※本稿は橘玲『2億円と専業主婦』(マガジンハウス)の一部を再編集したものです。
学歴別の男女の生涯賃金はいくらになる?
これからの話の前提として、日本という国で働くことで一生のあいだにどれほどの収入が得られるかを確認しておきましょう。データは、厚生労働省所管の調査機関、独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILPT)から刊行された『ユースフル労働統計2018』で、「賃金構造基本統計調査」にもとづいた、日本人の生涯賃金についてもっとも信頼性の高いデータです。これは、「女がそんなに稼げるわけがない」という「炎上」への回答にもなります。
ここでの生涯賃金は、「学校を卒業してただちに就職し、その後、60歳で退職するまでフルタイムの正社員を続けた場合」の総額で、退職金は含まれていません。その金額を示したのが下の図です(図表1)。
生涯賃金は学歴別に算出されていて、「大学・大学院卒」の場合、男性は2億6980万円、女性は2億1590万円です。専業主婦になる(働かない)という選択はこの賃金を「捨てる」ことですから、「専業主婦は2億円損をする」のです。
生涯賃金は学歴によって異なりますが、女性の場合、「高専・短大卒」で1億7630万円、「高校卒」で1億4830万円、「中学卒」で1億3970万円で、すべての専業主婦が「1億円以上損をする」ことになります。「学歴が低いから働いても仕方ない」などということはありません。
これからの時代、本当は3億円損をする
生涯賃金は働いている会社の規模によっても異なります。それを示したのが図表2で、参考のために男性正社員も加えてあります(図表3)。従業員数99人以下を「小企業」、999人以下を「中企業」、1000人以上を「大企業」とするならば、大企業で働く「大学・大学院卒」の女性の生涯賃金は2億4840万円で、全女性の平均より3250万円多くなります。同様に、大企業の「高専・短大卒」は2億840万円(プラス3210万円)、「高校卒」は1億7800万円(プラス2970万円)、「中学卒」は1億5520万円(プラス1550万円)が生涯賃金です。
ここからわかるように、「世界第3位の経済大国」である日本で働くことは、「ゆたかさ」を実現するもっとも確実でシンプルな方法なのです。
大企業で働く大卒女性の生涯賃金は約2億5000万円ですが、ここには退職金が含まれていません。最近では定年後も再雇用で65歳まで働くことがふつうになりましたが、それも計算に入っていません。これも加えると、専業主婦を選択することで失う富は3億円ちかくになるでしょう。
『ユースフル労働統計2018』では、男性の正社員にかぎって、退職金と再雇用を含めた「生涯総賃金」を試算しています。それによると、大卒男性は65歳まで(定年後は再雇用で)働いた場合3億2920万円、大企業なら3億7950万円の賃金を生涯に得ることになります(図表4)。こうしたデータから、これまで私は「サラリーマンの生涯賃金は3~4億円」として人生設計を論じてきました。
2年前に『専業主婦は2億円損をする』というタイトルを示されたとき、じつはすくなからぬ抵抗がありました。「男なら3億円稼げるけど、女はどんなに頑張ってもせいぜい2億円」といっているように思われるのではないかと危惧したのです。そこで、「これからは日本も男女平等の社会になるのだから、『専業主婦は3億円損をする』でいいじゃないですか」と提案したのですが、編集者の広瀬さんから「それはいくらなんでも多すぎる」と反対され、しぶしぶ「2億円」で妥協しました。
1億円減らしたのにまだ怒られるのか
それにもかかわらず、本が出たあとに「女がそんなに稼げるわけがない」との批判が殺到したことにはほんとうに驚きました。「1億円減らしたのにまだ怒られるのか」というのが、そのときの正直な気持ちでした。
これは、日本のようなゆたかな国で働くことが生み出す富について、正しく理解しているひとがいかに少ないかを示しています。誤解のないようにいっておくと、専業主婦を選択した女性の無知を批判しているわけではありません。妻を専業主婦にしている夫も、「2億円の損」に無自覚であることは同じなのですから。
