ゴールドマンサックスやボストンコンサルティングで働いてきた井出さんは、起業したいと考えたことが一度もなかったという。なぜ、踏み切れたのか。今は180度変わったという「起業」のイメージとは。

育休中、同僚から呼び出しを受ける

料理家が「作り置き」をしてくれる出張料理代行サービスを運営する「シェアダイン」の井出有希さんが、外資系大手企業から独立し、創業に至るまでには、同じ出産・育児を経た職場のママ友仲間との友情があった。

シェアダイン 共同代表 井出有希さん

「話があるから」

同僚であり、のちに共同創業者となる飯田陽狩さんから、東京・紀尾井町のカフェに呼び出されたのは、忘れもしない2017年の冬のことだ。ボストンコンサルティングで働いていた井出さんは、2人目を出産し育休中だった。寒さ厳しい季節、ベビーカーを押してランチに向かった。この「紀尾井町の会」が、井出さんの運命を大きく変えることになる。

ママ友との鉄板ネタは料理の苦労話

時をさかのぼること3年。ボストンコンサルティング在職中に1人目の子どもを出産後、時短勤務で働いていた井出さんだったが、家事育児と仕事との両立には苦労した。会社の中で活躍している先輩たちは皆「スーパーママ」。家庭との両立について相談をしたら、「なぜナニーを雇わないの?」と逆に質問される始末だった。

そんな頃、井出さんの子どもと同年代の子どもを持つママ社員の存在を知り、少しずつママ友ネットワークができていった。

在宅勤務制度ができたらいいねとか、普段の食事作りはどうしてる? といったたわいもない会話から、「みんなこうして頑張って働いているんだ」と仲間ができたことを嬉しく思った。

特に、食事はママ友同士の鉄板ネタになった。それほど食生活に気を遣っていなかった井出さんだったが、妊娠したころから少しずつ自分の口にするものを気に掛けるようになり、ワーキングマザーになってからはさらにその傾向が高まった。周囲は毎週週末になると料理の作り置きをしていると聞いたものの、それほど料理に自信がなく、毎日肉と野菜をてんこ盛りにしたみそ汁を作っていた。

鉄板ネタがビジネスになるなんて

子どもが離乳食を食べるようになってからの料理作りは井出さんをさらに悩ませた。子どもが偏食気味で、どうやったらさまざまな食材を口にしてくれるのかと試行錯誤を繰り返していたからだ。

そんなとき、ちょうど同じくらいの子どもを育てていた同僚の一人に、後の共同経営者となる飯田陽狩さんがいた。飯田さんの子どもは肉や魚を嫌がるという。当時は料理代行のサービスはほとんどなく、顔を合わせれば「どんな料理を作れば子どもは食べてくれるのだろうか」という料理談義を繰り広げる日々が続いた。

とはいえ、それをまさか自分がビジネスにする日が来ようとは、当時はまったく考えてもみなかったという。

起業を後押しした夫の言葉

そんな井出さんが飯田さんに呼び出されたのが、2人目の育休からの復帰する間際だった。

ただお茶でもするのかと思ったら、「料理をビジネスにしたい」と飯田さんがまとめた事業計画書をその場で渡された。そこには、現在のシェアダインの原型となる料理家出張サービスのアイデアが書かれていた。

ワーママ仲間として、料理に苦労してきた自分たちが、社会の課題を解決できたら――と心が動いた。だが、飯田さんの事業計画書の中身は、あれもこれも盛り込み過ぎているし、個人向けだと単価設定も高くなるため、ビジネスにするには正直このままでは難しいという気持ちもあった。

それでも、社会課題の解決をしたいという思いは、さかのぼれば学生の頃から井出さんが持っていた気持ちでもあった。合流するか悩んでいたころ、井出さんの夫は、「海外では失敗するほど信用がつき、お金も貸してもらえるようになる」と彼なりに背中を押してくれたという。

4月に会社に戻ることにしたものの、同年秋には飯田さんと合流し、先の見えない起業家の世界に飛び込んだ。飯田さん、そして井出さんと同じように会社を辞めて合流した仲間と3人で計800万円の元手で、サービス作りを開始した。

何もない状態からのスタート

しかし、世の中にないサービスを作るのだから、そこからは手探りの状態だ。運よくビジネスコンテストでアクセラレータープログラムに参加することができたのだが、その時点でもホームページすらなく、エンジニアは1人もいなかった。参加してくれる料理家もまだ2人だけで、そもそも社会的にニーズがあるのか検証すらしていない、まさに“何にもない”状態だった。

とりあえず簡易的にホームページを作ったが、料理家とユーザーをマッチングするというアイデアだけが書かれたサイトでは、なかなか信用してもらえない。それでも、とにかく登録してくれる料理家を集めなくてはと、片っ端から料理家にメールを送りまくった。その中で、興味を持ってくれた数人が返信してくれて、なんとか5~6人の料理家を確保することができた。

