長引く都市封鎖で増える「ジェンダーベイスト・バイオレンス」
フィリピンでは3月上旬に新型コロナウイルスの感染が拡大し、マニラ首都圏では3月12日から、マニラのあるルソン島全土では16日から都市封鎖などの対策がとられた。約2カ月続いた厳しい封鎖措置は5月16日からほとんどの地域で緩和されたが、マニラ首都圏などでは依然として新規感染は減少しておらず、厳しい外出規制が敷かれている。経済活動や市民生活の正常化は見通せない状況だ。
2019年12月に世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数ランキングで、フィリピンは16位となったが、その前年までは常にトップ10をキープ。アジアでは常にトップクラスを維持する“優等生”だ。しかし、そんなフィリピンの各地でも、新型コロナ対策により都市が封鎖される中、DVを含むいわゆる「ジェンダーベイスト・バイオレンス(性差に基づく暴力)」は増加している。
加害者と一つ屋根の下で、逃れられない被害者
フィリピンの都市封鎖は厳しい。買い物などの外出は一家で1名しか許可されず、午後8時から午前5時までの外出は禁止。外出制限の規則を破ったとして、すでに4万人以上が逮捕されたほどだ。新型コロナウイルス感染者が増えたために、家から一歩も出られない完全封鎖が行われた地区もある。
感染に対する不安、経済的不安などによるストレスが、家庭内の弱者に暴力となって向かっている。自分から家を出ることもできず、暴力をふるうパートナーが常に家にいて、助けを求める電話さえできないとしたら——。加害者であるパートナーと家に閉じこもらなければならない女性たちの恐怖は計り知れない。都市封鎖がきっかけとなって暴力が始まったというカップルも少なくない。しかも、外の目が届きにくくなり、パートナーからの暴力は非常に見えにくくなっている。政府から独立した立場で人権状況を監視する公的機関、フィリピン人権委員会は、女性や子どもに対するDVに政府が対応するよう促す声明などを立て続けに発表している。
新型コロナ禍で深刻化している問題は、家庭内暴力ばかりではない。新型コロナによるストレスのはけ口はインターネットにも向かっており、フィリピン人権委員会は、サイバーポルノによる性搾取やSNS上でのセクシュアル・ハラスメントの横行にも警鐘を鳴らしている。ジェンダーに関する政策立案を行う政府機関「フィリピン女性委員会」も、女性らが、封鎖下で検問の業務などに当たる警察官や自治体職員などから、セクハラを受けているといった現状を厳しく非難している。
制度や窓口整備が進むフィリピン
フィリピンには「反セクハラ法(1995年)」「反レイプ法(1997年)」「レイプ被害者保護法(1998年)」「女性大憲章(2009年)」など女性の権利に関する多数の法律があるほか、日本のDV防止法にあたる「反女性・子どもへの暴力法(2004年)」が制定されている。これにより、「バランガイ」と呼ばれる最小行政区(小学校の校区くらいの規模感)や警察などに、緊急時の被害者の助けに速やかに応じる義務が課されている。バランガイの役場は、住民にとって市役所や警察よりもずっと身近で立ち寄りやすい場所だ。相談しやすいと感じる女性も多いだろう。
バランガイの役場や警察などから報告を受けた社会福祉開発省や地方自治体の福祉部門、非政府組織(NGO)が、一時的なシェルターや社会復帰プログラムを提供する。被害者が医療機関にかかった場合も無料となる。同法は加害者への接近禁止や、住居からの退去(所有権が加害者にあっても退去が命ぜられることがある)、禁固や罰金等の処罰についても定めている。さらに、保護した行政機関や医療機関関係者が、事案の報告を怠ったり、被害者の個人情報を開示したりした場合の罰則も規定されている。
DVの相談・支援の窓口としては、社会福祉開発省や国家警察の「女性と子どもの保護センター」、国家捜査局の「女性と子どもへの暴力デスク」などがあり、この問題に取り組む女性団体も多数存在する。
SNS活用し、被害者支援に乗り出す女性団体
ここでは、新型コロナ対策の都市封鎖を機に、3月29日に設立された民間団体「ルナス・コレクティブ」(以下ルナス)の取り組みを紹介したい。ルナスは暴力や性の問題に悩む人向けのオンラインカウンセリングを提供しており、研修を積んだボランティアによってマニラ首都圏を拠点に運営されている。
今回のコロナ禍で、オンライン特化型の支援活動は社会状況と女性のニーズに合致していると思われるが、フィリピンで取り組む団体はまだ多くない。ルナスはその先駆けの一つと言えよう。
