不安だった20代を乗り越え30代から大活躍
目薬「Vロート」、妊娠・排卵日予測検査薬「ドゥーテスト」、スキンケアシリーズ「オバジ」……。これらの製品は、いずれも力石さんが研究者として、また「学術担当」として携わってきたものばかり。どの製品も成功を収め、研究者から管理職、そしてロート製薬初の女性役員へと順調にキャリアを育んできた。しかし、力石さん自身は「挫折と失敗の連続ですよ」と笑う。
薬学部を卒業後、ロート製薬に入社して研究開発部に所属。目薬の開発に取り組んだが、自分の能力に悩んだり女性の同期が半分に減ったりと、不安だらけの20代を過ごした。仕事への思いが燃え上がったのは30代前半、第一子を出産してから。働くお母さんとして職場に復帰し、当時開発されたばかりの妊娠検査薬を広めるため全国を飛び回るようになった。
「当時、薬局の薬剤師は男性がほとんどで、『妊娠したら病院へ行くんだから検査薬なんていらないでしょ』と言われてばかり。でも、女性が産婦人科へ行くのには一大決心が必要で、その前に自分で検査できればどれほど安心か。だから全国の薬局で勉強会を開いて、妊娠時の変化や女性の不安について一生懸命説明して回りました」
つらいときも製品への自信と上司が支えに
男女間のギャップを痛感したり、理解のない言葉にヘコんだりしたことも数知れず。それでも「この検査薬は絶対に必要」という信念と、男性上司の理解ある励ましにより、全国の薬剤師のもとへ足を運び続けた。同時に、産婦人科の医師にもたびたび話を聞きに行き、正確な医療知識を求め続けたという。苦労も多かったが「このときに得た知識や医師とのネットワークが今の私の強みになっている」と振り返る。
妊娠検査薬への理解も進んできたころ、ロート製薬の悩み相談室に不妊に関する相談が寄せられる。そこで力石さんは、研究員を含む女性3人で部門を横断するプロジェクトチームを結成。「妊活」に役立つ排卵日予測検査薬の開発に取りかかった。
「うちは、一社員でも社長に『こんなことやりたいんですけど』って提案することのできる風通しのよさがある。部署の垣根を越えてメンバー同士がつながり、プロジェクトとして提案することも珍しくないので、そこは30年以上も前からロートのDNAとして根付いていると思います。おかげで排卵日予測検査薬は無事に発売を迎えましたが、ちょうど同じころ、子育てで大きな壁にぶつかりました」
昇格した直後、長男の病気で介護休暇
プロジェクトが始まったとき、力石さんは第二子を出産して復帰したばかり。仕事と子育ての両立に悩み、モチベーションを保つのは簡単なことではなかったという。さらに、製品の発売後には長男の病気が発覚。医療関係者に製品を広める部署「学術」部門の係長に昇格した直後、1年間の介護休暇をとることになった。
休暇中は、自閉症の長男とともに養護学校へ母子通園した。それまでは、病気も仕事と同じく頑張れば結果が出ると信じてきたが、通園を通して、そうではない事柄もあると学ぶことができた。
「いい先生や友人に巡り会えたおかげで、苦手なことを克服するよりも、いいところを伸ばそうという考え方に変わりました。今、息子は得意な分野で大学を卒業し、私ともたくさんお喋りしてくれます。本当によくここまで育ってくれました」
考え方の変化は、仕事にもよい影響をもたらした。介護休暇から復帰後、力石さんは目覚ましい活躍を続ける。スキンケアシリーズ「オバジ」の日本導入を成功させたのち、マーケティング本部でマネジャー、副部長とステップアップ。40代の10年間は、子育てと仕事に無我夢中の日々を送った。仕事への意欲も高く、最も充実していた時期だった。
後輩の一言にショックを受けて反省
ところが40代後半に入ったとき、後輩の女性から「力石さんみたいになりたくない」と言われてショックを受ける。自分では苦労も含めて仕事を楽しんでいたつもりだったのに、そんなに必死に見えたのか──。
「管理職のプレッシャーもあり、すべてやり遂げようと頑張りすぎていたのかもしれません。後輩に『そこまでの頑張りを求められるなんて、私にはできない、したくない』と思わせちゃったのかなと。仕事と家庭のバランスは人それぞれなのに、私は彼女の思うバランスに寄り添えなかった。もう少し違う働き方を見せればよかった、と反省しました」
