家業を生かした新規事業に挑戦
大学生の時に父親の頼みで、最初はイヤイヤながら家業に入った2人。姉の尋子さんは出産や育児、妹の幸枝さんはビジネスの勉強のため一時は仕事を離れたが、現在は再び力を合わせて家業を盛り立てている。
幸枝さんは家業を離れていた時期に、東京で「合同会社プロトビ」を起業。実家のある岐阜県の魅力を発信し、まちづくりに貢献すると同時に、ものづくりを行う中小企業の事業展開を支える活動も行ってきた。
その後、クラウドファンディングを募ってオーダーメイドタイルブランド「TILEmade(タイルメイド)」を設立。新規事業のプロデューサーとして、家業を支えるため再び玉川釉薬に戻ってきた。
「釉薬工場では、タイルメーカーの要望に合わせてサンプルを何種類もつくるんですが、カタログに載らないまま消えていく商品も少なくありません。ずっと『もったいないな、何とか世に出せないかな』と思っていました」(幸枝さん)
“色出しのプロ”の技を知ってほしい
幸枝さんがオーダーメイドタイルブランドを設立したきっかけは、まちづくり活動を通して知り合った建築家から「オーダーメイドタイルをつくれないか」と相談されたことだ。釉薬職人は、何万通りもの質感やカラーバリエーションをつくり出せる“色出し”のプロ。その高い技術をもっと生かしたい、世に伝えたいと思っていた幸枝さんにとって、オーダーメイドタイルはまさにぴったりのアイデアだったという。
今、タイルメイドの通販サイトでは、オリジナルカラーのタイルを購入できるほか、要望に合わせて一点一点手づくりしてもらうこともできる。夕日のような赤、旅先で見たカフェのターコイズブルー、サンゴの海のような青──。玉川釉薬がそんなオーダーに応えられるのも、幸枝さんがユーザーと釉薬工場をダイレクトに結ぶ仕組みをつくり上げたからこそだ。
釉薬職人である姉の尋子さんは「釉薬づくりはタイルメーカーの下請けで陰の仕事。そんな職業があること自体あまり知られていなかった」と語る。
「釉薬職人って、どんなに努力していても、はたから見たら暑い中で毎日泥を混ぜているだけ(笑)。自分なりにキレイな色を出せたなと思っても、エンドユーザーの声を聞けることもなくて……。喜びを感じる機会が少なかったんですが、妹のおかげで変わりました」
幸枝さんも「職人さんにお客様の声を伝えたり、実際にタイルを貼った現場を見せたりするとすごく喜んでくれる」とうれしそうだ。これまで、釉薬職人は陰で努力することを美徳とし、仕事を世間に見せることなく黙々とものづくりに励んできた。そんなかつての職人像が、今、2人の行動によって変化しつつある。
インスタに反響「職人だって発信したい」
以前は尋子さんも、自分の仕事を泥くさいだけだと思っていたそう。ところが、つくったタイルや自分が働いている姿をインスタグラムで発信し始めたところ、続々と「すごい」「キレイ」といったコメントが届いた。今ではそれを励みにしながら積極的に自分の技術を発信しているという。
しかし、釉薬づくりは伝統ある地場産業のひとつ。歴史が長いだけあって、業界の中にはイマドキすぎる2人の行動に違和感を持つ人もいたのではないだろうか。
「同じ業界の人に『あまり仕事内容を外に漏らさないほうがいい』と言われたことはあります。職人がインスタなんてチャラチャラして、と思ったのかも。でも、私たちが陰のままでいたら釉薬職人は減っていく一方。『こんなすごい仕事だよ』、『女性もいるよ』って発信していきたいんです」(尋子さん)
「タイルメイドは、『釉薬工場=タイルメーカーの下請け』っていう業界の常識を破った事業でもあるので、やっていることがよくわからないとか、非効率だとか思っている人もいるかもしれません。でも、産業を発展させていくためにはここで慣習を破らないと」(幸枝さん)
2人の慣習を破る試みは、発信活動や新規事業だけにとどまらない。職人が営業から色合わせ、タイルサンプルづくりまでを一人で担う慣習も「私たちの代で破りたい」と幸枝さん。姉が仕事に忙殺されている姿を見て、職人の働き方改革も目指すようになったという。
