人生100年時代、長く働き続けることの大切さはわかっていても、できることなら定年後はリタイアしたいと考える人は多いのではないでしょうか。中には長生きすることに悲観的になっている人もいるかもしれません。そこで、長く働くことの効用について、家計コンサルタントの八ツ井慶子さんと一緒に考えます。
※写真はイメージです(写真=iStock.com/kohei_hara)

長く働くのが嫌という人たちへ

こんにちは、家計コンサルタントの八ツ井慶子です。

こちらのコラムでは「人生100年時代」を軸として、いろいろなテーマから「新・家計」を考えています。今回は、「長く働く」ことについて考えてみたいと思います。

「人生100年時代」ともなれば(以前にこちらのコラムでもお話しさせていただいた通り)、多くの方が「長く働く」ことを選択する時代になるであろうと思います。実際、過渡期であるいま、定年の年齢を過ぎても働く人、あるいは働きたいと考えている人は増えています。

ですが、現時点においては、働くのは生活のためであって、本当はリタイアしたいというネガティブな就労を余儀なくされているケースも少なくないでしょう。あるいは、働くこととはそういうものと考える人も多いのではないかと思います。

もしそう考えるとしたら、人生100年時代なんて迎えたくないと思うでしょうし、長生きすらしたくないと、もっとも悲観的な考えにすら陥るかもしれません。

そうならないよう、誰もが安心して長生きできる社会の構築は、急務だと思うのです。

そしてそれには、まずは私たち一人ひとりが人生100年時代にきちんと向き合うことが大切なのではないかと思います。

もしいま「長く働く」のが「イヤだな」と思っていたしても、「あ、悪くないな」に変わることができたら、次のステップとして「では、多くの人が長く働ける社会はどうつくっていったらいいのだろうか」と、少しでも気持ちが前に進めるのではないでしょうか。

というわけで、前置きが長くなりましたが、今回はその一助になったらいいなという思いを込めて、「長く働く」ことを前向きに考えてみたいと思います。

リタイア後の自由時間は10万時間

ここでは「働く」ことを3つの視点から考えてみます。

1.時間
2.心理的欲求
3.幸福度
1.時間

現役の就労時間と、リタイア後の自由時間を簡単な計算で比較してみようと思います。

かりに、大学卒業の22歳から65歳まで正規社員で働くとしましょう。1日の労働時間を8時間、月の就労日数を22日としてみます。残業時間は考慮しない代わりに、年間のお休みも考慮せず、ごくシンプルに計算してみたいと思います。

8時間×22日×12カ月×(65歳-22歳)=90816時間

一方で、リタイア後の自由時間ですが、1日の半分を“自由時間”と仮定し、65歳から90歳までの“自由時間”を計算してみます。

12時間×365日×(90歳-65歳)=109500時間

いかがでしょうか。リタイア後は、時間がたっぷりあります。長生きするほど“自由時間”は増え、現役時代の就労時間を超える可能性も高まります。これだけ時間があれば、ボーッと生きているわけにいかないでしょうから、働く時間をつくるのは、むしろ心身ともに健康的でいいのではないでしょうか。

2.心理的欲求

米国の心理学者マズローが提唱しているものに、「欲求5段階説」があります(図表1)。

マズローは底辺にある欲求から満たされると、より高次の欲求を満たそうとするのが人間であり、人は自己実現に向かって成長し続けるとしました。

図表1にもあるように、第一に私たち人間は「生理的欲求」があります。まず、生きることです(ですから、長生きを否定することは、人としての最低限の欲求を否定しているようにも見え、個人的には人として生まれたことを否定しているようで、とても悲しくなります)。

その次に、身の安全です。単に生きるという生理的欲求が満たされると、飢えなどがない生活の安心、安定を求めます。現代日本では戦争もない平和な国ですから、底辺2つの欲求はほぼ同時に求められる環境かもしれません。その点においては、幸せな国に生まれたといえそうです。

そして、第3段階にあるのが「社会的欲求」と言われる集団から受け入れられたいという欲求です。「所属欲求」とも言われます。要は「居場所」で、人はどこかに所属し、自分の“居場所”を持っていたい動物なのだと思います。