実際の力石さんは、とても気さくで親しみやすい雰囲気だ。少し早口の関西弁で冗談も交えながら話し、聞き手を楽しませてくれる。けれど、ものづくりへの思いはどこまでも熱く、老舗製薬メーカーとしての社会的責任も決して忘れない。仕事を誠実に、責任を持ってやり遂げようと奮闘する姿が、後輩には“頑張りすぎ”に見えたのかもしれない。
それ以来、力石さんが心に留めていることがある。人生を形づくる要素は人によって違うが、自分の力を各要素にバランスよく配分することが大事だと。今では、後輩の女性たちにも「バランスがよいほど人生は豊かになる。自分なりの要素を見つけて、それぞれと誠実に向き合って」と伝えている。
取締役への昇格、最初の感想は「無理!」
50代に入ると、マーケティング本部から研究開発本部へ異動。およそ20年ぶりに、今度は部長として研究職に復帰する。製品をゼロから生み出す現場で皆を引っ張っていけるのかと不安だったそうだが、30代で培った医療知識や医師とのネットワークが役立った。力石さんは、部下の研究員を医療や基礎研究の場へ積極的に派遣。自社の研究力の底上げに大きく貢献した。
その後、再びマーケティング本部に戻って商品企画担当部長に。市場ニーズの調査を任され、女性たちの「加齢臭が気になる」という声から、30代の女性担当者や企画のメンバーと一緒にボディソープ「デオコ」を誕生させた。この時期、子育てはひと段落していたものの、義母の介護でまたしても両立に奮闘。仕事への意欲も下がりかけたが、製薬メーカーが中途半端な製品を出すわけにいかないという自負が支えになった。
そして2018年、取締役に就任。これまで多くのプロジェクトを成功させてきたものの、経営に関心を持ったことはなかった。社内では初の女性役員で前例もなかったことから、打診されたときは「無理!」と思ったという。
「でも、せっかくチャンスを与えてもらったわけですし、吉野俊昭前社長(故人)からも『お前の背中を見て育つ人がいるんやで』と言われて、受けたほうがいいのかなと思うようになりました」
社外取締役の女性からも「女性役員は1人目は大変だが、2人になれば企業風土になり、3人になれば影響力を持つ。だから頑張って」と励まされた。振り返ってみれば、出産後に復帰したときも周囲に前例はいなかった。それが今では産休・育休制度があり、育児休業後の復職率はほぼ100%だ。「私が変化を起こすきっかけになれたら」と、心が固まった。
後に続く女性たちのために自分も成長を
ただ、役員になったことで、再び“頑張りすぎ”ゆえの失敗が。「会社のことは全部知っておかなきゃ」という焦りから、全部署の報告書に目を通し始めた力石さん。当然、寝る暇もなくなり、心身ともに疲れ果ててしまった。
「パタッと動けなくなっちゃって……そりゃそうですよね(笑)。だから一旦リセットして、仕事のやり方を変えることにしました。報告書を全部読むのはやめて、わからないことがあれば現場と直接話すようにしたんです。そのほうが早いし改善にもつながりやすい。役員になっても、自分ができる範囲でやればいいんだなと実感しました」
喜びを感じる出来事もあった。ある日、社内を歩いていると、女性社員に「役員になってくれてうれしいです」と声をかけられたのだ。初の女性役員の誕生は、ロート製薬で働く女性たちにとっても大きな励みになっている。「だから負けたらあかんな」と明るく笑う力石さん。後に続く女性たちのためにも、これからも勉強と成長を重ねていく。
役員の素顔に迫るQ&A
Q 好きな言葉
和協努力(わきょうどりょく)
「入社当時の社是でした。皆で協力し努力し合うという意味で、私の原点になっています」
Q 趣味
テニス、卓球、旅行
Q 愛読書
『空飛ぶタイヤ』池井戸潤
『「公益」資本主義』原丈人
Favorite Item
バッグ、財布、名刺入れ
「このブランドのアイテムは大のお気に入り。娘とおそろいでセットで使っています」
ロート製薬 取締役 プロダクトマーケティング部部長
大阪大学薬学部卒業。1981年ロート製薬入社。目薬「Vロート」「リセ」、妊娠・排卵日予測検査薬「ドゥーテスト」、スキンケアシリーズ「オバジ」などの開発・発売に携わる。研究開発部、製品情報部、マーケティング本部、研究開発本部を経て2018年より現職。