女の幸せは結婚だと思われていた時代に
——子供の頃に見たテレビアニメや、過去に何度か製作された実写映画をとおして四姉妹の人生をつづる『若草物語』の内容は知っているつもりでした。しかし最近、気鋭の女性監督グレタ・ガーウィグが再度映画化した「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」を見て、「女性の仕事」「結婚と経済」という現代女性が抱えるテーマに正面から斬り込む内容に、「こういうお話だったのか」と新鮮な驚きを覚えたところです。この物語の第1作目が書かれたのは明治元年(1868年)ですが、今読んでも全く違和感がありません。
【谷口由美子さん(以下、谷口)】19世紀の終わりと言えば、「女の幸せはとにかく結婚である」と当たり前に思われていた時代です。次女のジョーはそれに反発しているんですよね。結婚はゴールの1つではあるけれど、もしそれが「女性の唯一のゴール」だとしたら、ウエディングベルが鳴ったあと、何もすることがないなんてバカみたい。当時は誰もそんなことを考えなかったのですが、『若草物語』を読むと、ジョーはそう考えていたことがよく分かります。
結婚したあと、死ぬまで何もしないの?
——当時としては、かなり革新的な小説だったのですね。
【谷口】「結婚できなければ娘の人生は終わり」だと多くの母親が思っていた時代です。『若草物語』の四姉妹の母親も、娘たちが幸せな結婚をすればいいと思っている。だけど、「意にそわない結婚をするくらいなら、独身でもいい」とはっきり娘に言うんですよ。19世紀の女性としては、とても新しい考えです。
話は少し飛びますが、「大草原の小さな家」シリーズで有名なローラ・インガルス・ワイルダーは19世紀後半に生まれた作家で、ルイザの少し後の人なので『若草物語』を読んでいました。ローラもエッセイの中で、「王子様と幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」で終わるシンデレラは、20代で結婚したあと、死ぬまで何もしないの? と書いている。ローラの娘も『若草物語』が大好きですし、ルイザはそういう風に、女流作家たちの前に道筋をつけていった人でもあるのですね。
父親から大きい影響を受ける
——ルイザも『若草物語』と同じ四人姉妹で、自身の家族が小説のモデルになっています。中でも、作家志望の次女ジョーはルイザの分身のような存在。ジョー、すなわちルイザの考え方は父親から大きな影響を受けているそうですね。
【谷口】『若草物語』の原題は「Little Women」ですが、ルイザの父ブロンソン・オルコットは姉妹4人をそれぞれ「ウーマン」として尊重していました。かわいい「ガールズ」ではないのよね。あの時代の父親で、娘のことを自分の意思と個性をしっかり持った人間だと言った人はそうそういません。ブロンソンは教育者でしたが、小説では父親の設定を牧師に変えています。
——それはなぜなのでしょうか? 教育者であり、超絶主義者、徹底的な菜食主義者としても有名な方ですよね?
【谷口】かなり急進的な考えの人だったので、物語には書けなかったんですよ。理想が高く、良いことを言っているのですが、霞を食って生きているような人だったので、みんなついていけない。だから『若草物語』では牧師という職業にして南北戦争に行ってもらい、ほとんど登場しない(笑)。だけど、よくお手紙を書いてくるなど、一家の精神的な支えとして描かれています。
ルイザは幼い頃から、そんな父親に「自分のことは自分で決めて、個性を生かせる女性になりなさい」と言われて育ったので、そうあることが当たり前だと思っていたのね。それがジョーの考え方にも反映されていて、「決められた女の生き方」に反発していくのです。
ルイザが独身主義を貫いた理由
——ルイザ自身は生涯独身を通しますが、ジョーは物語序盤で「オールドミスのままでいればいい」と言っていたのに、やがてベア先生を受け入れます。映画の中でも、出版社の編集者が「小説のラストは必ず結婚してハッピーエンドに」と要求するシーンが印象的です。
【谷口】『若草物語』第1巻の反響がとても大きく、ジョーと隣の屋敷に住む少年ローリーのその後について、「2人はどうなるの?」という、2人の結婚を望む声がとても多く寄せられたんです。でもルイザは、2人は絶対に結婚させないと思っていた。「対等な男女の友達」であり得ると考えていたのですね。
——小説で結局ジョーは、かなり年上の教師・ベア先生と結婚しますね。
【谷口】伝記的小説とはいえ、そのあたりはやはりフィクションなのですが、ルイザ自身も年上で尊敬できる男性が好きだったのかもしれません。最終的には独身を貫きますが、ヨーロッパ旅行中に出会った青年との関係など、ロマンスやプロポーズされた経験がなかったわけではないのです。ただ、独身主義が一番自分に合っていたので、それを選択しただけなのだと思います。
与えられるより与えることが幸せだった
——映画の中で印象深かったのは、「結婚だけが幸せではないけれど、でもすごく寂しい」とジョーが泣く場面。結婚願望はないけれど、1人で自分のためだけに生きて行くことに限界を感じている人の心に刺さると思います。ルイザ自身もそのように考えていたのでしょうか?
【谷口】そう思っていたのだと思います。それは寂しいですよ! でも、結婚しても寂しい人はいますけどね。
ジョーはベア先生と一緒に自分たちの学校を開き、たくさんの子供たちを受け入れます。そういう風に若い人を育てるということはすごく楽しい。ルイザ自身も1人で稼いで家族を養ったり、後に妹メイが産んだ娘を引き取ったりと、必ず誰かに何かを「与える人」でした。人から与えられるより、与えることが彼女にとって大きな幸せだったのではないでしょうか。
1つの生き方を誰にも強要しない物語
——家族の形や関係性が一通りでないところも、『若草物語』を今読んでも十分に共感できるポイントだと思いました。
【谷口】150年以上も前に書かれた小説なのに相変わらず瑞々しいのは、使い古された言葉ですけどルイザの「筆力」だと思います。くだらない話は後世に残りません。それを私は勝手に「古典力」と呼んでいるのですが、古典には時代を超えて普遍的なことをさまざまな人の心に訴えかける力があります。日本でも『源氏物語』などはずっと読み継がれていますよね。1回花開いてポッと消える作品には「古典力」がない。
——そんな古典だからこそ、『若草物語』は過去に何度も映画化されていますが、最新の作品は特に「女性の仕事」「結婚と経済」というまるで現代の女性誌のテーマのようなポイントにフォーカスしていた点が新鮮でした。翻訳家として原作を熟知している谷口さんは、どんな印象を持ちましたか?
【谷口】ジョーが“オールドミス”でいるべきかどうか悩むところなどに、この監督は原作の中の台詞をどんどん使い、ルイザの日記からも言葉を採用しています。ジョーが原作者のルイザであるということを最初から頭に入れて作られた映画だということが見ていてよく分かりました。それはこれまでの映画化と違うところですよね。女性である監督自身もジョーに乗りうつったようで、ジョーの女性としての悩みや自立にかなり焦点を絞っています。
——社会的な地位や制度的な面で女性を取り巻く環境は改善されていますが、女性が求めているのは今も当時も変わらないということでしょうか。
【谷口】いつの時代でも、人には自分の気持ちを大切にしてくれる人がそばに必要だと思うし、反対に生き方を人に決められるのはイヤですよね。それは今も昔も絶対に同じだと思います。女には“こうあるべき”という枠があって、「大きくなったらこうなりなさい」と押し付けられるのは誰だってイヤ。
『若草物語』は四姉妹それぞれが個性的なのですが、1つの生き方を誰にも強要していません。「個性と意思を尊重する」人物の描き方が、今でもフレッシュな感覚で読み継がれている理由ではないでしょうか。