3月2日から始まった小・中・高の一斉休校。学齢期の子供をもつ家庭には今も混乱が続いている。この非常事態に改めて顕在化したのは、「2020年においてもまだ、日本の子育ては母親のほうに重く負担がのしかかる」ことだ。そして普段は影を潜めているのに、社会が弱った時に姿を現す“見えない圧力” が女性の活躍を阻んでいる――。
屋上での若い自信のあるビジネスウーマンの肖像
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一斉休校であがった親たちの「悲鳴」

2月27日、新型コロナウイルスの感染拡大をうけて「全国全ての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、来週3月2日から春休みまで臨時休業を行うよう」(官邸HPより)との要請が発表された。根拠となったのは、当時確認され始めていた市中感染例によって人々の市中への外出を抑制する必要が指摘されていたこと、そして患者数増のスピードを減速させるためには「ここ1、2週間が極めて重要な時期」との判断だった。

人の動きを抑えれば感染拡大を阻止できるかもしれないとの判断、そして拡大阻止のためにまず動的エネルギーが大きく、大人に比べてウイルスキャリアとなる可能性が高い(と単純に推測される)子どもの集団行動を抑えることで、その家族や関係者の動きを抑え、社会における人の流れを効果的に抑制しようとの戦略を取るのは、理屈としては理解できた。

野党による「場当たり的」との政府批判や、マスコミによる「愚策」「全国一斉休校の意味はない」などの指摘も、それはそれでさもありなんと感じたが、日本国中が一斉休校するなんて事態は異例中の異例だから、現状がいかに異常であり、このコロナウイルスなるものがいかに社会や人類にとって恐るべき脅威であるかとの印象は、強烈に刻まれた。

しのごの言わず、まずできることは何でもしていかに早く混乱を収束させるかに注力し、社会の安全が確保されてから対策の是非を改めて問えばいいのではないか……。筆者は「この緊急事態を前にして、2週間程度という限定的な休校や会社員のリモート(テレ)ワークなど、そこまで大ごとではないだろう」などと、いたって軽く考えていた。

ここできっと、大人も子どもも含めた日本社会の「リモート化」が進み、所属から自由になり自立する生き方や働き方が可能であることに気づく人も増えて、VUCAの様相を増す人類の社会に適応する良いきっかけにもなるのじゃないか……と考えたのだ。

金銭的な補償ではカバーできない負担とストレス

安倍首相による「要請」発言の翌28日には、筆者の息子が通う私立中学校からも休校決定の知らせが届き、いよいよ筆者自身も一斉休校の当事者となった。公立校だけでなく私立校も要請に応え、いよいよ本当に全国一斉休校が始まったのだ。

途端に、SNSにもメディアにも、子育て中の親があげる悲鳴があふれた。

学校機能が停止するということは、日中に学校へ行き、給食やお弁当を食べ、夕方や夜に帰宅する子どもたちの生活リズムと、それを前提とした働き方や活動をしている大人たちの生活リズムを一斉に崩すことだった。

それ自体は想定されていたことだ。安倍首相は行政機関や企業に「子どもを持つ保護者の方々への配慮」を求めたうえで、「こうした措置に伴って生じる様々な課題に対しては、政府として責任をもって対応する」と語った。子どもたちのケアや保育が必要となった親が仕事を休まざるを得なくなった場合の経済的損失をカバーする「休業補填」の議論も、それが十分か否か異論はあるにせよ進む。

だが金銭的な補償ではカバーできない、澱のように溜まる負担感とストレスが、子どもを持つ親や祖父母、中でもやはり母親たちを直撃しており、SNSやメディアには毎日のようにリアルな声が上がる。

「子供を公園に連れてきちゃダメ!」と見知らぬおじいさん

「小さな子どもが同じ部屋の中にいる状態でのリモートワークなんて、事実上機能していない」
「原則開園と言われる保育園、我が子の民間保育園は衛生と物資不足を理由に閉園中」
「家の中に閉じ込められた子どもの発散のためにと公園へ連れて行ったら、『子どもを連れてきちゃダメだ、家の中にいなさい』と見知らぬおじいさんに叱られた」
「共働きの夫婦ともに実家から遠い我が家、子どもの預け先探しに奔走している」
「この時期だけと頼み込んで、実家の母に上京してもらった。祖父の介護もあるのに……」

学齢期の子どもが複数いる家庭では、なおさらだ。

「コロナが騒がれ始めた頃は、上の子の高校受験真っ最中。厳戒態勢に近い緊張感で、毎日薄氷をふむ思いで過ごしました。ようやく終わったと思ったら、卒業式は教師と生徒のみで開催との知らせ……」
「毎朝、仕事に出かける前に子ども2人の昼食と夕食、今日やっておくべき宿題の指示をして出かける。子どもだけの長時間留守番で、心配は尽きない。さすがに親の疲れもピークです」
「リモートワークの夫と2人の子どもだけで3日間過ごしてもらったら、家の中はカオス、夫が『仕事にならない』と音をあげて不機嫌に。結局、私も在宅にスイッチ。“イクメン”を自負してきた夫ですが、連日子どもと缶詰になって全ての世話をするのは事情が違う。彼も初めて専業主婦の気持ちを理解したんじゃないかな」

