旅行鞄とともに始まった、ルイ・ヴィトンの歴史
ルイ・ヴィトン。その名を聞いて多くの有名アイコンを思い出すのはとても簡単だ。唯一無二の「モノグラム」に、ミニマルな「ダミエ」、そして存在感たっぷりのLVロゴ。今改めてブランドを語るには、私たちはすでにその素晴らしさを知りすぎている。しかしながら、長きにわたり世界中の人から愛され続ける所以は、長い歴史と伝統を紐解くことで、より鮮明なものとなる。
1837年、16歳だったルイは、故郷を離れパリにいた。彼は当時の貴族や富裕層に需要のあった、レイティエ・アンバルールと呼ばれる荷造り職人であり、同時にトランク職人としてひたすらに腕を磨いていた。
54年、ルイが33歳のときに世界初の旅行用鞄の専門店をオープン。当時革製で重い鞄が主流だった中、コットンに特殊な防水加工を施したトランクは評判を呼び、瞬く間にルイ・ヴィトンは大躍進。
さらに2代目ジョルジュのときに急成長を遂げ、その後も革新的なトランクやソフトラゲージなど、数々の人気バッグが世に送り出されることとなる。
存在感がありながら、奥深いエレガンス
90年代からはウエアが、その後ウオッチ、ファインジュエリー、そしてフレグランスの分野への進出も果たし、数々のアーティストやブランドとのコラボレーションも話題となったことで、押しも押されもせぬトップメゾンとなった。
そしてメゾンが初めて店を構えた通りの名がつけられた「カプシーヌ」が誕生したのは2013年のこと。それまでメゾンが積み上げてきた歴史やノウハウ、クラフツマンシップ─つまりサヴォアフェールを堪能できるコレクションとして、アイコンバッグの仲間入りをするのに時間はかからなかった。存在感がありながら奥深いエレガンスをたたえたデザインで、特に多くのキャリア女性にとっての最愛バッグとなったのだ。
「カプシーヌ」にはほかにも、ルイ・ヴィトンの歴史の香りが隠されている。たとえば刻印のあるリベットは伝統的なトランクへのオマージュであり、両サイドのハンドルマウントリングは、まるでファインジュエリーのような表情。セレブにも愛用者が多く、新しくも由緒正しい伝統に裏づけされた、エグゼクティブが愛する名品なのである。
最高峰のジュエラー、伝統と革新のカルティエ
1847年、まだ20代だったルイ=フランソワ・カルティエが、自身の師である宝石職人アドルフ・ピカールからパリのアトリエを受け継いだことから、カルティエの壮大な歴史は幕を開ける。王侯貴族や富裕層が行き交うエリアに店を移転させながら、著名な顧客を増やし、メゾンは世界的ジュエラーへの道を順調に進んでいった。
すでに揺るぎない地位を確立していたカルティエだったが、その名をさらに知らしめたのは、当時社交界の中心人物といわれていたナポレオン3世の妃、ユゥジェニー皇后からの直々のオーダーだったという。この出来事をきっかけにカルティエの評判は王侯貴族にあまねく広まり、王族御用達ブランドの名をほしいままにした。
カルティエに大きな転機が訪れたのは1904年。創業者のルイ=フランソワ・カルティエ亡き後、3代目当主のルイ・カルティエが友人の飛行家アルベルト・サントス=デュモンのために、飛行中でも使用できる時計を製作する。これが世界初の男性用の実用的な腕時計「サントス」の誕生だ。ほかにもカルティエはトップメゾンとしてジュエリーの台座に初めてプラチナを使用したり、バゲットカットのダイヤモンドをデザインしたりと、時を経るごとに数々の世界初を生み出したのである。
エレガントな存在に秘められた伝統と革新
当時のヨーロッパでトレンドであったアールヌーヴォースタイルからいち早く脱却したのもまたカルティエで、のちに主流となるアールデコ・スタイルの先駆けとなった。
ブランドの躍進はまだまだ止まらない。08年にはメゾンのイニシャル「C」を組み合わせたアイコンが登場、24年には、日本でも90年代に一世を風靡した「トリニティリング」が誕生している。
時計はというと、17年にスクエアフォルムが印象的な「タンク」や85年に防水機能が人気の「パシャ」を製作。そしてエグゼクティブをはじめ、世の女性たちが愛する時計「ベニュワール」は12年に前衛モデルが発表され、今の形に近いモデルとなったのは50年代のこと。「ベニュワール」はフランス語でバスタブを意味し、数ある時計の中でも優美さと女性らしさが際立つオーバル形のフェイスが光るデザイン。たおやかな曲線美はエレガンスウオッチの代表格とも言えよう。
ビジネスではもちろん、プライベートシーンにおいても、常に女性を輝かせてくれるカルティエ。エレガントな存在に秘められた伝統と革新が、これからも特別な日々を連れてきてくれるに違いない。
時代の先駆けとなった、名門・エルメスの軌跡
約180年もの間、トップメゾンとして君臨し続けるエルメスは、色褪せることを知らない。早くから多様性をけん引し、女性の活躍に着目してきたその姿勢は、現代社会のスタンダードにさえなっているのだ。
エルメスが馬具工房としてスタートしたのは1837年。創業者のティエリ・エルメスが36歳のときだった。デザイン性と品質の高さはもちろん、今と変わらず機能美を追求した製品は、時のロシア皇帝やナポレオン3世をも虜にし、67年のパリ万国博覧会では初出品でありながら銀賞、89年にはグランプリも受賞している。
80年、2代目シャルル・エルメスにより、現在のパリのブティックがあるフォーブル・サントノーレに移転。馬具の卸だけでなく、顧客への直接販売をスタートさせた。
それから約10年後、馬の鞍を入れるバッグとして「オータクロア」が誕生。一方で1900年代に入ると、それまで全盛だった馬車に代わり自動車産業が活発に。それをいち早く見抜いていた3代目のエミール・エルメスは、社会進出する女性たちに向け、バッグのほか、グローブや財布などのスモールレザーグッズの販売に着手。この采配が今日のメゾンの原型をつくったともいわれ、彼が“ミスター・エルメス”と呼ばれる所以ともなった。
エルメスの発展と女性の活躍は、ともに続いていく
やがてエルメスは事業を拡大し、ファッションや時計、ジュエリーなどにも積極的にアプローチしていく。これが海外進出のきっかけとなり、一躍トップメゾンとして世界中に名を馳せたのだった。
20世紀初頭には世界で初めてファスナーを使ったバッグ「ボリード」が登場し、その後はメゾンの代名詞ともいえる「ケリー」「バーキン」、そしてシルクスクリーンによるスカーフが誕生し、現代の私たちが知るように、エルメスの人気はさらに不動のものとなった。
現在のエルメスのロゴの元となった商標(写真)には、馬車と従者はいてもそこに乗る人は存在しない。これは、主役は製品の持ち主自身だということを示しており、顧客へのリスペクトを表している。
エルメスの愛すべき革製品には、先に挙げた有名なバッグのほかに、“その中身”を彩るさまざまなスモールレザーグッズがある。女性の仕草を美しく見せ、持ち主とともに育っていく上質な革の変化は、常に私たちを夢中にさせてきた。エルメスの発展と女性の活躍は、これから先もともに続いていくだろう。
※価格はすべて税抜きです。文中の[ ]内の数字はバッグや小物のサイズ[タテ×ヨコ×マチ]を表し、単位はcmです。記号はWG=ホワイトゴールド、DIA=ダイヤモンドの略です。