ファイナンシャル・プランナーの花輪陽子です。年末年始は日本で過ごしましたが、食べ物や娯楽など日本の方が圧倒的によいところも多いものの、満員電車のストレスは大きいと感じました。日本では、「席を譲る譲らない論争」が繰り返されていますが、シンガポールではどうなのかをお伝えしたいと思います。
※写真はイメージです(写真=iStock.com/kohei_hara)

アジアの多くの国は“助け合い”に慣れている

まず、国土が狭く人口が少ないシンガポールでは通勤ラッシュが日本とは比べ物にならないくらい軽く、乗車時間も短いです。また、時間厳守が日本ほどは徹底してないために(15分以内だと許容範囲)、電車を一つ待つ人が多いです。日本から帰って来てすぐにシンガポールの通勤時間の電車に乗りましたが、ビジネスマンなどは席に座ろうともしないというのに驚きました。席に座っているのは、体が不自由な方、高齢者、子供、女性などが目に付きます。男女平等と言われているのに女性が座るのはおかしいと思う人もいるかもしれませんが、妊娠している方もいますし、生理痛などホルモンに影響を受けやすいということもあります。海外ではより体力のない人に席を譲る精神なのです。気がついて譲るスピードもものすごく早いので驚かされます。

もちろん、日本の電車の中は戦場のように過酷で通勤時間も長いので、余裕の度合いには大きな差があることも否めません。しかし、シンガポールをはじめとしたアジアの多くの国では幼稚園の時から困っている人にすぐに手を差し伸べるという習慣がたたき込まれています。例えば、大きい荷物があったら、みんなで助け合う、一人でトイレに行くのが怖い場合は同級生が一緒に行くなど。ボーイスカウトやガールスカウトなどの活動に参加をする人も多く、皆で声をかけて助け合うことに慣れています。

シンガポールでは痴漢をしたら実名顔写真で公開も

また、日本では度々電車の中の痴漢問題を耳にしますが、シンガポールで痴漢などをしたら大変です。日本語で検索をしても過去の事件がいくつか出てきて実名顔写真付きで公開されています。そのため、混雑をしている電車を避けたり、男性は両手を上にあげるなどをして疑われないように工夫をしているようです。見えないようにしようと思っても、監視カメラも至る所についているためにすぐに捕まえられてしまいます。痴漢以外にも泥酔をして暴力を振るうなども禁固刑や罰金の対象になることもあります。このような重い罰もあるために女性専用車両などをつくる必要もなく、酔っ払いに絡まれることもなく、治安が維持されているのです。

そもそも、日本人は席を譲りたくても他人に気軽に話しかけることすらできないという人も多いかもしれません。「高齢者だと思われてショックを受けるのでは」「妊婦ではなかったら失礼では」という憶測をする人もいるようです。ですが、シンガポールは見知らぬ人でも立ち話をしますし、とりあえず可能性があれば譲っておこうという感じのようです。妊婦じゃないのに、お腹がいっぱいでさすっていたら、海外で席を譲られたという話も聞いたことがあります。私もシンガポールで同じような形で2回ほど勘違いしてしまい、「本当にごめんなさい」と言いましたが、相手はあまり気にしていなかったようです。

子供にはマナーを強制せず、母親だけに育児を強制しない

また、公共の交通機関やタクシーの中での飲食も禁止のため、電車の中で飲食をしている人もいません。では、子供をあやすためのお菓子なども利用できないのかと思うかもしれません。しかし、中華圏は子供に対して非常に寛容です。子供が泣いていると、周りの人が全力であやしたりします。日本では子供の声がうるさいとよく言われることがあるようですが、中華圏では少子化ということもあって子供は社会の宝だという考えが浸透しているようです。シンガポール人は外国人の子供に対しても非常に優しいです。5年も住んでいると、顔見知りのお店などでは親戚のようにかわいがってもらえるのです。

母親だけに子供の面倒を見ることを強制する文化もありません。日本では子供が泣くと、泣かせている母親が厳しい目で見られる場合が多いです。しかし、シンガポールでは子供が泣くのは当たり前という考え方があり、優しい目で見守ってくれる人が多いですし、あやすのを手伝ってくれる人もいます。

日本と、同じように経済発展したシンガポールとの違いはどこから来るのでしょうか。アレクサンドラ・トルスタヤ著『お伽の国——日本 海を渡ったトルストイの娘』(群像社)では、トルストイの娘が1931年にアメリカ合衆国に亡命する前に2年間過ごした日本についての記録を読むことができますが、その中で当時の日本人の母親について描かれたシーンがあります。

おかあさん――母親――それは日本の家庭では常に目立ってはならぬ存在である。

お母さんは淑やかで奥床しく、静かな立居振舞で、誰に対しても声を上げたり怒ったりせず、対立的な立場は一切とらぬ。夫婦で買い物をすることがあれば、品物を店員から受け取るのはお母さんで、温和しくそれを抱えて家路につく。

道すがら、あなた方のすぐ傍を、片手に大きな包みを抱え、もう一方で幼児の手を引き、背中には赤ん坊を負ぶった婦人達が、間断なく行き交うことだろう。そうして同時にその前を、煙草をくゆらせながら、手ぶらで平然と行く、君主のような男を見掛けることだろう。

電車に乗ると、十~十二歳くらいの少年にいそいそと世話を焼き、空席に座らせて、自らは赤児を背負った下駄履きで、バランスを取りながら通路に立ち、吊り革にぶら下がっている婦人に出会う。

お母さんは普通『自分の為の人生を』などと言われても理解すらできず、ひたすら『旦那さん』に尽くして、子供達の世話をして、一生を終えるものなのである。

「100年前の母親像」を要求する日本の社会

約100年前に外国人のフィルターを通して描かれた典型的な日本人の母親の姿と、外国に出ている私が、現代の日本の電車の中で見かける母親の姿はそれほど大きくずれているものではありません。おんぶひもがベビーカーに変わっているくらいではないでしょうか。海外ではベビーカーのままバスや電車に乗り込む母親に対して誰かが手を差し伸べるのが当たり前です。また、父親、祖父母、ヘルパーなどに育児や家事を分散させます。そうすることによって母親は自分の人生を取りもどすことができるのです。

世界経済フォーラム(WEF)の「グローバル・ジェンダー・ギャップ指数」2019年版によると、日本は調査対象となった世界153カ国のうち、121位(2018年は110位)とG7のなかで最低でした。政府は社会のあらゆる分野において、2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%程度とする目標を掲げていましたが、実際2020年になっても現実は遠く目標に及んでいません。それは、日本という社会全体が、今でも母親に対してトルストイの娘が驚きをもって見た100年前の母親像を要求しながら、同時に指導的地位に就くことを求めようとするからではないでしょうか。

日本が抱えている、少子化や女性の社会進出が進まない問題を少しでも解消させるためにも、まずは電車の中で子連れの母親(父親)や体が不自由な人に対して暖かい目で見守り、必要な際には手を差し伸べてあげてほしいと願います。外国人旅行客が増えたためか、大都市ではずいぶん電車の中のマナーが改善されたとも感じます。今後も日本により多くの外国人に訪れてもらい、より多くの日本人が海外に出て、世界の常識を目の当たりにすることが重要なのではないでしょうか。