文在寅大統領の革命思想とは
韓国では、2019年4月11日、大韓民国臨時政府の発足100年を祝う式典をソウルで開催されました。文在寅(ムン・ジェイン)大統領はこの式典を盛大に執り行う予定でしたが、ワシントンでのトランプ大統領との首脳会談が重なったため、出席できませんでした。
大韓民国は1948年に建国されましたが、文大統領は、建国は1919年だと主張しています。文大統領によると、韓国と北朝鮮の政府が1948年に樹立されて、南北分断がはじまり、これは朝鮮民族の「悲劇の年」であるとのことです。
一方、1919年、日本に抵抗した独立運動家の金九(キム・グ)らにより、上海で亡命政府の大韓民国臨時政府が成立しました。文大統領は、この政府の樹立をもって、今日の朝鮮国家の正統な起源としているのです。つまり、「日本の不法な植民地支配」(不法ではありませんが)に立ち向かった金九ら独立運動家たちを朝鮮民族の共通の建国の父祖と見なし、この父祖のもと、韓国や北朝鮮の朝鮮民族が再び一つになるべきだと主張しています。
ちなみに、この臨時政府は国際的に、当時も現在も承認されていません。文大統領の最終政治目標は民族の統一です。自ら、自国の正当性を否定してでも、分断の要因を取り除き、民族の統一を実現させたいと願っているのです。
本来、韓国にとって、2018年は国家成立70年に当たりますが、文政権はこれについて、式典を開催することはありませんでした。保守系団体が「建国70年記念切手」の発行を計画しましたが、政府が介入し、郵政事業本部に計画を受け入れないように指示したのです。また、韓国の学校の歴史教科書にあった「1948年8月15日に大韓民国樹立」という表現が2018年から「政府樹立」に変更されています。
文政権は1948年建国を必死になって否定し、1919年を建国年とすることで、大韓民国の正統性を主張する保守・右派勢力を「民族の敵」と炙り出す算段です。1948年に建国された大韓民国は朴正熙(パク・チョンヒ)大統領らに代表される親日派保守政権によって、長く支配されてきました。文大統領は「親日清算」というスローガンを掲げ、そのような親日派が築き上げた大韓民国は根底から否定されるべきだと主張しているのです。
同じ左派の金大中(キム・デジュン)大統領や盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領でさえ、こうした1919年建国説を唱えることはありませんでした。やはり、文大統領は特殊な革命思想を持っていることがわかります。
「民族」の魔力で国民を幻惑
第2次世界大戦後、北側では人民委員会がつくられ、ソ連の支援のもと、共産主義による国家建設が着々と進められ、1946年2月には、金日成(キム・イルソン)が委員長に就任し、実権を掌握します。
前述の独立運動家の金九は民族の統一した形での新国家建設を強く主張し、金日成ら共産主義勢力とも、手を携えようとしました。金九は「私の体が二つに引き裂かれようとも、民族が二つに引き裂かれるのを見ることができない」という言葉を残しています。金九は金日成と会い、融和を説得するものの、金日成は共産主義による統一という路線を譲りませんでした。
一方、アメリカから帰国した李承晩(イ・スンマン)は共産主義勢力を排除しようとしたため、金九と激しく対立しました。李承晩はアメリカの支援を受けた筋金入りの反共主義者で、南側の単独独立を断行して、韓国の初代大統領になりました。こうした混乱のなか、金九は1949年、政敵によって暗殺されます。
文大統領は金九を英雄視しています。1919年以降、臨時政府を率い、日本と戦った英雄、そして、戦後は民族の統一のために戦った英雄。文大統領にとって、金九は二重の意味で英雄なのです。敬愛する金九の悲願を達成するため、金九が金日成と手を結ぼうとしたように、文大統領はその孫と手を結ぼうとしています。いや、すでに結んでいます。
韓国人にとって、「民族」という言葉は絶対的なものです。われわれ日本人にはピンときませんが、彼らにとって、その響きの魔力の前には何者も無力です。
