大きな生活の変化で不安や悩みが増えた人は多いのではないでしょうか。しかし富裕層との交流が多い午堂登紀雄さんは、「イベント業や飲食店を営んでいてコロナ禍で苦境に陥った経営者でも、淡々としている人が意外に多い」と指摘します。悩んだり、クヨクヨしたりしない人だけがもつ、あるものとは――。
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※写真はイメージです(写真=iStock.com/AndreyPopov)

逆境飲食店オーナーが淡々としているワケ

新型コロナウイルスの影響が長引いており、それによって不安や悩みが増え、精神的にも落ち込んでいるという人もいるようです。

しかし私の周囲の富裕層は、いつも通りの平常運転で、淡々としています。もちろん飲食店経営者やイベント業、ホテル・旅館業を営む知人の中には苦境に陥っている人もいますが、それでも落ち込んだり悩んだりすることなく、感染防止策を取りながら前向きに経営を続けています。

逆境にぶつかったときに心が折れる人とそうでない人の違いはどこにあるのか。そこで今回のようなコロナ禍の呪縛を打ち破り、乗り切るために、私自身が周囲の富裕層から学んだマインドをご紹介します。

「悩み」とは、自作自演の妄想にすぎない

同じ出来事で悩む人もいれば、悩まない人もいます。

たとえば会社をクビになったとき、「人生終わった……」と落ち込む人もいれば、すぐに気持ちを切り替えて「ほかの会社を受けに行こう」と行動する人もいます。

あるいは、病気になって将来を悲観する人もいれば、「よし、治療に専念しよう」と開き直れる人もいます。

このように、出来事自体が悩みのタネと決まっているわけではなく、本人が自発的に出来事を悩みとして「設定」しているということがわかります。つまり、受け止め方の問題なのです。

ほかにも「生きづらい」「肩身がせまい」「閉塞感のある社会」「夢が見られない未来」というのも、誰かがつくっているのではなく、誰かに強制されているのでもなく、自分が勝手にそう思っているだけ。

「みんなからこう思われている」「こう思われたらどうしよう」などと、どこにも存在しない他人の声を勝手につくり、勝手に色をつけて苦しんでいるだけ。

つまり「悩み」の多くは自作自演のコメディにすぎないことがほとんどなのです。

そういう悩みや不安とも無縁になるためには、まずはその出来事や状況に対し、「自分本意な勝手な意味づけ」「ネガティブな意味づけ」をしていることに気づくことです。

「雨の日が憂鬱」にならないアイデアをもっているか

たとえば、雨の日が憂鬱という人がいます。

そうした人は、「じめじめしている」「洗濯物を干せない」「外に行けない」「服が濡れる」「傘を持つのが面倒」「どんよりとしているので気分が沈む」といったネガティブな印象を理由に挙げます。

ただ、そのネガティブな印象は「天気は晴れのほうが良い」という思い込みや固定観念、「天気は晴れでないとイヤだ」という執着から来るものですから、発想の転換をしてみることです。

たとえばこういう考え方はいかがでしょうか。

「晴れの日は晴れなりに、雨の日は雨なりに楽しもう」

そこで、どうすれば雨でも楽しめるかを考えると、たとえば濡れてもいいように着替えを持っていくとか。あるいはおしゃれな防水靴と雨がっぱを買って外に出かけたくなるようにするといったアイデアが出てくるでしょう。

つまり、環境変化を楽しめるように発想を転換するわけですが、これこそ「問題解決能力」にほかなりません。

「雨で憂鬱」から「どうすれば雨でも楽しめるか」という思考チェンジは、他にもたとえば「このつまらない作業をどうすれば楽しめるか」「このしんどい状況をどうすれば楽しめるか」など、日常のさまざまな場面で応用が利きます。

こうしたアイデアが出ないと、自分の思い込みに縛られて気分が落ち込んだり、環境変化の影響をモロに受けて変化に翻弄されてしまいかねません。それでは外的環境に自分の幸福感が左右される脆弱な状況のままです。特に雨が多い日本に住んでいるのに、雨が降るたびに「今日も雨か。憂鬱だな」と嘆く人生はつまらないでしょう。

