「女子アナの賞味期限は30歳」――。定年まで働き続けるつもりで入社した職場でダイレクトにそう言われた元局アナの宮田さん。20代後半になり、自分の仕事が後輩に引き継がれていくなか、それでも這い上がっていきたいのか、それともプライベートにシフトするのか選択を迫られる。そんな彼女が、「仕事もプライベートもどっちつかずで中途半端」という状況に身を置いたことで初めて見えてきたこととは――?
※写真はイメージです(写真=iStock.com/BrAt_PiKaChU)

働く女性の大変さを凝縮した仕事

ここ最近、女子アナに関するニュースが多数報じられています。誰もが知るアナウンサーの退職や転職など、目にした人も多いのではないでしょうか。

私自身も新卒で札幌テレビにアナウンサーとして入社して10年以上、女子アナと呼ばれる立場でした。現在は30代も半ばを過ぎて母にもなりました。東京でフリーのキャスターとして活動しています。当時の経験を多少は振り返る事が出来る年齢になったと思います。

女子アナという職業は外からは華やかに見えるかもしれません。ただ、その一方で働く女性の大変さを凝縮したような、そして「女性」であることを過剰に求められる、そんな仕事でもあります。

新人時代の忘れられないひと言

「女子アナは30歳までが賞味期限。使われるのは若いうちだけ」

入社してすぐのころに、制作現場で先輩から言われて面食らった言葉です。地元の安定した企業に入りたい、まずは狭き門と言われる職業から挑戦してみよう……。そんな動機で、覚悟も無いままアナウンサーを志した私は、明らかに業界の研究が足りない状態でした。

実際、入社して半年で様々な番組を任せてもらえることに。当時はまだリーマンショック前でテレビ業界の景気が良かったこともあり、2つの新番組のメイン司会に加えて帯番組のお天気コーナーの担当、ラジオのDJなど様々な番組に出演しました。

それからは慣れない仕事をなんとかこなす多忙な日々が続きます。現在のようにワークライフバランスといった発想はなく、早朝の番組が終わったら夜まで番組の収録、そこから深夜まで翌日のイベントのリハーサル。そして翌日も早朝番組に出演し、夜まで番組収録……これが日常です。目の前の仕事をこなすだけで精一杯。スキルや専門性が積みあがっていくような成長ややりがいを感じる暇もありません。忙しさに反比例するような自分の中身の無さに、これで良いんだろうか? と虚しさを感じることもありました。

女子アナはタレントか職人か?

そんな中で私が励みにしていたのは、新人研修時から常々言われていた「私たちはタレントではない」という先輩の言葉です。限られた時間の中でどれだけ感性を研ぎ澄ませた言葉で勝負できるか。それを極める職人の仕事。そしてそれは経験に比例して得られるスキルです。地元の会社に就職し、定年まで勤めあげたいと願っていた私には希望を感じる言葉でした。

しかし、制作現場に色濃く残る30歳定年説の空気との間で葛藤をしていました。どこの局でも女性が担うのはアシスタント業務がほとんどで、一定の年齢になると他部署に異動するのが通例です。そのため、キャリアの積み重ねが必要な「職人」を目指すことは難しく、当初の思いとはうらはらに自分は賞味期限のあるタレントだと自覚する必要があったのです。

20代後半で迫られる究極の選択

「タレントとしての自覚」なんて書いてしまうと勘違いしていると言われそうですが、これはそのように見られている、という意味です。

女子アナが結婚や恋愛など本業とは関係の無い部分で注目を集めてニュースで取り上げられると、アナウンサーはタレントじゃない、勘違いするな、といった反応が多数あります。ただ、それを最も強く自覚しているのは女子アナ自身です。それでもそうは言っていられない働き方を強いられるのが女子アナという職業です。他局の女子アナを見ても、期待に応えようと必死で頑張っているだけなのに「勘違いしている」と批判されてしまう人もいます。

こんな状況ですから、当時は「まだ20代で未熟な私が結婚なんてしたら降ろされる」と思い込んでいました。そう思い込んでしまうほど仕事最優先の環境にいたということです。

20代も後半になると新人特需も消え、仕事の多くが徐々に後輩へ引き継がれていきます。それでもこの仕事を続けたいのか、這い上がりたいと思えるか、それが試される時期を迎えます。その選択は結婚を諦めてでも仕事を極めたいのか? という究極の選択でもあります。

その二択なら私は母になる夢はあきらめたくないと考えました。

「女の仕事=家庭に専念」という男性の偏見

友人のおかげで結果的に素敵な男性と会う機会もありました。ただ、そこで耐えられなかったことが、相手によって表現は違えど「俺が仕事に集中できるように家庭を守ってほしい」という共通した希望と期待です。

私が結婚して叶えたいことはそういうことなんだろうか? 適性があるのかもよく分からないまま続けてきた仕事でも、結婚して誰かを支える道を選んでしまえば、今までの頑張りがすべて失われてしまう……。仕事からプライベートへ舵を切ろうと考えたものの、リアルにその状況が眼前に迫ってくると強烈な違和感を覚えることになり、途方に暮れてしまうのでした。

結局そんな状況で積極的にパートナーを探そうと思えるはずもなく、フェードアウトするようにプライベートも停滞していきます。仕事もプライベートもどっち付かずで何ひとつ上手く行かない……。

絶不調の中で見えてきたこと

けれどもそんな風に気持ちがふさいだ日々の中で、見えてきたことがありました。プライベートで覚えた強烈な違和感は、まだ仕事でやり残したことがあるのかもしれないという反動につながっていったのです。

そして東日本大震災を経験し仕事への意識が180度変わります。発声練習の一からの見直し、ニュースの勉強を徹底的にやりました。そしてダイエットと筋トレで体を鍛えて絞り込んだのです。不規則な生活も改善し、結果的に8キロも痩せました。そうした先に記者職への転身。ある意味私らしく「職人」としてキャリアを積む道が開けました。

職場での長時間労働や年齢差別、男性の旧態依然とした性別役割分業意識……。あれから10年たった今も、こうした慣習は大きな改善を見せず、女子アナに限らず多くの職業で女性は多かれ少なかれ葛藤を感じながら働いています。

キャリアとプライベートの間でさまようどっち付かずでふがいない自分。家事も育児も仕事も中途半端でもがく自分。男性であればこんな思いをしなくてすむのに……そう考えてしまうこともしばしば。

こうした社会を変えていくことはもちろん大事です。

それと同時に、今、10年前の私のように、どっち付かずの思いをしている女性がいたら一言お伝えしたいのです。どうぞその思いをしている状況にどっぷりと浸かってみてくださいと。とても苦しいことです。でも、だからこそ見つかる答えがある。違和感に蓋をせず、誰かが作った空気ではなく、徹底的に自分に問うた答え。そうして導き出されたキャリアへの強い意志は、次の困難に当たった時にも自分を支えてくれる力になるでしょう。きっと女性にしか持てない強さであると今の私には思えます。