“居場所”が家庭や友人の中にあるケースもあると思いますが、少なくとも働いていれば、どこかに所属していることとなり、人として自然と持つ社会的欲求を満たすことになります。
また、働き方次第では、第4段階の周りから認められたいという「承認欲求」、さらに第5段階の「自己実現欲求」に至っても、満たせることは十分にあるでしょう。

ただ単にお金のために働くのではなく、やりたいことややりがい、社会に貢献するという働き甲斐を追求した働き方を求めることで、収入を得ながら人生をより豊かにしていくことも目指せるのだと思います。

働くことは幸福度を上げる

3.幸福度

3つめに幸福度から「働く」ことを考えてみましょう。

幸福度を測るアンケートでは、さまざまな視点からの質問がなされるのですが、中でも「失業」に関して、興味深い調査結果があります。

定年退職を含めた「失業」状態では、幸福度は下がるというものです。

興味深いのは、かりに失業前と同等の金銭を受け取っていたとしても、失業後は幸福度が下がるということです。

日本では失業状態になり、一定の要件を満たせば雇用保険からの給付(基本手当)があります。もちろん基本手当は重要な社会保障ではありますが、幸福度の視点で考えると、給付に留まらず、就労支援までが非常に大事であることがみえてきます。

「働く」ことが幸福度を上げ得るのは、マズローの欲求5段階説を前提とすれば、人として当然に持つ欲求を満たすことになるので、ある意味自然なことなのかもしれません。

こうしてみてみると、「働く」こと自体、決してネガティブなことではないことがお分かりいただけるでしょうか。問題は「働き方」なのだと思います。

幸福度の高い働き方とは

幸福度調査では、こんな調査結果もあります。

自営の人は、会社員よりも「働く時間」は長くても、幸福度は高いというものです。自営の人は、自分でやりたいことを行なっていると前提を置くと、働くこと自体にやりがいを感じられ、幸福度につながっていると推測できます。

いま政府主導で「働き方改革」が行われていますが、単に生産性を上げるとか、働く時間を短くすることを目的とするのではなく、本当の意味での働き方改革は、いかに一人ひとりがやりがいを持って働くことを選択できるか、ではないかなと思います。

いずれにしても、人生100年時代が本格化するにつれ、多くの人が「働き方」を真剣に考え、その大きな流れの中で、「働き方」の概念が徐々に変化を迎えれば、これもまた「新・家計」の一面になることでしょう。

社会保障改革が不可欠

最後に、多くの人が「長く働く」ことを選択した場合、それに伴って社会保障の改革が必須である点について触れておきたいなと思います。

これまでお話ししてきた通り、単に働くのではなく、好きなことであったり、やりがいを感じられることでないと満足度に繋がりにくく、長く働くことは困難になってしまいます。いろんな人が、いろんな働き方によって収入を得られるようになれば、働き方が多様化します。

また、長く働くとしたら、従来のような大卒から定年まで継続的に“働き通し”ではなく、長期間のリフレッシュ(休憩)を挟んだり、時代の変化に応じて仕事に必要な知識を得るために大学や大学院などでのリカレント教育(学び直し)の時期を持ちながら、働いていくことも十分あり得るでしょう(著書『Life Shift』で提唱されており、私もそうだろうなと思います)。

前向きな“失業者”も存在する社会

想像してみるに、そういう社会が到来すれば、ある程度数の“失業者”が存在する状況が常態化します。将来に働くつもりはあっても、自ら進んで当面の“失業”を選択する状況は、いまの雇用保険では想定されていませんから、超長寿社会を前提とした安心して休める環境は未整備といえます。

また、働き方が多様化しても、いまの社会保障制度では正規か、非正規か、自営かで大きく差があり、この点においても広く公平な制度の整備は必要でしょう。

人生100年時代に「長く働く」ことが求められ、家計運営としても有効で、なおかつ人として豊かに生きるにもプラスに作用するにしても、残念ながらそれに相応する社会保障制度などのインフラが整っていないのが現状です。

人間の寿命は100歳がゴールではありません。“100歳までどうにか生きればいい”ではなく、寿命が100歳を超えても有効となるような超長寿に対応するまったく新しい諸制度の構築の検討が急務でしょう。