「ルナス」はフィリピン語で「癒し」を意味する。現在はフェイスブックでのみ活動を行なっており、相談者はフェイスブックのメッセンジャーを使って支援者に連絡を取ることができる。
ルナス設立の経緯や活動内容について、代表のサブリナ・ガカッドさんにEメールやチャットでお話を聞いた。彼女は、名門国立大学、フィリピン大学のソーシャルワーク・コミュニティ開発学部女性開発学科で教鞭をとる助教授でもある。
DV被害者にオンラインで“心の応急処置”を
ガカッドさんが活動を開始したのは、コロナ禍により世界中でジェンダーベイスト・バイオレンスが増加しているという情報に触れたことがきっかけ。「どうしたら女性はコロナウイルスからだけでなく、暴力や望まない妊娠から身を守れるのかと自問しました」
活動を始めてみたところ、毎日のように相談が寄せられるという。「DVは身体的、心理的・精神的、性的、経済的暴力などさまざまな形態がありますが、封鎖により被害者はより孤立させられています。外に出ることや友人・親族と話すことを加害者から禁じられたり、携帯電話を没収されたりすることもあります。コロナがDVを深刻化させているのです」
具体的にどのような支援を行うのだろうか。「言うなれば“心の応急処置”です。支援を求めてくれた人に私たちができるのは、まず聞くこと。不安や恐怖、恥の感覚を抱えた被害者にとって事実を話すことは、実はとても大変なんです。安心感をもってもらうために、とにかく聞く。どのような解決策があるか、選択肢を示すのはそれからです。それが『私たちはあなたの側にいて、あなたのことを尊重します』というメッセージになり、その人に自分の力を信じてもらうことにつながります」
課題もある。今は試験運用の段階で、フェイスブックを使っていない被害者にリーチできないし、緊急のケースにも直接介入ができない。このため、緊急性の高い事案については、必要に応じて警察や自治体の部署につないでいるという。
最近では、フェイスブックを通じた支援活動のほかにも、自治体との提携を進めてDV被害者の支援を行う機関・団体のデータベースづくりにも着手した。また、性や生殖の問題で専門的な支援が必要なケースがある場合は、その分野を専門とするNGOに受け入れてもらう体制も構築した。
暴力を黙認する文化を変えるため、声を上げ続ける
これらの取り組みは、今後の活動の継続を見据えてのこと。ガカッドさんは、コロナ禍が収まってもルナスの活動を続けるつもりだ。「相談者の反応から、私たちの活動はやる価値があること、そして様々な性自認(ジェンダー・アイデンティティ)や性指向(セクシュアル・オリエンテーション)の人が、性差に基づく暴力やリプロダクティブ・ヘルス(性や生殖に関する健康)の問題について誰かに相談したいと切望していることがよくわかりました」
「それに、ジェンダーベイスト・バイオレンスやセクシュアリティの問題をオープンに語りにくい風潮を変えたいんです。暴力が振るわれているケースを実際に知った人の多くは、被害者に『我慢していればなんとかなる』と言うだけで、加害者に暴力をやめさせる方向には向かわない。声を上げ続けなくては」
そのため、ルナスは情報発信も行なっている。例えばフェイスブックを通じて「暴力を振るわれて当然の女性なんていません」「私たちはあなたの話を聞くためにここにいます」「社会が暴力を黙認したり被害者を非難したりすれば、暴力はエスカレートします」といったメッセージをイラストとともにわかりやすく伝えている。
最後に、ガカッドさんが「研究者」という枠を超えた活動を始めた理由を尋ねてみた。「私の専門であるフェミニズムの理論を実践に移すためです。もちろん学術的な調査をするのは好きですが、それだけでは『女性が弱い立場に追いやられている』という問題には対処できません。ジェンダーのパワーバランスを変えていくために、オンラインでの支援とオンライン・アクティヴィズムは重要な要素となるということを、論文にもしたいと思っています」
ルナスのオンライン支援の取り組みは、「コロナ以後」のDV被害者支援のあり方として示唆に富むものではないだろうか。また、活動は小規模ではあるが、異なる分野の専門家や団体、大学とも連携を進めることで、これからより多くの被害者/サバイバーに支援が行き渡る可能性を秘めている。埋もれがちな被害者にリーチし、さらに女性への暴力を黙認する社会のあり方を変えていこうとするルナス・コレクティブ。今後の取り組みに期待したい。