フランスでは、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため3月半ばから厳格な外出禁止令が出されたが、早くも1週間目には家庭内暴力(DV)が約35%増加したという。そんなフランスでは、約2日に1人の割合で、女性が夫や恋人などに殺される“Féminicide(フェミニシッド)”(「女性殺人」の意、英語では「フェミサイド」)が起きており、欧州でも1、2位を争うほど多い。近年、フランスで注目を集めるようになったフェミサイドについて、30年以上フランスに住むジャーナリストのジャーナリスト、プラド夏樹さんがリポートする。
「あなたの娘を守るのではなく、息子を教育してください」と書かれた張り紙。パリ19区、ジェネラル・ラサル通り(撮影=プラド夏樹)
「あなたの娘を守るのではなく、息子を教育してください」と書かれた張り紙。パリ19区、ジェネラル・ラサル通り(撮影=プラド夏樹)

ほかの殺人とは違う「フェミサイド」

筑波大学からフランスに留学していた黒崎愛海さんが2016年から行方不明になっていた事件で7月24日、元交際相手のニコラス・セペダ・コントレラス容疑者の身柄が、チリからフランスに移送された。現地の報道によると、同容疑者は黒崎さんに宛てて「病的な嫉妬心と所有欲をあらわにした」大量のメッセージを送っており、フランスではフェミサイドととらえられている。

フランスのフェミサイド調査団体によると、2019年に夫や元夫、恋人や元恋人などに殺された女性は150人にのぼる。パートナー間の殺人全体のうち、女性が被害者になったフェミサイドの割合は例年80%を超えている。ちなみに、日本の男女共同参画局の発表によれば、2018年のパートナー間殺人153件のうち女性が被害者になった事件は全体の55.6%だ。

フェミサイドはこれまで、ラテン・アメリカ諸国やアフリカ、中東で多発し問題視されていた犯罪だが、昨年からフランスでも、「明らかな女性蔑視を動機とし、女性が女性であるゆえに殺される、ある特殊なメカニズムを持った犯罪」として、他の殺人事件とは区別されて考えられるようになった。以来“Féminicide(フェミニシッド)”という、これまでなじみがなかった単語が、メディア上で頻繁に使用されるようになった。

「愛ゆえの殺人」は許されるのか?

これまで、パートナー間の殺人は、「情熱ゆえの殺人」と呼ばれ、愛しすぎてカッとなり殺してしまったというニュアンスがあり、社会でいくぶん許容されてきたきらいがある。

フランスの国民的ロック歌手、故ジョニー・ホリデーの歌に、愛人を殺して警察に追われ自殺する男をテーマにした『ある狂人へのレクイエム』(1976年)があるが、サビの部分は次のような歌詞だ。

彼女の身体は俺の人生そのものだった
愛しすぎて、俺のモノにするために殺してしまった
偉大な愛が永遠に続くために、俺も死ぬ

今でもフランスでは、カラオケでみんなが声を合わせて歌う人気の曲だが、このように、フェミサイドはどこかしらロマンチックなものとして美化され、文学、演劇、歌のテーマとして取り上げられてきた。

歴史的に見ても、特に男尊女卑が激しかった19世紀にナポレオンが制定した刑法典324条(1810年)で、自宅に愛人を連れ込んだ妻を夫がその場で殺すのは「情状酌量の余地あり」とされていた。この法律は1975年に廃止されたものの、「妻は夫の所有物」という意識がいまだに社会の根底で綿々と続いていることは否定できない。

「シルビー通り。2019年1月30日に、シルビー(1962‐2019)が元パートナーに殺された」パリ20区、クロンヌ通り(撮影=プラド夏樹)
「シルビー通り。2019年1月30日に、シルビー(1962‐2019)が元パートナーに殺された」パリ20区、クロンヌ通り(撮影=プラド夏樹)

「予告された殺人」フェミサイド

6月初め、ル・モンド紙は「フェミサイド、その真相」という特集を組み、フェミサイド特有のメカニズムを解き明かした。1年間をかけて2018年に起きた120件あまりの事件を分析し、「カッとして」突然起きる犯罪とはほど遠い、長年の精神的・身体的暴力の結果であること、また、それゆえに「予告された殺人」であり、周囲の人々が意識をすれば防ぐことができる可能性もあることを明らかにした。そこで、同紙の記事から一例を引き、そのメカニズムについて説明したい。

「熱愛」から始まった2人の関係

2018年6月25日、朝、中学校に長男を送って帰宅したレティシア・シュミットさん(36歳)はフランス北東部、バ・ラン県の自宅の入り口で、別居中の夫に約20回以上ナイフで刺されて殺された。

レティシアさんがジュリアンさんと出会ったのは1999年、2人が17歳の時だった。一目惚れの熱愛カップルで、彼は彼女に、誰に会ったか、どこへ行ったかなどを毎日詳しく聞きたがった。彼女もそれを「愛してくれている証拠」と思って受け入れていた。

付き合い始めてから7年後、レティシアさんが会社の同僚とバーベキューをして家に遅く帰ると、ジュリアンさんが真っ青になって怒り、つかみかかってきた。別の男と会っていたのではないかと嫉妬したのだ。そしてそれをきっかけに身体的暴力が始まる。

2008年、カップルに第一子が生まれると、これをきっかけに田舎に引っ越す。そして2010年、2人は結婚する。28歳の時だった。

妻の行動を監視、エスカレートするDV

妻は育児を理由に仕事を辞め、その頃から夫は本格的に妻の生活を管理し始める。「愛し合っているんだから、隠し事はなしにしよう」と言って妻の携帯電話の履歴を調べ、買い物のレシートをチェックするようになった。妻の携帯電話に位置情報共有アプリを設定し、2人の銀行口座を夫婦で1つにまとめるなど、じわじわと妻の行動を狭めるようになった。

