飲食店限定の「獺祭」を造った理由
私は酒蔵の4代目に生まれましたが、もともと家業を継ぐつもりはありませんでした。日本酒は身近なものとしてありましたが、飲むと頭が痛くなる酒という認識でした。大学進学で山口県から上京し、卒業後はそのまま都内の一般企業に就職したのです。自分の給料で飲むようになって、たまたま入った六本木の居酒屋で「獺祭」を見つけて飲み、「他社の酒より旨い」と感じました。それが実家に戻り、酒造りをすることになった原点です。入社は2006年、1年ほど醸造の現場を経験し、海外マーケティングを担当。4年前、社長に就任しました。私自身「獺祭」とともに育ったのです。
山口県の田舎から出てきた獺祭は、大都市を中心に多くの方に愛される日本酒になりました。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大は街から活気を奪ってしまいました。4月7日からの緊急事態宣言が、人々の外出自粛や飲食店の休業につながったからです。とりわけ、東京や大阪といった大都市ではそれが顕著でした。街のなかを歩いていても、人と人とのふれあい、コミュニケーションから生まれるにぎわいがあまり感じられません。
緊急事態宣言は5月末に解除されましたが、誰もがコロナ禍の不便さを我慢しています。そこで、旭酒造では7月から飲食店限定の「獺祭 純米大吟醸 夏仕込みしぼりたて」を発売しました。久しぶりに居酒屋に行く、誰かと一緒に飲むというちょっとした1歩を踏み出すお手伝いができればと考えました。
弊社の四季醸造という特長を生かして、精米歩合45%、アルコール度数16度。もぎたての果物のようにフレッシュな夏向けの「獺祭」になったと自負しています。飲食店から明かりが漏れて、なかからざわめきが聞こえる。店の皆さんの力を借りて、ワクワクして楽しさがあふれる街飲みのきっかけになればうれしいです。
5月、売り上げは40%台に落ち込んだ
私どもがコロナの感染拡大について危機感を抱いたのは年明けの2月ぐらいでした。中国に輸出している「獺祭」が「通関段階で滞っている」という報告を受けたときです。やがて「状況が不透明なのでキャンセルさせてほしい」という話が来るようになりました。とはいえ、その時点ではまだ対岸の火事。しかし、影響は4月に入って端的に表れました。売り上げが出荷ベース、金額ベースとも半分になり、5月にいたっては40%台にまで落ち込みました。「獺祭」は街とともにあるお酒ですので、他の日本酒より影響が大きかったのです。
日本酒の消費が減退したことから、原料の酒米を生産する農家も大打撃を被りました。
「獺祭」は代表的な酒米である「山田錦」しか使用していませんが、農家さんから全国の酒蔵からの発注(というよりキャンセル)状況を聞くに、この品種の需要は場合によっては半分以下の30万俵弱まで減るといわれ、耕作放棄まで心配されたほどです。さらに、飲食店でも営業自粛となると、日々の売り上げがゼロになるだけでなく、従業員の給与保障、家賃の支払いなどが、たちまち経営を圧迫します。
思いつく限りの生き残り策を打つ
私どもでは座してコロナ感染の収束を待つのではなく、生き残るために思いつく限りの手を打ってきました。昨年、つまり2019年の醸造量は3万4000石でしたが、今年はその8掛け程度。必死にもがき、日本酒だけでない用途開発にもめどがつき、社内もようやく落ち着きを取り戻しています。しかし、周りに目を向けると、酒米の生産者、扱ってくれる取扱店や飲食店は依然として苦戦しています。コロナ問題を乗り切っていくには、そうした人たちを応援し、業界に活力を取り戻すことが不可欠だと再認識しました。
まず、酒米農家支援策として、仕入れた「山田錦」の新規需要開拓のため、5月から食用として出荷。全国の「獺祭」取扱店のほか、弊社の通販サイトでも販売しました。価格は1袋450グラム入りで375円。YouTubeの弊社公式チャンネルでは女性社員が、酒米をおいしく食べるためのレシピも公開し評判になりました。
さらに消毒用アルコールが足りないという報道に接し、「山田錦」を発酵・蒸留して、アルコール度数72%のエタノールを生産。コロナウイルス感染防止用に6月初旬から出荷をしています。こちらは720ミリリットル入りで小売価格は1650円。1日約400本を生産し、医療機関向けに優先販売するほか、店頭でも販売しています。
今回の飲食店限定「獺祭」もその一環です。ぜひ女性のお客さまにも楽しんでもらいたい。なぜなら「獺祭」ファンの4~5割は女性。海外を含めるともっと多いはずです。仕事柄、輸出先の国々に出かけることがあります。どこに行っても女性が元気な国は社会的・文化的にも成熟しているところが多く、キャリアウーマンたちは仕事と楽しみを軽やかに両立しています。ニューヨークや香港、パリといったところがそうです。それは当然、社会の活力につながり、そういうマーケットでは「獺祭」も好調です。
コロナ禍で見えた経営にとって本当に大事なこと
アフターコロナまでにはまだ時間がかかるでしょう。その間、「獺祭」を造りだしてからの30年でついてしまったぜい肉や悪しき習慣、必要なかった成功体験はリセットしようと考えています。去年ぐらいまで、売上高などの数字は追わないと言いつつも、醸造量が落ちないかという恐怖感がありました。けれども、コロナの影響で嫌でも減産を強いられた結果、品質や市場への適正な量をもう一度見直すことができました。軒並み中止になった日本酒の会やデパートなどでの試飲会にしてもそうです。本当にすべてを実施する必要があったのか、改めて考え直す機会になっています。現在ではSNSのコミュニティづくりやオンラインのお酒の会など、社内で活発に企画があがり、実現しています。失敗したものも多いですが、その経験も財産になりました。イベントが中止になることは残念なことですが、そのことで業務量が減った社員たちが、今できること、すべきことを考え企画にしています。
純米大吟醸というのはハレの日の酒でもあります。例えば、良いことがあったお祝い、特別な相手と食事をする場合のような非日常の席での主役なのです。今、この日本酒の位置づけは、より鮮明になってきていることを実感しています。ありがたいことに弊社は純米大吟醸の日本酒だけを醸造してきて、国内外の多くのお客さまに支持されています。私をはじめ社員たちも「おいしいね」との言葉に感謝しながら成長してきました。この立ち位置を自覚して、いま一度私たちもレベルアップしていかなければいけません。
まだまだ不安を抱えている方も少なくないと思います。ただ、だからこそ弊社としてはできることに取り組んでいきます。しばらくは、おっかなびっくり、一歩を踏み出すということになると思いますが、私たちがニコニコとして、世の中のにぎわいを取り戻していく形をみんなで模索していくことが大事なのではないでしょうか。1回1回の乾杯を通して、皆さんの役に立っていく。いま、私どもはそのように決意しています。