変えたいこと、守り抜きたいこと
尋子さんが目指すのは「女性に釉薬職人は無理」という思い込みを打ち破ることだ。暑い現場、重いタイルの上げ下ろしなど体力勝負の部分はあるが、女性に不利なのはそこだけ。「釉薬職人の命である色出し技術に性別は関係ない、センスで勝負するならむしろ女性向き」と力を込める。
「15年前に入社した時、父から『女性には職人は無理』ってはっきり言われました。職人になってからも、お客様から『女性にできるのか』と言われて悔しい思いをしました。でも私、負けず嫌いなんですよ」
人一倍の努力が実り、今では父親からも客からも認められているが、地元の釉薬業界では唯一の女性職人。それでも「父の技術と仕事を丸々受け継いでいるし、厳しい中でも売り上げを伸ばしている」(幸枝さん)と、性別が関係ないことを実績で証明してみせている。
古い慣習を壊す一方で、もちろん大事に守っていきたいものもある。色出しの技術やこだわり、誠意を込めたものづくり、決しておごらない姿勢。いずれも、2人が昔気質の職人である父親から受け継いだものだ。
「父は誠実なものづくりを信条とする“The 職人”。最近になって、私たちもそのスピリットを受け継いでいるなと実感しています。また、父の『お客様第一』という姿勢も、新規事業を運営する上で学ぶことが多いです」と幸枝さん。
尋子さんのほうは、職人として、顧客がほしいという色をきっちり出せた時に喜びを感じるタイプ。その点では研究者肌の父親とは少し違うそうだが、顧客の期待に何としてでも応えようとする姿勢は共通だ。
「私、どんな難しい注文にも応えようとしちゃうから、社内で“断れない女”って言われているんですよ。両親もお客様第一という考え方で、技術と同時に真面目さや堅実さでも評価をいただいてきました。そういう気持ちは大事だと思うので、しっかり受け継いでいきたいです」
家業を支える「最強コンビ」
今は父親が経営する玉川釉薬。近々、この2人が事業を継承する予定だ。2人のどちらが経営を引き継ぐ予定なのだろうか。家族の間でも最近その話題が出ているそうで、「父は姉で考えているみたい。『職人たるもの経営もやれ』って」と幸枝さん。それを聞いて尋子さんは「でも幸枝のほうが経営者向きでしょ」と笑う。
今は、将来を見据えて2人で経営会議をすることもしばしば。両輪で家業を支えている実感があると口をそろえる。
「幸枝は外を飛び回っているから、隣を見たらいつもいないんですけどね。でも思いは同じだから、2人で力を合わせて、黒子的存在だった釉薬メーカーをどんどんエンドユーザーとつながれるように変えていきたいです」(尋子さん)
「そうそう、私は飛び回ってるからいつもいないよね(笑)。ただ、100%下請け型の事業ってリスクが高いから、これからも複数の新規事業を走らせていくつもりです。そうした事業を通して、家業や地場産業に貢献できたらうれしいですね」(幸枝さん)
古い慣習は積極的に変え、釉薬を中心とした誠実なものづくりは大切に受け継いでいく。そんな共通の思いを持って家業を支えている2人。若い感性を持った姉妹が業界にどんなイノベーションを起こしていくのか、今後を楽しみにしたい。
玉川釉薬 役員
1982年生まれ。2003年、玉川釉薬に入社。顧客営業と釉薬製造を担当したのち結婚・出産に伴って一時休職。現在は現場に復帰し、父親の後を継ぐ職人として営業や釉薬の研究開発・製造に取り組んでいる。小学6年生と幼稚園年長の2児の母。
玉川 幸枝(たまがわ・ゆきえ)
玉川釉薬 役員/合同会社プロトビ・TILEmade 代表
1984年生まれ。2003年、玉川釉薬に入社。勤務を続けながら世界一周やボランティア活動を行ったのち退職。上京してビジネスを学び、プロトビを起業。2017年、オーダーメイドタイルのブランド「TILEmade」を立ち上げる。同年より拠点を瑞浪市に移し、家業や地場産業の活性化に取り組んでいる。