だから自分の力ではどうしようもできない変化や状況については、その環境下でどうすれば楽しめるか、という「アイデア出し思考」へとスイッチする必要があります。

「アイデアマンは悩まない」という言葉を聞いたことがありますが、まさにそういうことなのだと思います。

結局のところ、それほど困ったことにはならない

不安や悩みを解消する方法の一つは、その先にどういう困ったことになるのか、そしてその結果、本当に立ち直れないぐらいの困った結果になるのかを具体的に考えることです。

その際、「何がなんでも避けたいこと」「この状況はいくらなんでも絶望する」というラインを引いておきます。そして、そのラインを超える状況は本当にやってくるのかを想像してみる。どんなことにも動じず淡々としている人の多くは、常に最悪の事態を想定しています。

このようにして、具体的に考えれば考えるほど、それほど困ったことにはならないと気づくことのほうが多いはずです。

たとえば私自身の「人生でこれだけは避けたい」リストをご紹介します。

最上位ランク

自分や自分の家族が死ぬこと
他人を死なせること
禁固5年以上の刑事罰を受けること

次点ランク

自分や自分の家族が大けが・大病をすること
家族との離別
他人に大けがをさせること
訴訟で明らかに負けるような犯罪を犯すこと
今まで築いた財産をすべて失うこと

このように定義しています。

そして、自分が抱えている悩みや不安は、これらにつながるかどうかを考えてみる。

すると、ほとんどの悩みはここまで到達することはないので、「気にしてもしょうがない」という判断になるわけです。

ママ友に嫌われても、学校からモンペ(モンスターペアレンツ)扱いされても、明日のプレゼンで失敗しても、受験に失敗しても、嫌みな上司と険悪になっても、会社をクビになっても、会社のお局から無視されても、長年の親友とケンカ別れしても、前述の事態にはなりません。だから悩みにはならないのです。

わが子の発達障害で悩んだことがないと言い切れる理由

具体的に考える際に必要なのは、やはり知識です。

私の長男は3歳の時に発達障害(自閉症スペクトラム)と診断され、いま発達を支援する療育施設に通っています。来年からは小学校の支援級に進学する見込みで、通常の進学ルートは見込めないと予想しています。

その関係で、発達障害の子を持つ親の話を聞くことが多いのですが、悩んでいる人は多いんだなと感じます。

中には、障害を認めたくなくて児童精神科を受診させないとか、療育を受けさせない親もいるそうです。結局適切な療育が受けられず強引に普通級に入れられ、学校でついていけないとか友達ができないとかで、いじめや登校拒否といった二次障害を起こすケースは少なくありません。

あるいは保育園や学校から「診療を受けてみては」と言われたら、「ウチの子が障害児だというのか!」などとキレる親もいるらしく、その手の発言がタブーとなっている保育園もあると聞いたこともあります。

しかし私は長男のことで悩んだことはありませんし、今でも気にしていません。それは、前述の項目に到達することがないからです。そもそも脳機能のアンバランスさですから、病気でもありません。

2歳になってもほとんど発語しなかったこと、熱性けいれんで救急搬送されたとき、医師から「知能の発達に問題が見られる」と指摘されていましたから、発達障害の特性と対処方法、そして発達障害者が活躍できる道はどのようなものがあるか」を調べていました。

だから3歳の時に診断を告げられた時も「そうですか」ぐらいのことでした。

悩みを希望にかえる方法を持とう

「知識を増やす」ことは大切です。

知れば知るほど、自分の外側には広大な世界が広がっていて、解決方法があることがわかる。仮に解決できなくても、気にならない環境をつくる道があるとわかる。「そんな生き方があるんだ」「そうやってもいいんだ」という安心感が得られる。

すると、悩みは絶望ではなく希望に変わります。

発達障害についても同じで、知識が増えれば彼らの特性や傾向がわかり、対処方法がわかります。

むろん障害の出方は人によって千差万別なので一概には言えませんが、わが家の場合、人は誰しも長所と短所を持つデコボコ(凸凹)の存在であり、発達障害児はその乖離かいりが大きいだけだから、必要なのはボコ(凹)の部分は生活に困らない程度に底上げし、デコ(凸)の部分を伸ばしてあげることだと認識しています。