コロナで激変する毎日に役立つのがマナー
コロナの流行により、私たちの生活は劇的な変化を繰り返しています。そんななか、これまでの常識やマナーが次々と覆されていることは、誰もが痛感していることでしょう。この意識と状況の変化変容は、事態が収束したあともコロナ前に戻ることを許さず、これからは感染予防をしながらの新しい生活様式を取り入れなければならないことを暗に示しています。
たとえば季節を問わないマスクの着用。「いかなるときにもマスクは必須」といったこれまでの段階から、今度は灼熱の太陽の下、状況を自身で判断してマスクをつけたり外したりする必要があります。また、ソーシャルディスタンスといわれる人との距離感も、リモートワークが解除され、リアルオフィスで働く時間が増えたぶん、これまでよりお互いに配慮することが求められるでしょう。つまり、時と場所によって細やかな気遣い=マナーが大切になってくるということなのです。
そこで気になるのが、徐々に日常を取り戻そうとするなかで、ウイルスと予防対策に関する認識の個人差。自粛期間はある一定の近しい人たちとの共通認識を深めればよかったはずが、仕事が再開し、活動範囲が広がるにあたって、いろいろな考えの人と過ごす時間が増えるのは必至。これまで存在すらしなかった新しいウイルスの前で、私たちはお互いにどのような意識をもって生活するのがよいのでしょうか?
一見答えがない問題のように思えますが、実はそんなときこそ自分も周囲も心地よくいられるためのマナーが役立つのです。
考え方の違う人同士が心地よく過ごすためには
ごく限られた家族や親類と過ごしていた自粛段階を終え、現在は通勤電車や職場、そして買い物先など、多くの人と接触する機会が増えたのは当然のこと。それは言い換えれば、ウイルス対策においてさまざまな意見を持つ人たちと交わる機会が多くなったということです。すると、自分は良かれと思ってしていることが他人にとっては過剰に見えたり、反対に「これぐらいは」と思っている行為が相手にとっては配慮不足と感じることもあるでしょう。
それもそのはず、はじめて対面するウイルスを前にして、私たちが持つ知識や情報がそれぞれ異なっているのが当たり前。自身が信じている説が、周囲と違っていても不思議ではありません。今の状況は自分と大切な人の命がかかっている、いわば緊急事態が長く続いているようなものですから、自分の考え方を他人に押し付ける行為や、“マスク警察”などの行き過ぎた正義感を振りかざす人が出てきてしまうのです。
また、周りを配慮するあまり、マスクをつけっぱなしで熱中症を起こしたり、他人の目が怖くてそのうち監視されているような気になり、外に出ること自体ストレスになったりする人もいるようですが、自分には見えない他人のルールに縛られるあまりに、心身ともに負担が出てきてしまっては元も子もありません。
大切なのは、自分も他人も心地よく過ごすにはどうしたらよいかを考えること。そのためには自粛中、頻繁に耳にした感染防止のルールをやみくもに守ることではなく、その場その場で臨機応変な対応をすることが必要なのです。
優先すべきは心の距離感
そもそもマナーはルールとは違い、どんな状況でも守るべきものはたったひとつ、周囲への気遣いです。たとえば基本はマスクが必須でも、暑い中ではきちんとソーシャルディスタンスが保たれていればそのときはマスクを外す。窓を開放し換気を徹底している中で気温が急上昇したときには一端窓を閉め、冷房を正しく使う……など、感染防止対策の基本は守るにせよ、その場で皆が心地よく過ごすために、行動自体はその都度違ってもいいのです。相手が不快になっていないか、また、自分も無理をしていないか。それを細やかに判断する基準がマナーであり、人への心配りです。
Withコロナといわれる時代に必要なのは、どうすればウイルスを撃退できるかという正しい知識と行動だけでなく、未曾有の状況下で異なる意識を持つもの同士がどうすればお互いを尊重し、やわらかな気持ちで過ごせるかということ。専門家の間ですら日々見解が変わり、まだ答えの出ない毎日で求められるのは、まさに思いやりにあふれたマナーであり、どんなに正しいと思っていても、自分の信じる対策を周りに押し付けることではないはずです。
これまでのように行動を自粛するだけでなく、経済活動を再開し日常を取り戻そうとする私たちの行動は、毎日のように変化し続けています。心身の健康のために正しく対策をしつつ、やさしいマナーを意識してみましょう。共に働く人、親しい人とならなおさら、それぞれの意見に気遣いのある折り合いをつけ、新しい時代へと突入したいものです。