電気の音、そして臭い。五感を総動員して地域のインフラを守る
オフィスビル、工場、病院などに「キュービクル」という設備がある。屋上や駐車場の隅にひっそりと置かれ、変電所から供給される6600Vの高電圧を受けている。こうした電気設備の保守・点検業務に携わっている荒木瞳さん。感電すれば命に関わる危険な職場だが、「電気って、無音ではないんですよ」と、彼女は目を輝かせて語る。
「とくに、電圧の高い場所ではいろんな音が聞こえます。たとえば、ブーンという音の中にジリジリジリといった異音が混ざっていたり、かすかに何かが焦げているような臭いがしたら、不具合があると判断します。だから、現場ではいつも五感を総動員しています」
関東電気保安協会で働き始めて約6年。いまは後輩を教える立場にあるが、「この仕事は、やっぱり経験がものをいうんだなぁ」と痛感させられるという。
たとえば、増築を繰り返した古いビルでは、ブレーカーにつながる配線がスパゲティのようにからみ合い、一目見ただけではトラブルの原因が特定できない。そんなとき、先輩の検査員(専門資格を有する電気技師)が「前にも、これと似た案件があった」と、瞬く間に解決してしまうことがある。そのたびに、「自分はまだまだだ」と身を引き締めるのだ。
同協会には検査員が2000人以上いるが、女性はわずか7人。テナントビルなどの施設では日中に電気を止められないため、定期点検は深夜から朝にかけて行う。そんな特殊な事情も女性が少ない一因だろう。
中学、高校のころは看護師にあこがれていたという荒木さん。医療用ロボットに興味を持ち、大学では電気工学を専攻したが、電気業界に入ったのは「たまたま」だったという。
きっかけは、2011年の東日本大震災だった。
「ちょうど就職活動の時期に、計画停電を経験したんです。当たり前のように使っていたエレベーターや地下鉄が一斉に止まって、社会のインフラを支える仕事って、こんなに大事だったのかと気づきました。でも、関東電気保安協会のことは知らなくて……」
新卒採用の合同説明会。学生と企業の担当者がひしめく会場で、荒木さんの視界に愛らしい黄色いものが飛び込んできた。
「安全エレちゃんというゾウのキャラクター。協会のマスコットなんです。私、ゾウが大好きなので、吸い込まれるように協会のブースに入っちゃって(笑)」
1年目は資格取得の勉強をしながら、先輩に付いて仕事を学んだ。「最初はわからないことだらけ。目の前の仕事をこなすので精いっぱいで、『今日は怒られずに作業できた』とホッとする毎日でした」
一歩踏み込んだ質問が突破口に
そんな彼女を変えたのは、4年目の異動だった。そこは「建設課」という部署で、電気設備の改修・保安・点検のほかに、補修工事や老朽化した電気設備の交換を提案するのが仕事だった。受注が決まれば工事計画を立案し、協力会社に依頼し、現場の監督業務もこなす。
「ビルのオーナーさんから『なんでこんなに高いの?』と値下げ交渉されるのはしょっちゅうで、うまく説明できず、事務所に戻って先輩にフォローしてもらったことも。工事現場では、職人気質な協力会社の方から『担当者、女性なの?』と言われてしまいました」
知識も技術もない自分が、どうすれば信頼してもらえるのか――。毎日そればかり考え、プレゼンの前夜、質疑応答のシミュレーションをしているうちに、朝になっていたこともあったという。
そんなとき、突破口になったのは、「一歩踏み込んだ質問」をすることだった。経験豊富な工事のベテランに異論をはさむのは難しい。だが、質問なら失礼にはならない。本や先輩社員から得た知識をもとに、「私はこういうふうに聞いていますが、実際はどうでしょう?」と聞き、一緒に問題を解決したいという姿勢を見せるようにした。
「そのうち、『女の人が来た』という扱いだったのが、『あ、荒木さんだ』と言われるようになって。現場での会話が増え、工事が滞りなく終わるたびに、少しずつ自信がついていきました」
それから2年後、再び保守・点検の部署に戻ったが、同じ仕事のはずなのに、「仕事の見え方」が一変していたという。
「電気設備を一から設置する経験をしたおかげで、仕事の全体像をイメージできるようになりました。『今日は怒られなかった』ではなく、自分の作業がお客さまの安心につながっていると意識しながら動けるようになったんです」
そして2年前、同じ事業所に初めて女性の後輩が配属されたことで、新たな目標もできた。
「私のせいで、後輩の女性社員に変なイメージを持たれないようにしないと、と気を付けるようになりました。『甘えている』と思われないよう、安易にものを聞く前に、本やインターネットで調べることを徹底しています」
特別扱いされることは、働きやすさとは違うと荒木さんは言う。
「女性が働きやすい職場は男性にとっても居心地の良い職場だと思います。そのために、今の自分ができることはないか、日々模索しています」