「ここでも母親の負担のほうが大きいんだ……」

あぶり出されたのは、両立の物理的な大変さだけではない。

都内の企業で働く、共働きの母親A子さんは「夫婦ともに、リモートワークだけではまわらない職業なので、子どものケア負担が大きく、いま本当に忙しくつらい」とこぼす。

保育園児と小学生低学年の子どもを、これまでは保育園と民間学童、そしてA子さんの祖父母の協力をフル活用することで仕事との両立をはかってきた。だが今回のコロナウイルス感染拡大においては、発症リスクが高いといわれる高齢の祖父母に保育園や学童の送り迎えを連日依頼するのは忍びない。

すると、祖父母は自宅で子どもたちの面倒を見ようと提案してくれた。ありがたく申し出を受けたが、いわゆる「スープの冷めない距離」とはいえ老夫婦二人の世帯に子どもを一日中預けるとなると、着替えや日用品、勉強道具、おもちゃや絵本など、ちょっとした引越しめいた大荷物で移動することになる。

昼食やおやつなども、A子さんや夫が朝、子どもたちめいめいの容器に入れて祖父母宅へ持参する。それくらい作るのに、と祖父母は言うが、高齢の両親に幼児の食事を準備してもらうのは大変だし、世代や食文化ギャップといったあたりもお互いのストレスになるからという、A子さん側の配慮だ。

共働きの夫は、保育園や学童の送り迎えにはかなり慣れてはいるが、配偶者の実家との協力体制は決して阿吽の呼吸というわけにはいかない。自分の実家ではないという遠慮もあり、また、できあがった「サービス」として子育てやケアを心得ている保育園や学童のスタッフとは違って、日々の説明指示をかなり詳細にせねばならないのをきらい、「この時期、家事は俺が多めに担当するから、実家との行き来はA子がやってくれないか」と言ってきた。

疲労した祖母がもらした言葉

言い争うのも面倒だし、期間限定だから仕方ないか、とA子さんは受け入れたものの、すると今度は長引くウイルス騒ぎへの緊張感もあって疲労の色が濃くなってきた祖母が、ポツリと言った。「こんなこと(コロナウイルス騒ぎ)になってもまだ母親が働かなきゃならないなんて、いやな世の中になったものよねぇ」。「それは言ってやるなよ、時代が変わったんだからさ」と祖父がたしなめるが、それを聞かされた働く母親であるA子さんには、全くなぐさめにならない。

ああ、またか。長年の両親とのやり取りですっかり解決したとばかり思っていた「小さな子どもを預けてまで働かなきゃならないの?」が、ここにきて噴き出すのだ。人間は、ストレスに弱い生き物だ。

2020年になってもまだ、この状況なのか……

A子さん夫婦間でも、お互いの疲労から些細な意見の違いでムッとし合うことが増えた。

「A子、外国語学習アプリだとかオンライン学習サービスとか動画配信サービスとか、子どもたちやお義父さんお義母さんのためと言っていろいろ新しく契約するけどさ、そんなに子どもにスクリーンタイム(タブレットやテレビなどのモニターを眺める時間)を増やして大丈夫なの? これまでのウチの方針は何だったんだよ?」

「そうは言ったって、ウチの親に保育園並みのナチュラルな保育で子どもと向き合ってくれなんて無理に決まっているじゃない。今はどこの家も配信サービスやタブレット頼みで、子どもをデジタル漬けにしているわよ。保育園や学校に行けない、プロの保育や教育を受けられないって、そういうことでしょう」

「期間限定だから許すけど、長引いたら考え直す必要があるぞ」

「わかってるわよ、だけどそもそも何なの? その『許す』って上から目線! あなたも父親として、こういう危機に一緒に考える立場じゃないの?」

保育園とは、学校とは、かくも子どもを健やかに預かり育ててくれる「母親の生命線」だったのだ。

「2020年になってもまだ、日本の子育ては母親の方が負担は大きいままです」。

そう実感したA子さんは、2週目後半からは子どもたちを保育園と民間学童へ戻すことにした。

日本の女性活躍を阻む見えない圧力

A子さんの話を聞くと、小さい子どもを育てながら「社会のイレギュラーな事態」に遭遇することの大変さを痛感させられる。そこで家族や関係者全員に平等に降りかかるストレスの調整役となり、精神的にも肉体的にも結局いちばん疲労困憊するのが母親であり続けている現状への不満も、とても理解できる。

忘れてはならないが、今回の全国一斉休校は特別支援校も対象だ。停止したのは「教育」だけではなく、「療育」も停止したのだ。在宅で過ごすことを余儀なくされた、障害を持つ子どもたちに状況を説明しながら自宅で療育を行うこととなった親の不安、負担感たるやいかほどだろう。

先述のA子さんの母親が、ストレス環境でふと本音を漏らしたように、こういった緊急事態に直面したとき「世間の視線」から母親の行動へかかる制限と、父親の行動にかかる制限に差がある点を見逃してはいけない。さまざまな「自粛」の圧力が、「母親のくせに」「母親なんだから」と男性よりも女性へとより強めにかかり、閉じ込めよう、押さえ込もうとしている場面はないだろうか?

社会の本音は、社会が弱った時に姿を現す。2020年になってなお立ち現れる「女に向けた本音」こそが、日本の女性活躍の課題なのである。