ぶ
アパレルの経験もなく、洋裁の技術も知識もまったくなかった星田さんだが、ベトナムのオーダーメイド洋服店で“修行”もした。
「会社の休暇を利用して、1カ月間無給で働かせてもらいました。そこでオーダーの取り方や採寸の仕方など、洋服づくりに必要なことを学ばせてもらいました。ベトナム語は全然できないけれど、なんとか英語とジェスチャーや絵でやりとりして。想いを持って仕事をしていると、国境とか言葉とか全然関係ないんですよね」
今や「親戚みたいな感じ」だというパートナーとは、13年間一度もモメたことがないという。
「受注会には、パートナーが生地を抱えてベトナムから来てくれるんです。みなさん技術が高くて作業が速いので、あっという間に何十人も採寸できる。今はコロナ禍でベトナムも大変な状況ですが、日本で売り上げを立ててオーダーをかければ、現地の雇用も守れます。私も家族を守るようなつもりで必死に頑張っています(笑)」
「そろそろ欲張りすぎないことも必要かも」
2014年、8年間のパラレルワークを経てリクルートを退職し、事業に専念することにした。そのきっかけとなったのは、娘の出産だった。
「『三足のわらじ』にしようかどうか悩みました。娘と過ごす時間も大切にしたい、欲張りすぎないこともたまには必要なんじゃないかと思い、創業時、二足のわらじをすすめてくれた上司のところに、退職の報告に行きました。そうしたら『辞めてもいいんじゃない』と」
会社を辞めるまでのパラレルキャリアの8年間を振り返って、苦労らしい苦労はなかったと星田さんは言う。
「会社の給料があるので、圧倒的に気持ちは楽でした。失敗しても、路頭に迷うことはないわけですから、ひたすらカスタマーのニーズに応えればいいだけなんです。『どれぐらいの金額なら洋服を作りたいと思うかな』『どんなふうに作るとワクワクするかな』と、カスタマーにフォーカスした商品づくりができた。それで、これなら口コミで広がるという確信が持てました」
起業当初は1人だったスタッフも、現在は5人になり、10人を超える外部のパートナーもいる。コロナ禍はフィットミーにも大きな打撃を与えたが、「新型コロナで、前と同じ売り上げがあげられなかったのは、スタッフのせいではなく私のせい。だから『業績が下がったから給料を下げる』ということはしない、と決めました。いざとなったら、私が外で働いてスタッフにお給料をきちんとお支払しますよ」とからりと笑う。苦労を苦労と思わない、頼れる“肝っ玉母ちゃん”の姿を見せた。