ビジネスになると確信できた瞬間

準備を始めてはみたものの、井出さん自身にサービス内容に対する不安があった。その不安を払拭してくれたのが、最初に登録してくれた保育所での調理経験をもつ料理家だ。登録に際して実際に離乳食を作ってもらうことになったのだが、そのときふるまわれた料理を子どもたちはまったく嫌がらず、おいしそうにぱくぱくと食べたのだった。自分たちがあんなに作るのを苦労した離乳食である。その子どもたちの姿を見て、「これならビジネスになる」と確信したのだった。

シェアダインで依頼できる作り置きのイメージ

一方で、プロダクト開発は難航した。外部に委託したものの、開発が遅れ、なかなかサービスを開始できない日々が続く。2018年2月にはサービス開始予定だったが、それもどんどん遅れた。

同時期にアクセラレータープログラムに参加した企業のどこよりも、立ち上がりが極端に遅く、しまいには「一番進んでないのはシェアダイン。本当にやる気があるのか」と叱られる始末だった。それでも、料理家や投資家などいろんな人を巻き込んで進んできたため、「自分からは事業をやめられない」と井出さんは強い責任を感じながら、必死でサービス開始のために尽力した。

「今までのキャリアとは違って、スタートアップは時間軸もまったく変わってしまう。コンサルをやっていた時は、『なぜコンサルなんて必要なんだろう』と正直思っていたこともあったが、いざ自分が経営を回すようになると、目の前のことで手いっぱいで、外との関係がまったくなくなってしまうので、情報を与えてくれる人が必要になるのだなとよくわかりました(笑)」

前月比150%の伸びをキープ中

同年5月16日に、ようやくサービスはローンチした。幸運にも、ちょうどシェアサービスが日本全体で盛り上がり始めたタイミングだったため、サービス開始間もないにもかかわらず、日経新聞など複数のメディアに取り上げられ、よいスタートを切ることができた。そこから「雑誌を見ました」という形で料理家の登録が増加していった。

とはいえ、マッチングビジネスの難しさは、需要と供給のバランスだ。供給サイドである料理家ばかり増えてもだめで、需要サイドである利用者も合わせて増えていかないといけない。それに合わせるためにも、エンジニアは自前で雇うことにして、よりステップの少ない、使いやすいサイトを目指していった。

子育て期の家庭の利用が多い。

現在は5000~12000円(料理家により異なる)プラス食材費、基本3時間の訪問で12品程度の食事を調理するというサービスを提供している。業績は順調に伸びており、利用者登録件数は前月比150%をキープしているという。2019年3月には月額12000円で栄養士の料理が食べられるサブスクリプションサービスも始めた。

最近では共働き夫婦以外のニーズとして、妊活中の人やカロリー計算が必要なトレーニング中の人、病院と同じものを食べたいと考える糖尿病の人など専門性の高い食事は、管理栄養士の資格を持つ料理家に依頼するケースが増えているそうだ。

「起業」のイメージが180度変わった

井出さん自身のライフワークバランスはというと、前職のほうが余裕はあったとはいうものの、現在も17時には職場を出て、20時までは仕事をしないという、自分らしい子育てを続けている。シェアダインのサービスを自身でも利用しているが、「今日はお料理のお姉さんが来ているね」と子どもも喜ぶそうだ。

料理の専門家に、作り方のコツを教えてもらえる。

起業する前は失敗を恐れていた彼女だったが、起業してから「起業」のイメージそのものが変わったのだという。

「料理家の方が来てくれることで時間の余裕ができるだけでなく、『こういう工夫をしたらおいしくなりますよ』といったアドバイスを毎回受けられるんです。料理ってその人の家庭にしかないものだったのが、サービスを通じて他人の体験を共有してもらえることの豊かさを感じています」と井出さんは言う。

「支援プログラムや横のつながりでの情報共有もあるし、何より最近では大企業もスタートアップとすぐに会ってくれる環境ができてきたため、事業が『すぐダメになる』という環境ではありません。それに、私たちはチームで起業したため、悩んだ時に話し合える仲間がいてとても心強かった。役割分担もできるのも大きいですね。たとえば、飯田はビジョナリーであるため、妄想を落ち着ける役回りが私とか(笑)」

また、自分の殻を破るチャンスにもなる。彼女の場合、かつては苦手だった他人への説得や人前で話すようなことも、今は自分がやらないと誰もやってくれないということもあり、何でもこなせるようになった。大勢の前でのピッチもお手の物だ。「人前に立って伝えることでレビューが返ってきます。するとまた『伝えたい価値』がたくさん生まれてくる。実現したい世界が広がっていることも実感できるんです」。

「ママになったら、『シェアダインは登録した?』と言われるくらい浸透させていきたい」と目標を語る井出さん。「日本の食卓のプラットフォーム」を目指す、ママ起業家の挑戦はまだ始まったばかりだ。

井出 有希(いで・ゆき)
シェアダイン 共同代表
1978年、高知県生まれ。2000年、東京大学経済学部卒業後、ゴールドマン・サックス証券に入社。09年アライアンス・バーンスタイン、12年ボストン・コンサルティングを経て17年シェアダイン創業。