国内外で絶大な人気を集めるエリザベス女王。第二次世界大戦中、15歳で近衛歩兵第一連隊の名誉連隊長に任命されたときには、一般の兵士たちに混じって軍隊で働きました。この行動が国民を鼓舞し、勝利に貢献したことを、トランプ大統領も称えています。しかし、エリザベス女王のような偉大な王が今後も続くとは限りません。暗愚な王があらわれたとき国民はどうするか。民主主義における君主と国民の関係について考えます。
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「偉大な、偉大な女性だ」

2019年6月3日、トランプ・アメリカ大統領は国賓として、イギリスを訪れました。その夜、バッキンガム宮殿で、エリザベス女王主催の晩餐会が行われました。この晩餐会の挨拶のスピーチで、トランプ大統領はエリザベス女王(当時王女)が第二次世界大戦中に、自ら軍用車両の整備などの後方任務を担い、戦争の勝利に貢献したことを称えました。

エリザベス女王は1942年、15歳で近衛歩兵第一連隊の名誉連隊長となります。イギリスでは、女性王族に軍隊の名誉職が与えられる慣行があります。これは名誉職にすぎず、何かをする役職ではありません。

しかし、剛毅(ごうき)な性格のエリザベス女王は単なる「お飾り」であることを嫌い、大戦の総力戦において、自分も仕事をせねばならないという使命感に燃え、軍隊で実際に働きます。トランプ大統領がスピーチで讃えたような軍用車両の整備の仕事に従事し、大型自動車の免許を取得していた王女(当時)が自ら軍用トラックを運転し、物資の運搬を担いました。

また、軍隊の中で、自分を王族または王位継承者として特別扱いすることのないように周囲に伝えていました。エリザベス女王は、上官が自分を他の一般の兵士と同じ扱いをすることを歓迎しました。

戦時中、エリザベス女王のこうした行動はイギリス国民を大いに鼓舞しました。イギリスは自由と民主主義を掲げて、ファシズムと戦いました。一般兵士とわけ隔てなく軍隊で働く王女の姿は、そのようなイギリスの理念を体現するものとして、国民の共感を得たのです。

トランプ大統領は「その若き技師は未来の女王だった。偉大な、偉大な女性だ。アメリカとイギリスの絆は、この大いなる戦いで永久に固く結ばれた」と演説しました。

YOSHIKIさんのハプニング

2019年7月9日、エリザベス女王はケンブリッジの農業植物学国立研究所の開設100年を祝う植樹式に出席しました。この式では、研究所の職員が植樹をする予定でしたが、なんと女王が自らシャベルを手に取って、植樹をしました。職員が慌てて手を貸そうとしたところ、それを遮って、「木を植えるぐらいの力はあります」と答え、せっせと土を盛りました。今年で93歳になるエリザベス女王の変わらぬ御健康を皆が喜びました。

XJAPANのYOSHIKIさんのハプニングも、日本でも報道されましたので、ご存知の方も多いと思います。YOSHIKIさんは6月23日、イギリスで行われたポロ(馬に乗って行う団体球技)の試合に招待され、貴賓席で観戦しました。

試合終了後、エリザベス女王が退席されるのを一同が見送っていました。エリザベス女王がYOSHIKIさんの前を通ったとき、風が吹き、YOSHIKIさんのスカーフが女王の肩にあたってしまいました。YOSHIKIさんはエリザベス女王に詫び、その後、話をしたようで、そのときの様子を「陛下はとても優しかったです」と語っています。

王冠を賭けた恋

国内外で絶大な人気と支持を集めるエリザベス女王は、トランプ大統領も称えるように偉大な王です。しかし、今後、将来にわたって、エリザベス女王のような偉大な王が続くとは限りません。暗愚な王が現れたときに、国民はどうするのでしょうか。それまでの称賛とは打って変わって、非難を浴びせて、暗愚な王を追放するのでしょうか。

実際に、イギリスではこんなことがありました。エリザベス女王の祖父ジョージ5世が死去し、長子のエドワード8世(エリザベス女王の叔父)が1936年に即位します。しかし、エドワード8世は離婚経験のあるアメリカ人女性のウォリス・シンプソンとの結婚を望み、世論の反感を買います。ウォリスは人妻で、エドワード8世はウォリスの夫に離婚を迫り、暴行事件まで起こしています。

国民の国王に対する非難も日に日に強まり、メディアも連日、王室のスキャンダルを書き立てました。

当時のスタンリー・ボールドウィン首相はエドワード8世に「王制が危機にさらされている」と警告し、退位を迫りました。エドワード8世は王位を捨て、ウォリスとの結婚を選びました。エドワード8世の行動は「王冠を賭けた恋」と言われます。

エドワード8世は暗愚な王と認定されて、事実上、追放されました。イギリス国民は、将来また暗愚な王が現れれば、追放するのでしょうか。

君主にどう向き合うのか

民主主義の国家において、王といえども、国民の意向を無視することはできません。しかし、国民の意向に左右され過ぎるのも問題です。国民の支持を失った王はいつでも国民が追放することができるとなれば、王の存在意義が問われます。

国民の支持があるうちは良いのです。しかし、それがひと度失われたときに、民主主義国家において、君主が存在することの矛盾が一気に吹き出してきます。「王などいらない」という極論が国民世論として形成され、君主制が廃絶されたことが歴史上、度々、ありました。

民主主義において、政治も最終的には世論に屈します。世論に過剰に左右される君主制というものが健全な姿かどうかは、よく考えなければならないところです。

エドワード8世の弟でエリザベス女王の父であるジョージ6世が即位します。ジョージ6世は非常に内気な国王で、生まれつき吃音に悩まされ、人前でまともに話すことができませんでした。アカデミー賞を受賞した映画「英国王のスピーチ」(2010年)は、ジョージ6世と王の吃音を治療した言語療法士との友情を、史実を基に描いた作品です。

ジョージ6世は最終的に吃音を克服し、第2次世界大戦の「開戦スピーチ」で堂々の演説を行い、国民を驚かせ、鼓舞しました。「国民と共にありたい」と願うジョージ6世が起こした奇跡です。

君主も人間である限り、国民に愛され、支持を得たいという思いを抱きます。君主と国民の関係がうまくいっているとき、君主制は国家統合の象徴として、広く受け入れられますが、それが崩れたとき、国民の国家や君主制に対する思慮が問われることになります。民主主義において、君主を戴(いただ)くということは、極めて困難な矛盾多き政治課題を含んでおり、これは絶妙なバランスの上に成り立つもので、何かをきっかけにすぐに壊れてしまう脆弱なものでもあるのです。