文大統領は1919年建国説を唱えることにより、「民族」の魔力を現出させ、国民を幻惑しようとしています。また、不法悪辣な日本と戦う民族の闘士として自らを演出するとともに、日本に魂を売った親日保守派を貶めようとしているのです。
朝鮮半島には全く異なる民族が住んでいた
2018年9月18日~20日、訪朝した文大統領は平壌で「民族」、「同胞」、「一つ」ということを強調し、「私たちの民族は5000年を共に生きた」と演説し、民族が再び統一されるべきだと主張しました。
しかしながら、現在の韓国エリアと北朝鮮エリアには、もともと全く異なる民族が住んでいました。朝鮮半島の北部に住んでいたのが満州人、南部に住んでいたのが韓人であり、一つの民族が「5000年を共に生きた」などという史実はどこにもありません。
ソウルの南側を東西に流れる大河、漢江(ハンガン)があります。大まかに言うと漢江を境にして、北側が満州人のエリア、南側が韓人のエリアでした。韓人は朝鮮半島の南部から中部にいた農耕民族で、半島の中心的な原住民です。韓人という言い方は慣習的なもので、学術上の明確な定義はありませんが、朝鮮半島南部の三韓の地にいた人々を総称するものです。
満州人は朝鮮半島の北部にいた狩猟民族で、中国東北地方の満州を原住地とします。古代において、満州人と韓人は南北で激しく争っていました。満州人のエリアには高句麗、韓人のエリアには新羅、任那、百済が建国されました。
韓人というのは現在の韓国人の元となった民族です。一方、満州人は現在の中国領に属する満州平野を中心に、遼東や朝鮮半島北部に分布していました。17世紀に中国最大の王朝の清を築くのも、この満州人です。満州人は中国から朝鮮半島に到るまで広範に分布しており、韓人よりも人口が多く、強大な勢力を誇っていました。
外来の征服民族、満州人
満州人はツングース系民族であり、広義の意味でモンゴル人に含まれます。ツングースとは「豚を飼育する人」という意味を持つと言われます。韓国で、焼き肉屋さんへ行くと、サムギョプサルなどの豚肉が牛肉よりも主流なのはツングース系民族の豚肉食文化の伝統を引き継いでいるからでしょう。
満州人は「ジュルチン」と呼ばれていました。「ジュルチン」とは満州語で、「人々」や「民」を意味する言葉とされます。中国人(漢人)が満州人に「お前たちは何者だ?」と問うたところ、「人々(ジュルチン)だ」と答えたことから、満州人は中国で「女真」(=ジュルチン)という漢字をあてられるようになります。
満州人は水に縁起を感じていたため、水を表す「さんずい」を付けて、「満洲」と名乗っていました。「満洲」はもともと民族名でしたが、地名にも使われるようになり、「さんずい」のない「満州」が特に地名として一般的に表記されるようになります。
『後漢書』では、満州人が臭くて不潔(「臭穢不潔」)と記されています。満州人は尿で手や顔を洗い、家ではなく穴の中に住んでいたとされます。豚の毛皮を着て、冬には豚の膏を身体に厚く塗って、寒さをしのぎ、毒矢をよく使用しました。
満州を原住とする満州人は紀元前1世紀頃から5世紀頃まで、満州人の国家である高句麗の台頭とともに、朝鮮半島へ南下拡大し、いわば外来の征服民族として朝鮮半島を長年支配しました。
この満州人の民族的血統を強く受け継いでいるのが朝鮮半島北部の人々、つまり、北朝鮮人です。一方、南部の韓国は韓人の血統を強く受け継いでいます。
10~14世紀に、統一王朝の高麗(満州人が多数派の政権)が成立すると、韓人と満州人との混血が進みます。また、この時代に、満州人・韓人・中国人(漢人)の言語が統合されて、いわゆる朝鮮語の基礎ができ上がり、体系化されていきます。そして朝鮮半島で、韓人と満州人は血統や言語の上でも、慣習・文化の上でも融合していきます。
このように、朝鮮民族が一つになって共に生きたのはせいぜい1000年ぐらいです。文大統領は「1919年韓国建国説」や「民族5000年説」などの奇説を持ち出し、歴史の事実を曲げて、「私たちの民族は一つ」というファンタジーを吹聴しています。
北朝鮮と韓国の統一という政治的な都合を優先するために、歴史の事実を改ざんするような言動が許されるのか、韓国の人々にこそ、よく考えていただきたいものです。