未就学期の教育の重要性をうたう根拠となっていた研究を覆す新しい研究が、最近発表されたそうです。幼児教育は本当に効果がないのでしょうか。脳科学の観点から解説します。
青空の下、バンザイする女の子
※写真はイメージです(写真=iStock.com/hanapon1002)

未就学児の早期教育に疑問を呈する最新研究が登場

5歳までの教育が特に大事(幼児教育に投資をしましょう)。

教育に熱心なお母さんお父さんは、見聞きしたことがある文言ではないでしょうか。ノーベル経済学賞の受賞者でシカゴ大学のジェームズ・ヘックマン教授(専門は労働経済学)が、2006年、就学前の子どもに対する教育投資効果に着目し、「就学後の教育の効率性を決めるのは、就学前の教育にある」とする論文を、科学雑誌『Science』で発表したことで、日本でも教育の経済学という観点から大きな注目を浴びました。近年の幼児教育の重要性を説いているものの多くはここに「根拠・証拠」を見ています。

ところがつい最近、このヘックマンの研究の最大の軸である、「ライフコースの早い時期(未就学児)に社会政策プログラムとして教育を実施することが最大の利益コスト比率を持っているという主張を裏付けるものは見当たらない」という論文が出ました。つまり、5歳までの未就学児への教育投資の有用性の論拠の一つが否定されたのです。

未就学時の教育が40年後の人生に影響する?

では、ヘックマンの研究のどこが問題なのでしょうか。その説明の前に、ヘックマンの研究について触れておきます。

ヘックマンの専門は労働経済学です。そのため、教育を、個人の所得や労働生産性を伸ばすための「投資」として捉えます。どのような教育投資をすれば、効果的に所得や労働生産性を上げることができるか? や、教育政策への投資が社会にとって有効か? という観点から研究をしています。

すでに多くの書籍などでも説明されている有名な研究ですが、ヘックマンらは、1960年代に低所得層のアフリカ系米国人の子ども123名に対して行われた教育プログラムで、未就学児など早い段階での教育が、40歳になった時の彼らの、学歴、犯罪歴、離婚率、生活保護等に頼る率に影響を及ぼすことを示しました(教育をした人の方が高卒率が高く、犯罪歴などは低かった)。

この結果から、早期(未就学児。〜5歳)教育の重要性を主張し、とくに重要なのは、早期教育が、IQなどではなく、非認知能力を育てることだと結論づけています。

ヘックマンの研究の問題点3つ

この有名なヘックマンが示した研究(ペリー就学前計画)については、実は、科学的には大きく3つの問題点があります。

1.非認知能力は直接観察検証していない

このヘックマンが紹介した研究では、未就学時にプログラムを受けた人は、40年前後の追跡調査で、高い年収や、低い犯罪率などを示すという結果だったわけなのですが、一方で、学力については、小学校中学年以降、差が見られず、プログラムを受けたか受けなかったかでIQの違いは見られませんでした。そこで、このような結果の差を生んだのは、「学力やIQ(認知スキル)以外の何か」であり、“非認知能力”であろう、と示唆されたのです。つまり、具体的には非認知能力の測定は行われていなかったのです。

2.少ない実験サンプル

プログラム介入の効果を検証するには、123名というのは小規模です。そのため、このプログラム介入による効果が、大規模サンプルに拡張しても同じだけ見込めるという保証はなかったのです。

3.低水準が平均より少し低いくらいまでになるというエビデンス

ヘックマンらも述べていますが、この研究は、アフリカ系米国人の貧困層の子どもを対象としている研究であることが重要なポイントの一つです。将来的にもさまざまな格差を生むことが問題視されていた貧困層の子どもが、教育プログラムを受けることで、低水準から平均に近い(それでも平均以下なこともポイントです)いわゆる、追いつき効果を示すものです。つまり、教育に高い関心をもつ多くの日本人が考えているような、中流家庭以上の子どもの平均水準から高水準への上乗せの効果が期待できるかどうかは疑わしく、そこに対する科学的根拠には全くなっていません。