仕事を辞めようと考えている女性や、子どもができたら妻に仕事を辞めてもらいたいと思っている男性は、その選択によってどれほどのゆたかさを放棄することになるのか、納得のいくまで二人で話し合うべきでしょう。
子育てが一段落して働いても1億4000万円の損
『専業主婦は2億円損をする』へのより説得力のある批判としては、「子育てが一段落してから働く主婦が増えているのだから、専業主婦の生涯賃金をゼロで計算するのはおかしい」があります。これはたしかにそのとおりですが、子育て後に働くことでいったいどれだけ「損」が減るのでしょうか。
ニッセイ基礎研究所(久我尚子主任研究員)の試算では、大卒女性が2度の出産を経て正社員として働き続けるとして、育休や時短を利用しても生涯所得は2億円を超えますが、第1子出産後に退職し、第2子の子育てが落ち着いてからパートで再就職した場合の生涯所得は6000万円にとどまります(日経新聞2018年2月23日朝刊)。
ゼロ(働かない)と6000万円(パートで働く)ではもちろん大きなちがいですが、だからといって1億4000万円もの「損」を「仕方ない」と受け入れるひとがどれだけいるでしょうか。日本の会社では正社員と非正規は「身分」のちがいなので、同じように働いたとしても理不尽なまでの収入格差が生じるのです。
M字カーブは解消されつつある
もちろんこんなことは、当の女性がいちばんよくわかっています。
2019年6月の労働力調査によると、女性の就業者数がはじめて3000万人を突破し、就業者全体の44.5%を占めました。日本の雇用状況の特徴は、出産や育児などで女性がいったん仕事を辞め、30代を中心に就業率が下がる「M字カーブ」だとされてきましたが、35~39歳の就業率は76.7%と20年前と比べて15.2%も上がっています(日経新聞2019年7月30日朝刊)。
欧米先進国では女性の就業者の割合は40%台後半、30代女性の就業率は80%前後とされますから、日本でも女性の働き方が急速に「グローバルスタンダード」に近づいていることがわかります。
働く女性は、今では出産で「非正規に落ちる」ことによって1億円以上も損をすることに気づいているのです。
イクメンはものすごく有利な「投資」
M字カーブが急速に解消されつつあるとしても、いまだに女性の雇用者のうちパートなど非正規の割合は55%を占め、男性の2倍になります。主婦の再就職先は「4C」──ケアリング(caring/介護職など)、クリーニング(cleaning/清掃)、クッキング(cooking/飲食業)、キャッシャー(cashier/レジ係)がほとんどです。
女性管理職の比率も、日本は2016年時点で12.9%と、アメリカの43.8%、フランスの32.9%と比べてきわだって低く、上場企業3490社のうち女性役員のいない会社は60%を超えています(日経新聞2019年7月30日朝刊)。
その一方で、「働き方改革」で同一労働同一賃金の原則が徹底されるようになったことで、たとえ非正規でも正社員と同じ仕事をしていれば待遇で差をつけることは違法になりました。女性が活躍できない会社は有能な人材を使い捨てているのですから、早晩、市場から淘汰され消えていくはずです。「欧米から20~30年遅れている」といわれた日本も、こうして「ふつうの国」になっていくのでしょう。
妻が働き続ければ夫は残業を断れる
ここで大事なポイントは、妻が正社員として働きつづけて2億円の生涯賃金を獲得できるなら、夫は残業を断ったり、より働き方の融通がきく部署に異動するか転職したりして収入が減っても、じゅうぶん元が取れるということです。
「専業主婦モデル」というのは、結婚した女性が強制的に会社を辞めさせられた時代の名残です。経済合理的に考えるならば、どのようなケースでも、夫は家事・育児に協力して(イクメンになって)妻が正社員の仕事をつづけられるようにした方が圧倒的に有利であることは明らかです。
「日本は外国とはちがう」という意見のひともいるかもしれませんが、これは歴史や文化の話ではありません。「だれも1億円や2億円も損したくない」という単純な理由から、先進国ではどこも共働きが当たり前になっているのです。
もっとも、「自分が2億円余分に稼ぐから、妻には専業主婦でいてほしい」というのなら、もちろん本人の自由ですが。