妻の服装検査もするようになる。ミニスカート、襟元が大きく開いたものは捨て、レースの下着は週末に自宅でだけ着用できることに。妻は会計事務の仕事を再開したが、出勤用の下着は夫自らが1人で買いに行った。レティシアさんの妹は、「姉は、外出するときはダサいオバさん下着しか許されていなかった」と語る。

職場でのランチも、誰と食べるかを携帯電話で撮影して報告するように義務づけられる。仕事の後は同僚と一杯飲むこともなくまっすぐ帰るが、夫は妻の服を脱がして他の男性が触ったあとがないかを調べた。当然、スポーツクラブや習い事も禁止になった。

2017年、夫は、妻がSNSに若い男性同僚を登録したのを見つけ、夜には妻を責めて殴り、翌朝打って変わったように泣いて謝るということが5カ月続く。妻は首を絞められたあとや殴られてできた傷を隠すことができなくなり、職場を休みがちになる。

同僚から家庭内の事情を聞き出した人事課部長が、とうとうレティシアさんを呼び出した。「あなた、家で殴られているでしょう」と切り出すと、レティシアさんは「たった一度あっただけ」と夫をかばう。不審に思った人事課部長は警察に届け出る。

しかし、すでに疲労の極みにあったレティシアさんは抗不安薬を大量に飲み自殺未遂。警察が介入し、夫は精神科にかかることを義務づけられ、別居、そして接見禁止が申し渡される。

そして数カ月後、2人は協議離婚をすることに合意。ところが夫は、接見禁止令をものともせずレティシアさん宅の庭の物置で待ち伏せをし、子どもたちと新しい生活を築き始めたばかりの妻を殺害。逃亡した数日後、線路に飛び込んで自殺した。

孤立、そして妻の「モノ化」

この事件を段階的に分析すると、フェミサイドの典型的なプロセスが見えてくる。

2人は熱愛カップルだったが、妻はそのべったりした関係の中で、自分の交友関係や自分の家族との関係を次第に手放していく。子どもができてからは人里離れた場所に引っ越し、地理的にも孤立。妻は仕事を辞めて育児に専念し、ついに社会的な生活が皆無になってしまう。「偏執的に嫉妬心が強い男性」である夫との関係だけに依存し、その支配下に入ってしまった。これが第1段階である。

第2段階は女性パートナーの「モノ化」である。外界との接触を失い、自分の状況を客観的にとらえることができなくなった妻は、事態を明晰に判断し自衛する能力や批判精神を失う。こうして妻は、夫が好きなように変形し、取り扱える「モノ」になっていく。着るものを指図し、言動を制限され、時間を管理されても、彼女自身が「うちの夫はちょっとおかしくないだろうか?」と思わなくなってしまう。

一度支配関係が定着し、自分でも「私は彼のモノ。それで私も満足」と思ってしまうと、友人に「あなたの夫って、そこまで介入するの? ちょっとおかしくない?」と言われても、「夫の悪口言わないで。私たちはこれでいいの!」などと逆ギレするようになる。本当であれば、こういう少々図々しい友人や周囲の人々こそが必要なのだろう。レティシアさんの場合は、それが同僚であり人事課部長であったが、何分にも遅すぎた。

妻が自分から離れることが耐えられない

そして第3段階目が殺害、自殺だ。フェミサイドの加害者の多くは、自己愛が強く、自己中心的だが、意外なことに、捨てられることに対する恐怖も人一倍強いという傾向があるらしい。妻が自分なしの人生を歩むのを見ることは、想像を絶する耐え難い喪失感を伴う。そして、別離を受け入れるよりは、殺害してでも自分のモノにすることを選択するのだという。

法廷医師でCHUポワチエ精神科医のアレクシア・デルブレイユ医師は、ル・モンドの記事の中で「この『別離の拒否』は男性に特有。男性が加害者となるパートナー殺人の70%が別離を原因として起きている。反対に女性が加害者になるパートナー殺人の場合、別離が原因となることはほとんどない」と語っている。

また、別離に伴う喪失感を回避するために、殺害後に加害者が自殺するケースも多く、40%に上る(うち30%が自殺、10%が自殺未遂)。2019年にオーリアック市で起きた事件では、加害者は、妻から別れを告げられた後、彼女の勤務先である中学校に行き、校門から出てきた妻を猟銃で殺害。直後に自殺した。車の中には、花束と、「愛する人よ、君を殺すのではない。僕と一緒に連れて行くんだ」と書いたメモ、結婚式の写真が残されていたという。

それは本当に「愛」なのか

しかし、本当にそれは「愛」なのか? 「愛するゆえの殺人」は、実は、ひとりぼっちになりたくないゆえの「所有欲殺人」、あるいは自分が傷つきたくないゆえの「自己愛殺人」なのではないだろうか?

21世紀の今日、ほとんどの男性が、女性パートナーを「自由意志をもつ他者」と見なし、「結婚も恋愛も合意の上に成立し、もしかしたらいつか終わるかもしれない」という不確実性を受け入れているはずだ。しかしこうした事件が2日に1回も起きているということは、相手の生死を選ぶ権利や、恋愛や結婚に対する永遠の既得権を信じている男性もいまだに存在することを如実に物語っている。

世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ指数2020」によればフランスは153カ国中15位であるが、(日本は121位)、これはあくまでも経済、政治、教育、健康の4分野からのデータから作成されているものだ。家庭の中で何が起きているかは、別問題である。

2017年に世界で起きた、女性が被害者となった殺人の58%が、現/元パートナーや家族・親族によるものであることから、国連は「家庭は女性にとって最も危険な場所」と警鐘を鳴らしている。家庭は女性にとって必ずしも、安全、安心なスイートホームではない。