“10代前半まで”の教育が大事

では実際、幼少期の教育に効果はないのでしょうか? ヘックマンの研究発表以降にも、多くの研究が早期教育の重要性については指摘しています。

早期教育の重要性の鍵として、社会情動的スキルの育成があります。

社会情動スキルとは、非認知能力でもあり、その人の思考や感情、行動の一環したパターンで、学習行動を通じて育まれるもので、環境の変化や介入によって変化させられるものです。2015年のOECDの調査によると、9カ国の調査から、子どもの“社会情動スキル”が、将来のwell-beingの高さ、身体と精神的な健康、問題行動の少なさに関連することが明らかにされました。

さらに社会情動スキルは、将来の認知的スキル(IQなど)の高さを予測することが示されています。そして、この認知的スキルは、将来の学歴、雇用や収入の高さに大きく関与していました。

最も重要なことは、この社会情動スキルの高さは、その後の認知的スキルの高さも予測する、ということです。つまり、早期教育でこの社会情動スキルを育てることができれば、その後、長期的な効果を得ることが期待されるのです。

ただし、早期教育とは、未就学の時まで(5歳)と断定されるものではありません。脳科学者の立場としては、非認知能力と認知能力をつかさどる前頭前野は、10代前半までにかけてダイナミックに変化していくため、早期から小学生時代までの一環した教育プログラムの継続が重要なのではないかと考えます。

子どもの非認知能力を育てる3大ポイント

非認知能力を育てるにあたって重要なキーになってくるのは、自己効力感(自分はできるという思い)、内的動機づけ(やりたいという意欲)、メタ認知(自分のことを正しく理解する力)であることがさまざまな研究から明らかになっています。これらは、“年齢や周りとの比較の中で作る(達成できるかどうか人によって異なる)目標”ではなく、その子が少し頑張ればできる適切な、“その子にあった目標”を与え、達成させてあげることで育まれます。

また、乳幼児期から幼児期前半については、安定したアタッチメント(愛着)の形成が、何より重要であることが明らかにされています。教育プログラム介入を素直に受け入れて効果をあげたり、新しい外界へとチャレンジしていったりするためには、安定したアタッチメントがまず必要になるためです。

乳幼児期に、愛情を与えることによるアタッチメント形成をまずしっかり行い、その子にあった目標を与え達成させていってあげることで、幼児期後半から学童期(小学生)にかけて非認知能力を継続して育てていく。「5歳までに非認知能力を育てよう、と早期教育の重要性が煽られている中、多くの人がまだ知らない最も重要な事実として、”非認知能力の形成(10歳以降でも伸びていく)は、認知能力の形成時期(7~10歳程度)よりも年齢的に遅い”ということがあります。つまり、未就学児の早期教育だけに熱心になることが、人生の成功への近道ではありません。未就学児から思春期・青年期までも一環して、非認知能力を伸ばす教育を考えていくべきなのです。

<参考文献>
・Heckman JJ. Skill formation and the economics of investing in disadvantaged children. Science. 2006;312(5782):1900-1902 
・Rea David, Burton Tony, “New Evidence on the Heckman Curve,” Journal of Economic Surveys, 34(2020), 241-262.
・遠藤利彦(2017)(編)平成27年度国立教育政策研究所プロジェクト研究報告書「非認知的(社会情緒的)能力の発達と科学的検討手法についての研究に関する報告書」.6)OECD(2015).
・Skills for Social Progress: The Power of Social and Emotional Skills: OECD Skills Studies. OECD Publishing
・Multon, K. D., Brown, S. D., & Lent, R. W.(1991). Relation of self-efficacy beliefs to academic outcomes: A meta-analytic investigation. Journal of Counseling Psychology, 38, 30-38. 23
・Schunk, D. H. (1981). Modeling and attributional effects on childrenʼs achievement: A self-efficacy analysis. Journal of Educational Psychology, 73(1), 93-105. 24