ヨーロッパで王室がある国は7カ国。そのなかで現在女王が在位しているのはイギリスとデンマークの2カ国です。さらに、スウェーデン、オランダ、ベルギー、スペインでは、王女が第一位の王位継承者として控えているので、今後続々と女王が誕生する見込みです。各国の王位継承の歴史をひもときながら、ヨーロッパ王室の今を考えます。
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王位継承者としての王女たち

現在、ヨーロッパで女王として在位しているのはイギリスのエリザベス女王、デンマークのマルグレーテ女王の2人です。しかし、今後、続々と新女王が誕生する見込みです。スウェーデン、オランダ、ベルギー、スペイン、これらの国々で、王女が第1位の王位継承者となっているのです。

ヨーロッパで王室のある国は7カ国あります。その7カ国とはイギリス、デンマーク、ノルウェー、スウェーデン、オランダ、ベルギー、スペインです(ルクセンブルク、モナコ、リヒテンシュタインの3公国は除く)。7カ国のうち4カ国で新たに女王が誕生する見込みというのは少なからず、インパクトがあります。

スウェーデンでは、1980年、王位継承法の改正により、それまでの男子継承から、男女の区別のない長子継承に変わり、カール16世グスタフ国王の長女のヴィクトリア王女(1977年生まれ)が王位継承者となりました。スウェーデン国民は史上初めての女王誕生に期待しています。

オランダでは、1983年、王位継承法が改正され、長子継承になりました。ウィレム=アレクサンダー国王の長女カタリナ・アマリア王女(2003年生まれ)が王位継承者です。二女、三女と女子が続いており、いずれにしても、オランダ次期国王は女王の可能性が高いです。オランダでは、女王が戦前から3代にわたり続きました。女王の国と言って良いでしょう。

ベルギーは男系男子にのみ、王位継承資格を認めてきましたが、1991年、ベルギー議会は男女同権の観点から、王位継承権者を長子継承とすることを決め、憲法が改正されました。そのため、フィリップ国王の長子のエリザベート王女(2001年生まれ)が最上位の王位継承者です。ベルギー国民は次期国王として史上初の女王が誕生すると期待を寄せています。エリザベート王女は2014年、オランダ語、フランス語、ドイツ語の3カ国語で第1次世界大戦の100周年追悼スピーチを行うなど、才女としても知られています。

スペインの王位継承者はレオノール王女(2005年生まれ)です。19世紀の8代目国王イサベル2世の以来の女王の登場となる見込みです。レオノール王女は容姿端麗で、将来、美しい女王になると国民に期待されています。スペインの王位継承は日本と同じく、原則として男系男子による王位継承しか認められていません。しかし、日本と異なるのは、直系の男子がいない場合に限り、女王が認められます。

スペインではかつて、男女平等の観点から男子優先を廃止し、長子優先にしようとする動きが国会でありました。レティシア王妃(当時は王太子妃)が男子を生み、長女のレオノール王女の継承順位が下がるのを防ぐため、早期に、法改正をすべきということでしたが、2006年にレティシア王妃の第2王女の懐妊が発表されたため、法改正は行われませんでした。現在のところ、フェリペ6世現国王に男子がいないため、次期王は女王となる可能性が高いのです。

長子継承へと向かったヨーロッパ王室

これら新女王が誕生する見込みの4カ国以外のイギリス、デンマーク、ノルウェーの王位継承についても見ておきましょう。イギリスは2013年、新たな王位継承法が制定され、性別に関わりのない長子継承となっています。チャールズ王太子が第1位の王位継承者です。

ところで、チャールズ王太子を日本では、「チャールズ皇太子」と呼ぶ習慣があります。本来ならば、エリザベス2世は皇帝ではないので、その王位継承者は「皇太子」ではなく、「王太子」と呼ばなければなりません。にもかかわらず、「皇太子」と呼ぶのは、日本に元々、「王太子」という言葉や称号がなかったからです。「Crown Prince(クラウン・プリンス)」という英語を「王太子」と訳すと「皇太子」よりも格下の扱いになってしまうことの配慮であり、そのことが慣習的に定着したのです。日本では、イギリスをはじめ、その他の国々の王太子も全て「皇太子」と呼ぶ習慣が一般的にありますが、本記事では本来の「王太子」で統一します。

デンマークでも、2009年の国民投票を経て(賛成票85%)、長子継承に変更されました。マルグレーテ女王の長男のフレデリック王太子が王位継承者です。

ノルウェーは1990年に、憲法が改正され、長子継承となりました。しかし、改正前年の1989年までに生まれた者については従前の通り、男子優先とする条件が付けられたため、現国王のハーラル5世の第2子のホーコン王太子(1973年生まれ)が第1子のマッタ・ルイーセ王女(1971年生まれ)を越えて、第1位の王位継承者です。

このように、ヨーロッパではスペインを除いて、主に男女同権という観点から、1980年以降、王位継承法の改革が進み、長子継承が原則となっています。これは一般社会で男女共同参画が進んだことと呼応しています。

平民と結婚した王女

才色兼備の華麗なる女性王位継承者たちが勢ぞろいしているヨーロッパ王室ですが、王女たちも国民の大きな期待に応えねばならず、苦労も多いのです。幼少の頃より、厳しい教育を受けて帝王学をたたき込まれます。常にメディアに追いかけられて、行動の一部始終を報じられ、大変なストレスとなります。こうしたことから、スペイン国王夫妻はレオノール王女が報道にさらされないように、メディアに特段の自制を求めています。

そして、最も苦労するのが結婚です。スウェーデンのヴィクトリア王女はストレスで拒食症を患ったとき、オーロフ・ダニエル氏に出会います。ヴィクトリア王女は筋力を回復させるため、ジムに通います。そのジムのトレーナーがダニエル氏でした。ダニエル氏は優しく誠心誠意をもって、王女に接します。王女はダニエル氏に心ひかれるようになります。

ダニエル氏は体育大学を卒業し、トレーナーを務めていた一介の平民でした。ヴィクトリア王女が恋人のダニエル氏について父王に話した時、「結婚は認めない」と激怒されました。国民も2人の交際に反発していました。

ダニエル氏も平凡な自分が将来の女王の夫になるなどとは考えてみただけでも恐ろしく、躊躇していました。しかし、ダニエル氏はヴィクトリア王女のために決意し、王族として必要な作法や教養を身に付けるべく猛勉強します。王女もダニエル氏を懸命に支え、結婚を諦めませんでした。ダニエル氏の熱意や王女への一途な思いは評判になり、遂に結婚が許されます(2010年)。

オランダ、ベルギー、スペインの王女たちはまだ10代なので、すぐには結婚となりませんが、将来の女王と積極的に結婚したいと考える良き男性を確保することは簡単ではありません。結婚候補とされる貴族男性も昨今は自由を謳歌したいと考える人が多く、わざわざ王族と結婚をして、束縛されることを選ばないのです。昔のような門閥結婚ではなく、スウェーデンのヴィクトリア王女のように、平民の男性との自由恋愛に基づく結婚ができれば、本人たちも幸せでしょうが、それはまれなケースでしょう。

ヨーロッパでは、王族の結婚には議会の承認が必要とされることがあります。これは王室や国家に害をなす人物が姻戚関係となるのを防ぐ目的です。国民の代表たる議会が認めない結婚をするならば、王位継承権は剥奪されるというルールが敷かれています。